Intelligence Mission

全盲だが天才的なピアノの腕を持つ青年と、その全盲ピアニストを献身的にサポートする婚約者。

そんな設定の下で会場へと入るも、さすが上流の人間はドラマチックなことをすぐに信じてくれる。

ミカエルと腕を組んで、グラスを片手に上流貴族へ偽名を名乗り、貼り付けた微笑みで会話をする。
しかしながら本来の目的は、レジスタンスへ情報を流しているとされる者を特定することだ。目の前の貴族に対する会話とは別に、意識と神経は会場全体へ向けていなくてはならない。

ミカエルのマイペースさが果たしてどうかと懸念はあったが、ミカエルの天性の上流者ともとれる所作や言葉遣いは、普段のマイペースさを打ち消すように失言もない。

 

「いやはや、不自由をものともせずにピアニストとなるとは、偉大な御方でいらっしゃる」
「お褒めに預かり光栄ですよ、ミスター。それというのも、僕の婚約者が献身的に支えてくれるおかげです」
「そのようで。お若いのにしっかりしたご令嬢でいらっしゃるようだ」

 

中年紳士の言葉と共に、視線が私へ向けられる。
微笑みを浮かべて「恐れ入ります」と会釈をした。実際はご令嬢なんて地位の人間ではないけれど。

幸か不幸か会場にはグランドピアノが設置されており、ぜひその腕前を見せて欲しいという要望の下、ミカエルが演奏することになった。
城にある彼専用のピアノではないが、何より愛するピアノ演奏ができるということでミカエルも快諾した。私が支える形でミカエルをピアノの椅子に座らせる。

 

「さぁ、今日は何を弾こうか」

 

諜報の最中だというのを忘れるようないつもの口調で言うものだから、苦笑してしまう。

 

「今、ミカエルが弾きたいものをどうぞ?」

 

私もいつもの口調に戻り小声で返事をする。さて、こうなると。

 

「……私が傍を離れても、必要に応じて続けてね」
「ああ。わかっているよ」

 

ピアノ弾く準備の手伝いをするような素振りをしながら、小声で会話を続ける。

 

「目星は付いているの?」
「まだ絞り切れてないかな。特定するのに少し一人で動きたい。だから、ミカエルにはできるだけ長く演奏してて欲しい」
「わかった。僕も長くピアノが弾けるのは嬉しいよ」

 

男女ペアのふたりでいると、やはり次から次へとお偉いさんの世間話や美辞麗句の相手をしなくてはならない。
情報を流している者を特定するには、どうしても一人で動く時間が必要だ。

そのためにも演奏の要望を受けたのは幸運だったと言える。
加えて、ミカエルが演奏で会場にいる人々の目を引き付けていてくれれば、私もそれだけ動きやすくなる。

 

「無線は、入ってるよね?」
「うん。通信感度は良好だよ」
「そう。動きがあったら手はず通りによろしくね」

 

準備を終えたような素振りをし、小声の会話を追える。
演奏者である婚約者から楚々として離れようとすると、ミカエルに声をかけられる。

 

「お気をつけよ、ブランシェ」

 

今日のための偽名で呼ばれたということは、演技上の会話ということになる。
しかしそれはきっと、今からの単独行動に対しても言われているのだと、そう思うことにする。
立ち止まり、私も彼に合わせて穏やかに返事をした。

 

「ええ、ありがとうミゼル。どうか存分に」

 

私が離れると、ミカエルは優雅に鍵盤に手を置いて曲を奏で始めた。

クラシックは詳しくないので選曲はわからないけれど、やはり彼の演奏は美しい。それこそ、一瞬にして会場にいる人間の意識を集める程に。
そして徐々に、注目を集めつつも会場の良いBGMとなったようでお偉方は再び会話を始める。

壁際へ移動し、グラスを片手に会場全体を見渡す。

 

「レディ、少しよろしいですかな?」

 

するとにこやかに笑みを浮かべた紳士が近づいてきた。私も微笑みで応える。
了承すると、男は礼を言いながら自身の名前を名乗ってきた。参加者リストに載っていた名前だ。

 

「失礼ながら、あなたのお名前を伺っても?」
「これは大変な失礼を。ブランシェ・ラファエルナと申しますわ」

 

普段は絶対にしないような優雅な動きや口調で胸に手を当て、偽名を名乗る。

 

「以後よろしくしていただきたいところですな、ミス・ラファエルナ。……別の方から聞いたところ、あちらの演奏者の婚約者でいらっしゃるとか」
「ええ。彼がピアニストとして活躍できるよう、日々努めております」

 

言いつつ男の様子を伺った。
わざわざ私が一人になってから声をかけてきた。もしやと思い、少しカマをかけてみることにする。

 

「……ですが、私の家はすでに没落していますの」
「ほう、それはお気の毒な……」
「彼が活躍するために尽力しているのですが、現実問題、どうしても金銭の壁が立ちふさがるときもありまして……」

 

男は少し考えるように目を細めた。もう少し、か。

 

「それに、彼の視力を回復するための手術も必要ですの。けれど……やはり医療とはお安いものではありませんのね。……ああ、失礼。生臭いお話をしてしまいました。忘れてください」

 

困ったような微笑みを浮かべながら、そっと目を伏せる。すると男が声を潜めた。

 

「婚約者のために尽力するあなたに、いいお話があるのですが」

 

──かかった。
さもそれに興味を引かれたかのようにぱっと顔を上げる。

 

「この場でお話しするには少々繊細な内容でして。よろしければ別室でいかがでしょう? すぐに一室用意させます。婚約者の方にもご内密にいたほうがよいかと思うので、彼が演奏をしている今のうちに」

 

少し迷うような素振りを見せた後で、ゆっくり頷いてみせた。

 

 

明らかに特別待遇とわかる薄暗い部屋に、カードをめくる音が静かに響く。

 

「……そうですか、そのようなルートで武器の売買を」
「ええ。独自ルートが確保できているおかげで、世界帝軍にも漏れておりません。それ故に、反組織へ確実に売れるようになっているんですよ」

 

話を聞いた限り、今回のターゲットはこの男で間違いなさそうだった。
しかしどうやら世界帝軍の情報を流しているというより、裏ルートにより武器を売り流すブローカーだったようだ。

金に困っているお偉方を狙い、武器売買の手伝いをさせ報酬を渡す。いざとなったときにはその人間を突き出し、自分の手は汚さない。
そういう形の商売のようだ。だからこそ今まで罪を問われた者たちは主犯ではなかったということだろう。

 

「近々、話に聞いているレジスタンスへも営業を試みる予定なのですよ。彼らの応援をするわけではありませんが、我々も商売なので」
「レジスタンスの影響も、なかなか大きいですものね」
「いやはや、あなたが話のわかる方で嬉しいですよ。……して、いかがでしょう? 婚約者を支えるあなたにとって、非常に良い条件だと思うのですが」
「ええ、たしかに。……ディーラーとしてのお手が止まっておりますよ?」
「おっと失礼。カードを配りましょう」

 

男の手がトランプの山をめくり、テーブルの中央に私の分と、自分の分の二か所にカードを展開する。

 

「あなたのカードは六と四だ。どうしますか?」

 

向かいのソファーに座った男は自分の手元にある山札と、展開されたカードを見やる。私は山札を指さした。

 

「ヒット、でお願いします」
「わかりました。もう一枚配りましょう」

 

またカードをめくる音がする。
私の側にあるカードの場には六と四のカードがある。そこにジャックのカードが重ねられた。

 

「おやおや、かなりいい手だ」
「そのようですね」
「このようなカードゲームは不慣れだとおっしゃっていましたが、あなたのような強運者を見ると商売人と勝負師の血が騒ぎますよ。ブラック・ジャックでこれほど熱くなるのは私も久しい」

 

光栄です、と笑いかける。
本心かどうかは不明だが、こちらを持ち上げてくる男の口調はまさに商売人に相応しい。

 

「さて、ここまでの話を聞いていかがでしょうか」

 

男は一度、テーブルのカードに目をやってから私を見据える。
この場で答えを出せと迫っているような。

仮に答えがどうあれ、おそらくこういった話を聞いた人間は強制的に引き入れられるのだろう。

『ここまでの話』は男の、闇に染まった手の内だ。金欲しさに快諾すればめでたく闇の仲間入り。
仮に断るとしたならば、手の内を話した人間をやすやすと帰すわけがない。脅迫でもして無理やり闇に染まるか、この場で殺されるか。そのどちらかなのだろう。

この男とホテルの支配人と思しき人物は、このような豪華な部屋をすぐに手配できてしまうくらいに馴染みがあるようだった。
このホテル全体も『商売』に一枚噛んでいると思ってよさそうだ。

男は人が好さそうに笑みを浮かべる。

 

「あなたは聡明な方のようですし、こちらとしても良い待遇をご用意しますよ。何より、婚約者のために尽力するあなたの姿勢に胸が打たれます」
「……先に、この勝負を終わらせてからお返事をしても? 勝つか負けるかの結果が気になって仕方ありませんの」
「ああ、言われてみればそうですね。ゲームを終わらせてから改めて商談といたしましょう。では……あなたの手はすでに二十だ。ここはスタンドでよろしいですね?」

 

今行われているブラック・ジャックは、配られたカードの数字を二十一に近づけていくトランプゲームだ。

プレイヤーである私は、山札からカードを何度も引けるが二十一を超えてしまうと負け。
今の私の手は二十、これ以上カードを引くのは確率的にほぼ負けることになる。
このまま勝負して、ディーラー側である男のフェイズに入るのがいいに決まっている。だが、首を横に振った。

 

「いいえ、ヒットで。もう一枚お願いします」

 

男は目を丸くした。

 

「それは構いませんが……。確率を無視したその判断は、賢明とは思えませんねぇ」
「ええ、そうですね。でも、もういいんです」

 

令嬢という設定の下で綺麗に微笑むのは、この一回で最後だ。

従来通りではない、静かな音が響いた。

男は先ほど、婚約者のために尽力する私の姿勢に胸が打たれると言った。

 

「──だってあなた、私に『胸を撃たれた』んでしょう?」

 

サイレンサーを装着した銃からは、ゆらりと煙が吐き出される。
向かいの男は声を上げることもなく、呆然とした表情のままでソファーの背もたれに倒れていった。胸の真ん中が赤く染まっていくのがわかる。

本来は親玉を潰すことが目的ではなかったが、場合によってはその場で処分することを許可されていた。
残りの関係者はその裏ルートから当たって行けばいい。

銃を後ろ手にホルダーへしまい、無線を入れた。
基地の通信部へ個別のナンバーコードを伝えて、別の回線へ繋いでもらう。

作戦自体はおおむね終了だが、あとはこのホテル全体の後始末が必要だ。そのための援助部隊を要請する。
それを終えてから本来の回線をつないでみると、ピアノの美しい音が聞こえる。

 

「ミカエル、作戦はパターン3にて終了。援助部隊の要請はもうしたから、いいところで切り上げてもらえる? 私もそっちに戻るね」
『……ふむ。まだ弾き足りないけれど、了解したよ』

 

演奏中ゆえに小声ではあったが、ミカエルの無事も確認できた。
メインホールに戻ろうと立ち上がりかけて、ふとテーブルに目をやった。テーブルにはトランプのカードが展開されたままだった。

私が男を黙らせたが故に、勝負の行方などはもはや勝ちも負けも関係なかった。
いや、これは私の勝ちでいいだろう。ディーラーがいなければ問答無用でプレイヤーの勝利、無茶苦茶なのは承知の上だがそれでいい。

だが、徐に山札に手を伸ばした。
先ほど私はヒット……もう一枚カードを引くことを宣言した。それに従い、カードを一枚引く。

 

「……は、」

 

思わず笑いが零れた。

 

「失礼、ミスター。この勝負、どのみち私の勝ちだったみたい」

 

いよいよソファーから立ち上がり、物言わぬ男へめがけて、引いたカードを飛ばした。

私の場のカード合計を二十一にした、スペードのエースがひらりと落ちたのを見届けて私は部屋を後にした。