突発的プレリュード

その日もサンヨウレストランはいつも通りに繁盛していた。
料理やスイーツがおいしいという、レストランにあるべき第一の理由はもちろんのこと、そのレストランを切り盛りする三つ子の兄弟の存在そのものも繁盛理由のひとつであった。
ついでに、その三つ子がいれる紅茶はどこのカフェやレストランよりも絶品であるということも。

 

「お待たせいたしました、苺のショートケーキです」

 

いつも通りの変わらぬ接客で、コーンは注文されたスイーツを客の前へ丁寧に置いた。
日が傾きつつあるこの時間は平穏である。ゆっくりとした太陽の傾きを感じながらお茶を楽しむ客が多い。

ふと、顔を上げた。
目が向かった先にある窓が視界に入る。すると、曇りガラスに何か影が迫っている。そう思ってから、次のことが起こるまで一瞬だった。
ガシャンと派手な音が店内に響いて全員がそちらを見ると、一匹のエモンガがそこに転がっていた。
窓には穴が開いている。

 

「エ、エモ……。……エモッ!?」

 

エモンガは疲れたような表情でそこから起き上がったが、店内のテーブルに並ぶ料理やスイーツを見た瞬間に目を輝かせてテーブルへ飛びついた。

あまりにも突然だったためか、自分の注文したものが目の前でエモンガに食べられても客は唖然としていた。

 

「シマーッ!」
「エモ!?」

 

その次に、再びガラス破壊の音がした。
店内に飛び込んできたのはシママである。窓の穴がさらに広がった。

そのシママは、エモンガの首根っこをくわえてテーブルから引き離そうとしている。それから逃れようとするエモンガを追いかける様は、あのエモンガを店から連れ出そうとするヒーローに見えなくもない。
だが、外からやってきたためか足が汚れている。シママがエモンガを追って走るたびに、フロアには土の足跡がついた。

 

「エモンガ、シママ! 何やってるの!」

 

大きな音の第三弾は窓ではなく、レストラン入口の扉だった。入ってきたのは一人のトレーナーである。大きな音はしたが、さすがに扉は壊れていない。

呆然としていた店内だったが、その人の登場で「ああ、このポケモンたちのトレーナーか」と満場一致の答えが浮かんだに違いなかった。

 

 

「とりあえず、お名前から訊きましょうか」
「あ、はい、ミエル、です……」

 

私は消え入りそうな声でそう答えるのが精一杯だった。

向かい合わせに座っている青い髪の男の子に、きっとこれからひどい仕打ちを受けるのだと思う。
声は穏やかだけど、目の前の彼の目は視線だけで人を殺せそうに見える。仮にこの人にそんな能力があったとしても、その対象になるのはおそらく私だけなのだろうけど。
とはいえ、そうなったとしても文句は言えない。現在のこのお店の惨状は図らずも私のせいなのだから。

立派な窓ガラスには大きな穴が開いていて、その周囲に飛散している破片、その破片が散らばるフロアは泥で描かれた足跡だらけだ。
私のポケモンたちが暴れたためかテーブルがひとつひっくり返っており、料理や割れた食器でフロアはさらに素敵な舞台となっていた。
お客さんは全員帰っていき、今ここにはウェイターのこの人と私しかいない。
ピンと張り詰めている空気に、声を出すのも一苦労だ。

 

「ご住所は?」
「ラ、ライモンシティです……」
「職業は?」
「ポケモントレーナーです……」
「それはわかります。本業は?」
「ほ、本業? 今のところは特に……」
「なるほど。浮浪者ですか」

 

旅するトレーナーと言ってください。
……などと反論する勇気が私にあるはずもなく、不本意ながらも黙ってそれを肯定するしかない。全国の旅のトレーナーさんに謝罪したくなった。私のせいで皆さんにも浮浪者の烙印が押されることになってしまいました……。

彼は髪型のせいで右目が隠れている。左目としか目が合っていないのに、……もう一度言ってみる、人を殺せそうな気がする。

 

「では、どうしてこうなったのか原因をお訊きしましょう」
「え、ええと……」

 

まるで警察の取り調べのような雰囲気に、完全に委縮してしまう。
なんと言えばいいのか。複雑とまではいかないまでも、説明するには少々厄介なのだ。そしてその前に。

 

「あの……エモンガとシママは……?」
「今のあなたには関係ありません」
「いや、私あの子たちのトレーナーなので……」
「そちらに注意を向けられるほど、余裕があるわけですか。わかりました」
「い、いえ、そういうわけじゃ……」

 

エモンガとシママは黄緑の髪と赤い髪のウェイターさんたちに連れられて、お店の奥へ行ってしまっていた。ないと思うけど、まさかという嫌な予想が生まれてしまう。だけど今は自分の心配をしたほうがいいのかもしれない……。
──胃がきりきりと痛む。

 

「コーン、いったんストップ」
「ストップをかけている場合ですか、デント」

 

重い空気が一気に軽くなったと思ったら、黄緑の髪のウェイターさんが戻ってきた。間接的に彼ら二人の名前を知ったけれど、だからって状況は何も変わらない。
──喉の奥がぐるぐるする。

デントと呼ばれた人は「まあ、ちょっと待って」と私の目の前にいるコーンという人を止めると、真剣な表情で私を見た。
……空気が軽くなっただけで、この人も被害を受けた側なのだから私を責める権利を持っている。逃げる気はないけれど、仮に逃げる気があったとしても逃げる力がない。

 

「いったいどのくらいの間、あの子たちに食事を与えてなかったんだい?」

 

デントさんの追究は意外なところをついてきた。彼は少し眉を吊り上げている。

 

「今ポケモンフーズをあげてきたけど、あの食欲は普通じゃない。まともに食事を与えてなかったの?」

 

ああ、ここはちゃんと話さないといけない。変な誤解を生んでしまっている。

 

「え、と……金欠になってしまって、ポケモンフーズが買えなくなって。ここ一週間は私の分をあげていたので、食事は摂ってます。ただ、昨日ついに食料が全部切れて、今日は食事をあげられませんでしたけど……」

 

ポケモンフーズが切れて一週間経つけど、あの子たちを飢えさせてはいけないと思うくらい手持ちへの愛はある。
ただ、やはりポケモン用のものと違って人間用の食事はあまり腹持ちが良くないらしく、あの子たちに満足に食べさせてあげられなかったのは確かだ。それがとても申し訳ない。ポケモントレーナーとしてあるまじきことだ。それはわかっていた。

 

「それより……ポケモンフーズを食べさせてくださったんですか……! ありがとうございます!」

 

頭を下げた私に二人は驚いたようだった。

──お腹の底から何かが上がってきそう。
長く頭を下げているとなぜか吐きそうな感じがして、頭を上げた。二人はまだ驚いた表情を崩さない。お礼がそんなに驚くことだろうか。

 

「ちょっと待ってください……」
「はい……?」

 

青い髪の人──コーンさんが口を開いた。ついに処罰が下るのかと、私は覚悟を決める。

 

「あなたの食事をポケモンたちに“分けていた”ということですか?」
「え、いいえ。私の分を“あげていた”んですけど、何か……?」

 

質問の意図がよくわからない。
もしかして、人の食事をポケモンにあげるのは、体調に異常をきたすとかのまずいことがあったのだろうか。もしそうだとしたら非常にまずい……。急にエモンガとシママが恋しい。何かがあってしまってはもう遅い。どうしよう。
そう思っていると、コーンさんが勢いよく椅子から立ち上がった。驚いて体が震える。

 

「あなた……っ、何日食事を摂っていないんですか……!?」

 

押し殺したようなその声はずいぶん大きく響いたような気がした。

 

「あー、えっと……今日で、八日目……とかですかね」
「誰がバカ正直に答えろと言いましたか!」

 

耳を塞ぎたくなるような声で怒鳴られた。デントさんが驚いているのもそれが原因らしい。

 

「八日って……。ち、ちょっと待ってて! 今何か食べるもの……!」
「え、あ、いらないです。気持ち悪くて食べたくなくて……」
「バカですかあなたは!? そのままじゃさらに気持ち悪くなっていずれ死にますよ!」

 

私の丁重なお断りを切り捨てた二人は、バタバタとお店の奥へ行ってしまった。椅子に座ったまま一人残された私はぽかんとそれを見送るしかなかった。
……いいのだろうか。お店をこんな状況にした元凶を放っておくなんて。本気を出せば逃げられる状況だ。いや、エモンガとシママを置いていくなんてひどいことはしないから逃げないけど。

 

突発的プレリュード
───前奏