Make up for me.

化粧は得意ではない。
元々あまり興味がないことで、軍に属している者だから必要も感じない。その上、たいていがガスマスクを着けているのだから意味がない。

しかし今回はやむを得ない事情があるので、間に合わせのコスメで適当に肌を彩る。

 

「……あれ、いきなりファンデーションってやっちゃいけないんだっけ?」

 

手に取ったパフを頬に当てたところで、私は手を止める。
たしか、下地だかをやってからファンデーションを塗らなくてはいけなかった気がする。この知識の薄さよ、と自分に呆れたけれど同時に開き直ってもいる。

すると突然に部屋の扉がノックされた。立ち上がる前に扉の向こうから声が聞こえる。

 

「愚図子ちゃん、アタシだけど」
「愚図子なんて人はここにいませーん。アタシアタシ詐欺の方は帰ってくださーい」
「何よ、失礼しちゃうわね。わざわざ親切にノックしてあげたっていうのに」

 

声としゃべり方で相手がエフだとわかった。
誰が愚図子ちゃんだ。それに加えて、ノックをするのは最低限のマナーだ。

くだらない冗談はさておくことにしたのか、それとも腹を立てたのかはわからないが、エフは扉を開けることなく話題を切り替えてきた。

 

「なーんか、さっきミカエルちゃんがアンタのこと探してたわよ」
「ああ、うん」

 

短く返事をして言葉が途切れた。
教えてくれただけで、もうさっさといなくなったのかもしれない。エフがここに長居する理由も必要もないだろう。
しかし一分も経たないうちにまた扉がノックされて驚いた。今度は少し乱暴なノックだ。

 

「『ああ、うん』じゃないわよ。さっさと出てきなさいよ」
「え……。いや、まだ集合まで時間あるし、準備できてなくて」
「銃と弾倉とマスクだけ持っていけばいいじゃない」
「今回はそういうのじゃなくて、」

 

そこまで言って、エフはめんどくさくなったのかついに扉が開いた。
ガスマスクを着けていないエフのお顔は今日も随分と麗しい。しかし、鏡を前に周囲に化粧品を広げている私にエフは訝し気に眉をひそめた。

 

「なぁに、いつもどすっぴんのアンタがお化粧なんてどういう心境の変化?」
「悪かったね。今日は出撃じゃなくて諜報なの、ミカエルと。ガスマスク着けてたら諜報にならないじゃん」

 

ああそういうこと、と納得したようだが私に向けられる視線は鋭い。

 

「それで、そのやっすそうな化粧品でやろうとしてたワケね。全然進んでないじゃない」
「やり方よくわかんなくて」
「ハァ!? アンタの年齢でお化粧も知らないとか正気……!?」

 

エフは口元に手を持っていき、心底ドン引きしたようなリアクションを見せた。
人ではない貴銃士に、なおかつ女性っぽい仕草と口調とはいえ、男性からそんなリアクションをされた私はもうどうしたらいいんだろうか。

エフは呆れたようにため息をつくと、近くにあった椅子を引っ張り私の隣に座った。

 

「ほら、こっち向きなさいよ。特別にアタシがやってあげる」
「え……」
「アンタのみっともないすっぴんとか、下手くそなお化粧顔で行ったら悪目立ちじゃない。それに、アンタがやってたら時間に間に合わないわよ」

 

椅子ごと体の向きを変えられ、鏡に映った自分ではなくエフと対面することになった。私が何かを言う前に、エフは化粧下地のチューブを手に取っていた。
手袋を外した手のひらに肌色の液が出され、それを付けた指先が私の頬に触れた。

頬や額、あごにほんの少量乗せられた液が丁寧に伸ばされていくのがわかる。
ファンデーション、チークカラー、アイブロウペンシル、アイシャドウ、マスカラ……次々と手にとっては手際よく使いこなすエフに、反抗する気も起きずされるがままだった。

なんとなく口を開くこともなく、時々エフと目があうだけだ。さすがにじっと見つめているのは憚られるので、エフの黒いネクタイを見ていた。

視線を下げていた中、急に顎に手を当てられ上を向かされる。驚いて声が出そうになったけれど、なんとか堪えた。

 

「そのまま口空けてなさい」

 

唇に口紅が当てられ、すっと横に引かれる。上下に同じような感覚が走ると、ちょっと口閉じて、と言われたので黙って従う。
調整するように小さく口紅が動かされた。そしてそのまま、額から顎まで私の顔をじっくりと見たエフは満足そうに口元を上げる。

 

「さっすがアタシ。自分のメイク技術が怖いわぁ~」

 

はい、いいわよ、と顔からようやく手が離れる。
鏡を覗いてみて驚いた。そこに映っているのは確かに私のはずなのに。

 

「……すごい、かわいくなってる」

 

自分で言うのもあれだけど、鏡に映る私はたしかに可愛かったのだ。
唖然としてしまった。化粧でここまで変わるとは。

 

「こんなチープなコスメじゃなかったら、もう少し良くできたと思うんだけどね~。ま、アンタの顔もこれで少しはマシになったんじゃない?」
「ほんと。エフすごい……、ありがとう」

 

可愛い顔を装備した私には、今日の諜報活動は絶対にうまくできそうという謎の自信すら湧き始めていた。見た目がいいというのは自信につながるらしい。
当然でしょ、とエフは自分の作品である私の顔をじっと見てくる。

 

「ホレボレしちゃうわ」

 

その目がどことなく熱っぽく見えたのは気のせいだったのだろうか。どくりと胸が鳴った気がした。

……そうは言ったけれどもまぁ当然ながら自分の技術に、ということだろう。そう思うことにした。