過剰なまでのアンサンブル

トレーナーを引退し、祖父であるオーキド博士のようにポケモンの研究者を目指すことを決めたシゲルは、きっとトレーナーだったときよりも忙しくなった。

研究者にはフィールドワークも必要だし、結局マサラタウンにいることが少ないのは旅してた時となんら変わらないものだった。
寂しくなんかないよと、エイプリルフールでもないのに大嘘をつく気は起きないけど、そんなこと本人を目の前にして言うことなどできるわけもなかった。

研究者を志す前からサトシと同じくカントーとジョウトを旅をしていた彼にとって、マサラタウンにいないことはほぼあたりまえであっただろう。
同時に、長らく私に会わないこともシゲルにとっては至極当然のことなのだろうと思えた。

きっと私のように、会えなくて寂しいなんてことは思うわけない。
だから私は今までどおりでいなければならない。シゲルやサトシが旅に出る前のように接していれば大丈夫だろう。
所詮は幼なじみ。今さら寂しいとかなんで? と、重たい奴だと思われたくないという理由もある。

****

「おかえり、シゲル」
「ああ、ただいま。久しぶりだね」

ああ、ほらね。シゲルは何も変わった態度を示すこともない。

「そう? そんなに久しぶりでもないと思うけど」

うそだ。今回、シゲルはけっこう長くシンオウ地方へ行っていたから、会うのは本当に久しぶりだ。シゲルの背が伸びているのは気のせいではないだろう。

自分ひとりが再会を大喜びするなんてことはやはりしなくて良かった。以前よりもさらに大人びたシゲルを前にして、そんな子供っぽいことをしたくなかった。

マサラタウンに帰ってきてしばらく経っても、シゲルは忙しく資料を読んだりパソコンに向かったりと、ゆっくり話す時間もなかった。話すとしても一言二言のキャッチボールをしてしまえばそれでおしまいだ。
こうしてオーキド研究所へ来ているのに、話すこともままならないならいっそ来ないほうがいいのかもしれない。寂しさに伴って目の奥がじわりと熱くなってくる。

「ナマエ」

シゲルはオーキド博士の身内だし、研究者のたまごなのだからこの研究所のどこから現れようと不思議ではないけど、どうしてこういうタイミングで現れるのか。
たまごとはいえ研究者らしく白衣を着こなすシゲルを見た瞬間、こらえようとした水がじわじわと目を浸食し始めてシゲルがぼやけた。

「泣いてるの?」
「泣いてないよ」
「嘘だ。涙出てる」
「気のせいじゃない?」
「気のせいじゃない」

ごしごしと目をこする私の手をシゲルが掴むと、再びぼやけた世界にシゲルが映る。ああ、もうこらえられないと続け様に雫が目から流れる。

「ナマエ、」

私の手を掴むシゲルの手に力がこもった。

「僕を見て泣くってことは、僕は自惚れてもいいのかな?」
「いみ、わかんないよ……」

どこか嬉しさが混ざっているようにも聞こえるシゲルの言葉の意味が本当にわからない。自惚れる? 何に対して?

「その涙は僕のために流してくれてるんだろうってこと」
「……うん?」
「僕に会えなくて、最近話もできてなくて寂しかったから、とか?」
「え、なんで……」

なんでそんなに私の心境を的確にぺらぺらと言うことができるんだこの人は。

「僕も同じだったからだよ」

その一言で一気に私の涙は引っ込んでしまった。

「ナマエに長く会えなくて寂しいと思ってたし」
「……」
「でも、再会を大喜びするのは子供っぽいと思ったから今までどおりでいなきゃと思った」
「うん……」
「ナマエはいつもと変わらないから、やっぱり君の中での僕はマサラにいないのがあたりまえの幼なじみでしかないのかなって」
「ううん……」

私の手を掴んでないほうの手で頭をぽんぽんとするシゲルの顔を見るためには、私は少し上を見上げなければならない。

「……私、毎日ここに来てたんだよ?」
「知ってたよ。ポケモンの世話したりしてくれてただろう?」
「シゲルと話したかったけど、忙しそうだったから……」
「ナマエと話したかったけど、たいしたことない内容を話すのは迷惑になると思ったから忙しくなろうとしてたんだよ」

白衣の袖で私の目を軽くおさえたシゲルは笑う。涙がしみ込んだ袖は、そこだけわずかに色が濃くなっている。
少し違った方向を向いていた私の考えをシゲルはいとも簡単に修正してしまった。

「ナマエは僕と違う?」
「……違くない。でも、ずっと話もできないなら来るのやめようと思ってた」
「それは困るな」

なまえが寂しいなら僕も寂しいからね。
そう言ってなんの違和感もなく私を抱きしめるシゲルはどこまで大人に成長したんだと思うほどだけど、少なくとも寂しいと感じるのは私と同じらしい。意外にも私とシゲルが似てることがわかったから、シゲルと同じ気持ちで白衣にしわができるくらい抱きしめ返す。

「でも研究所に来ても、私にできることって少ないよね」
「目的なんていくらでもあるから来たらいいじゃないか」
「どんな目的?」
「僕に会いに来てよ」

それ以上の理由なんて必要ないと言うかのようにそれは絶対的なものに感じられて、私の心を代弁しつつ理由さえも与えてくれたことに歓喜したいところだ。
でも、私はまだシゲルほど大人な対応はできないから、しょうがないなぁなんて言ってしまったけど、耳まで真っ赤だよと指摘するシゲルはきっと私の言いたいことはわかっているのだ。