申し訳ないことに、最初に思ったのは「ちょっと軽そうなひとだな」ということだった。
もちろん、私たちレジスタンスの力になってくれるひとだというのはよくよく理解してはいた。けれども、彼と同時に呼び覚まされたブラウン・ベスの生真面目な騎士道精神を間近に見たせいか、シャルルヴィル……シャルルへの私が持った第一印象というのはあまりよくなかったと今更思う。
いや、第一印象が悪かったというのはおそらく間違いだ。普通にいそうな若者の性格をしているんだな、と思っただけだった。
俺の考え方って、貴銃士としては微妙かもしんない。
俺はベスくんみたいに〝高貴〟じゃあないからさ、ソコはあまり期待しないで。
自分が高貴ではないと、貴銃士として微妙な考え方だと自分で理解していて、それを初対面からあっけらかんと言ってのけたシャルルに、つい笑ってしまったのを覚えている。なんて素直なひとだろう、と。
でも私はシャルルの考えを否定する気は起きなかった。私も、戦場で無理はして欲しくないと思っていた。
例えメディックではあっても、誰かが怪我を負った姿を見るのは慣れたいものではない。
しかし貴銃士は、普通の人間よりも遥かに傷の回復が速い。私が彼らの傷に手を当てたなら、すぐさま傷は治癒されるという、私としても彼らとしても驚異的な回復力を発揮できてしまう。
だからといって、いくらでも怪我をして構わないなんてことは決してない。そんなことは、私は望んでいない。
だから怪我をする前に、無事に戻ってきて欲しいと思う。そういった点で、私とシャルルはどこか気が合っていた。
彼と交流をするにつれて、決して彼が軽いひとなどではないことを知った。
貴銃士とはいえ、彼らは私たち人間と大きく変わらない。本当に、『普通の人間』にすらなれてしまうくらい、身体的なことは何も変わらないのだ。
そんな彼らが世界帝軍と渡り合えるのが、絶対高貴という、彼ら貴銃士のみが扱える特殊な力のためだった。
シャルルは、自分がなかなか絶対高貴になれないことをひどく悩んでいた。
絶対高貴になれない貴銃士はただのお荷物。それゆえまともに戦えず、仲間を、ひいてはマスターである私を守れないような自分は貴銃士失格だ。
それほどの結論に至ってしまったシャルルは一時期、貴銃士ではなく一人のレジスタンスの一員として動いていたこともあった。
しかしそれでもシャルルは、貴銃士として戦えなくても私の役に立ちたいと、私の傍にいたいと言ってくれた。
『貴銃士じゃなくても、仲間として俺を必要としてくれる? 好きでいてくれる?』
そう言われた時、彼の言葉に否定する気など一切起きなかった。
一人のレジスタンスの一員であったとしても、共に戦い、支えてくれる仲間がいるだけでどれだけ心強いことだろうか。
同時に言葉にはしないが、シャルルの馬鹿、とも思った。
それだけこちらのことを信頼し想ってくれているとわかって、面と向かってそれを言われて、妙な勘違いをしない女は果たしているのだろうか。
シャルルと出会ってから、今日まで私の中で積み重なっていた、いろいろなものが崩れていくのがわかった。
『……メルシー、マスター。君のために、俺は頑張るよ』
ああ、シャルルの馬鹿。
勘違いだって自分に言い聞かせていたのに。
シャルルは優しいから、私という〝マスター〟を大切にしているだけだと言い聞かせて、なんとか自制していたかったのに。
〝マスター〟ではない、私という一人の女の、溜まりに溜まった恋の気持ちが決壊したことは私だけの秘密だった。
*
「マスター、たっだいまーっ! おかえりのハグしよハグ~!」
出迎えると同時に飛びついてきてのは案の定マルガリータだった。
何人かの貴銃士たちが街へと物資調達に行っていたけれど、無事に戻って来てくれて何よりだ。
彼のハグは私が受け止めるには勢いが良すぎて若干腰がやられたような気がする。それでも元気さに安心しつつ、彼の背中へ手を回す。
「おかえりマルガリータ」
「うんうん、ただいま!」
「ますたー、ぼくも戻りました」
マルガリータが離れた次にやって来たのはエカチェリーナだった。
エカチェリーナはにこりと口元を上げながらこちらに腕を伸ばしてくる。
これはもしやと思いつつも、伸ばされたその手を握ってみると「ちがいます、そうじゃありません」と返された。
わかっていたけどやはり違ったらしい。
「ぼくもがんばったのです。ハグしてください」
「はい、おかえりエカチェリーナ」
その小さい体を腕に収めると、嬉しそうにうふふと笑ってくれる。
「マスター! ぼくらも、ぼくらも!」
「おまえたち、せめて順番はまもりなさい」
「……次はぼくたちだよ」
「こらこら、喧嘩するひとたちにはハグはしないよ」
さらにエカチェリーナの後ろから来たのはニコラとノエルだった。
彼らもどうやら私とのハグを望んでいるらしい。
元々そうしたかったのか、それとも単にエカチェリーナに対抗しているのかはわからないけれど。どのみちこんなことで喧嘩が起こるのは嘆かわしい。
私の言葉にエカチェリーナは素直に離れて双子に場所を譲った。
「ただいまマスター。ぼくとノエルもたくさん荷物を持ったんだよ」
「……必要なものもいろいろ買ってきたんだ」
「そっか、ありがとう。ふたりともおかえりなさい」
両腕で双子を抱えるようによしよしと頭を撫でてやる。
感謝されることは素直に嬉しいようで、双子はそれぞれこちらの肩にきゅうっと抱き着いてくれる。
そんな仕草に、懐いてくれているのだなぁと嬉しくなれるのでお互いにいいことだろう。
双子が離れていき、また次の挨拶が聞こえた。
「ただいまナマエ」
「はい、おかえりなさ……、い……?」
さて次にハグをせがむのはどの子だろうかと思い、もはやこちらから先にハグすれば事足りそうだと半ば開き直っていた。
双子のためにしゃがんでいた体を立ち上がらせて、おかえりの挨拶をしながらハグのために腕を伸ばしかけて気が付いた。
「あ、お、おかえりなさい、シャルル……」
マルガリータのように目線の高さがあまり変わらないということもなく、完全に見上げなくてはならない。
見上げた先にいるのは呼んだとおりのシャルルヴィルであり、流れるままにその体に伸ばそうとしていた腕は反射的に動きを止めた。
「うん、ただいま」
不自然に動きを止めたはずの私を気にする風もないまま、シャルルは微笑んでくれる。その隙に私は腕を引っ込めた。
さすがによくない。シャルルは軽率にハグができる相手ではないと判断した私は間違っていないはずである。しかしだ。
「あれ、マスター。シャルくんにはハグしてあげないの?」
マルガリータのとんでもない一言により、私の体にはぎしりと緊張が走った。
「シャルくんねぇ、一番荷物持ってくれたんだよ! 途中でオレたちにスイーツも買ってくれたし!」
シャルルの頑張りを褒めるマルガリータは悪くない。むしろいいことだ。私に、手放しで賛同できない事情があるというだけで。
しかし第三者からこれだけ言われた以上、シャルルにのみハグをしないというのは流れ的に不自然となってしまう。しないという選択は露骨過ぎて逆にいけないだろう。
そう思った私は、意を決してという意図は悟られないよう平静を装った。
シャルルが嫌そうな表情をしていないことを確認し、あくまで自然にシャルルの背中に腕を回す。
「おかえりシャルル。お疲れさま」
「ありがとう。ただいまナマエ」
一方でシャルルはなんてことないように軽くハグをし返してくれた。一言だけ言葉を交わして、すぐさまぱっと体を離す。
「ごめんね、私このあと衛生室に行かないといけないから。報告は恭遠さんにお願いね」
「はーい、まっかせて!」
マルガリータの返事を聞きながら、何食わぬ顔でじゃあねと足を進めた。
彼らから完全に離れると、ゆっくりだった歩みは徐々に速くなっていき、ついには全力疾走になり扉を突き破らん勢いで衛生室へと駆け込んだ。
扉に背を付けたままずるずると床に座り込む。つい大きなため息が漏れた。
「勘弁して……」
なんだあれ、なんなのあれ。シャルルというひとはなんなの。
背はそこそこ高いのに腰は細いしスマートだし、でも背中はしっかりと鍛えられた感じなのがわかってしまったし、ハグを返してくれた腕は優しかったし、距離は近いしなんだかいい香りしたし。
そもそもだ。私がシャルルへのハグを躊躇ったのは、彼が私と同年の、少年ではなく青年の姿であることだけが理由ではない。
深い意味はないとはいえ、片思いしている相手へそう簡単に触れられるほど私はスキンシップが得意ではないのだ。
鼓動は大きくて、全身に血を巡らせているのがわかる。口に出さずにはいられない。
──心臓痛い……。
思わず口からこぼれ出る。マスターが去ってから、シャルルヴィルはその場にしゃがみこんでいた。
「よかったねーシャルくん! マスターとハグできたじゃん! オレのおかげでしょ!」
「はは、そうだね……」
乾いた笑いを返しながらシャルルヴィルは「あー……っ」と発散するように声を出す。
なんだあれ、なにあれ。ナマエってなんなの。やばすぎでしょ。
俺と比べるのおかしいけど体小さいし腕細いし、流れでハグ返しちゃったけど体ふにゃってしたし。
俺、汗かいて変な臭いとかしなかったよね。
彼女から香ってきたのは薬剤や消毒の匂いだった。
しかしそれは彼女の匂いだと実感するには充分だ。作られた香りなどよりも遥かに彼女を思い出せるものだった。
物資調達という仕事に対して充分過ぎるほどのリターンだったが、前触れなくそれを引き越したマルガリータには若干不満がないわけでもない。先ほど平静を装うのにどれだけ苦労したことか。
それを知ってか知らずか、マルガリータはにこにこと口を開く。
「心臓痛いなら衛生室行く? マスターに治してもらう? 顔真っ赤なのも治るかもよ?」
「勘弁してよ……」
治るどころか余計にひどくなるに決まっている。