(※DOUBLE FACEイベントネタ)
ガスマスクを着けたままでいるのはあまり好きではないけれど、この場所ではしょうがない。
新兵器の開発基地では、良くも悪くも何があるかわからない。直接の関わりが薄い者たちに顔を見せる必要もないだろう。
そもそも、ベルガーとラブワンが勝手にここへ来たりしなければ、私が迎えに出されることもなかったのだ。
ベルガーが新兵器で遊び始める前に回収してこい、とファルから言われては来ざるを得ない。
廊下を進むと、見慣れない男が向かいから歩いてくるのが見えた。
いや、この基地にいる者はほぼ見慣れない人だけれど、それにしたって部外者にも見えない。
「あ……」
そこで思い至った。男に対して敬礼をすると、男は少し首を傾げて立ち止まった。
「あんた……一般兵じゃねえな」
「はい。突然に申し訳ありません。最近こちらへ着任されたスモーク中佐でいらっしゃいますでしょうか」
「ああ、そうだ」
そうだ、ここの基地には新しい幹部補佐官が来ると聞いていた。彼がその人らしい。
「こっちも訊きたいが、あんたは誰だ?」
「失礼いたしました。私は帝都本部基地に在籍しております、マリー・コラール中尉です」
「そうか。帝都本部基地の奴がわざわざ来るってことは、なんか重要なことを任されてるんだろうな。俺に挨拶するために来たってわけじゃねえだろ?」
「本当は中佐へのご挨拶がメインな用件で伺いたかったものですが、残念ながら。しかし、中佐がおっしゃるほどの重要な用件ではないのです」
肩をすくめると、そりゃあ残念だ、と彼の声音は笑っていた。
ガスマスクを着けたままなので、お互いの表情は見えない。彼はポケットに突っ込んでいた手を出し、腕時計を確認した。
何か急ぎなのだろうか。先ほど寄った事務室の予定表には、会議などは特になかったはずだけど。
「中佐はこれからどちらに?」
「ん? ああ、ちょっとな。これから浄水器の業者が商談で来るらしいんだが、そっちに」
そういえば、十三時からそんな予定があると書いてあった。しかしそれの対応をするのは彼ではなかったはずだ。
「……中佐自ら業者のお出迎えなどなさる必要はありません。出迎えは私が参りましょう」
「いや、けっこうだ。中尉とは言っても、帝都本部基地に所属してるあんたにそんなことさせるわけにはいかねえよ」
「いえ、私よりも階級が上の方にそのようなことをさせるわけには」
いやに業者を迎えることにこだわる。
確かに、ここにできた新しい井戸には浄水器を設置しなくては飲料水は確保できない。
重要と言えば重要だが、着任したばかりの中佐階級の者に業者の対応なんてさせるのだろうか。
ましてや彼は幹部補佐官だ。なおのこと、業者の対応などするような立場ではない。
すると私の相手をするのをやめるのか、彼はじゃあなと足を動かし始める。
「スモーク中佐」
呼び止めると、彼はこちらを振り向く。
「なんだ、中尉」
レンズの奥にある瞳は、何を考えている。
「失礼ながら──発する香りには、気を付けられたほうがよろしいかと」
彼はゆっくりとこちらに向き合った。
マスクに覆われていて、文字通り表情は読めない。だがそれは向こうも同じだ。
「……ありがてえ忠告だな。ちょっとだけ煙草を吸うが、匂うか?」
「ええ。少しだけ、」
あなたが、匂います。
空気が詰まるような感覚を覚えた。
決して息をしやすくはない。ぱちりと、静電気でも飛ぶような。
しかしその空気は「ははっ」と彼が上げた小さな笑い声でかき消される。
「そりゃ悪かった。だが無理もねえ。世界帝軍でも、それぞれの基地では武器の開発を競ってる。異動してきた新任がなんとなくスパイ扱いされるのは常だろうな。あんたの言うことももっともだ」
男はガスマスクのずれを直すように、手を添えた。
「今のあんたには何を言っても疑いの目しか向けてもらえなそうだ。俺が何か命令したところで、聞いてくれるタマでもなさそうだしな」
「……恐れ入ります」
必要があればすぐにでも拳銃を取り出せるようにと思っていたが、ひとまずそちらの考えは置いておくことにする。
「あんたが俺を疑うのは自由だ。だが、下手な噂が広がったことで、組織内で疑心暗鬼に陥るなんてのはあんたも得をしないだろ?」
「おっしゃる通りです。私もそのようなことは望みませんし、仲間や上官を疑うなどはしたくありませんので」
だからおかしな行動は慎んでもらいたい、その意味は伝わったようで彼は宥めるように私に手のひらを向ける。
彼の仕事は特別幹部の補佐だ。そう簡単に妙なことはできないと思っていたいところだ。
「それじゃあ、さすがに俺は行くぜ。他にもいろいろ忙しいからな」
「ええ。私も、失礼いたします」
そう言って互いに背を向けた。
きっと彼から何かを命令されたとして、おそらく私は素直に聞き入れられないに違いないと思った。
私も軍人だから、上官からの命令には従う。
しかし本来命令なんてものは、それを発した者への尊敬と忠誠心で聞くものだ。残念ながら、私は彼にそれを抱けそうにない。
それならば、クセの強すぎるあの特別幹部たちのほうがましだと思えるくらいだ。
そう思ってから、いつの間に私はあの貴銃士たちをそれほど信頼しているんだろうと思えて、つい小さく笑った。