「やっぱりエフの部屋って広くていいよね」
部屋にふたりでいつつも、目立った会話もなくお互いに本だの雑誌だのを眺めてしばらく。
彼女が不意に発した言葉にエフは隣を見やった。
言葉の通り羨んでいるのか、彼女はぐるりと部屋の内部を見回している。
こうして何の違和感もなくこの部屋に居座る存在のくせに、何を今さら。……ということは言えずで案の定、
「当たり前じゃない。アンタみたいな低い階級とは違うのよ」
相手の階級を馬鹿にする言葉が息をするように口から出た。言ってから、また余計なことをと口をつぐむがもはや遅い。
しかし彼女は別段怒った様子もなく苦笑した。
「はいはい、さすが特別幹部様は違いますねー」
彼女が怒らないからいいものの、普通であれば喧嘩が勃発していてもおかしくないと思える。
そうならないのが、こうして彼女とエフが関係を保てている所以だろうと思うと、彼女の懐の広さに甘えているような自分が少し情けないような気もする。
低いと言いつつも彼女は階級持ちで、尉官である。
故に寮棟でも一人部屋を与えられているが、エフを始めとした特別幹部のような広さと華やかさを持つ部屋ではないのは知っている。
同時に、彼女の部屋には余計なものが置かれていないことも知っている。
今こうして隣にいる姿と、所持品のまま出撃できてしまう。街にふらりと出ていけてしまう。
仮に、今すぐ軍から去れと言われてもそれがきっとできてしまう。
まるで、いつでも身一つで生きているような彼女を知っている。
「私、こういう広い家に住みたいと思ってるんだよね」
「……ハア?」
そんなことを考えている間に、彼女が続けた言葉にエフは首を傾げた。
彼女の手元に視線を落とせば、どうやら眺めていたのは家具の紹介ページであったらしい。そこには椅子やらテーブルやら、おしゃれだったりシンプルだったりというデザインのものが紹介されていた。
そこに写っている、モデルルームやモデルハウスを見て彼女は今の発言をしたらしい。
「エフの部屋、ちょっと窓が小さいかなぁ。窓が大きいほうが日の光も入るし、そのほうがいいかな。今座ってるような、こういうソファーの置けるリビングもあるといいと思うんだけど」
「アンタ、何言って、」
何言ってんの。そんなこと考えてどうするのよ。
言いかけた言葉は、途中で出なくなった。
彼女の横顔は、単純に楽しそうで、どこか穏やかであったから。そして、何かいろいろなことを理解しているようであったから。
彼女は自立した成人女性だが、身寄りがないことは聞いていた。それ自体は特別珍しいことでもない。
だが仮に、軍をやめてひっそりと自分だけが住むというには、写真のモデルハウスは大きすぎる。
声こそ出さなかったがエフは不機嫌を表すように眉を上げた。
……なんでアタシの前で、そんな話するのよ。
これではまるで、相談を持ち掛けられているようではないか。
エフと共に住むために。私はこういう家がいいけど、エフはどう?
そんな風に問いかけられているようではないか。
だが彼女がこちらを見上げてくると同時に、不思議と不機嫌は消え去っていった。なんてことないように笑い「どう?」などと問いかける彼女に、エフも何かを感じたのだ。
彼女はどういうつもりなのか。
こうして衣食住はあるのに。お互いに軍に在籍しているのに。
──アタシは、人間じゃないのに。だからこんなことを話したところで、意味なんかないのに。
けれども彼女は至っていつも通りだから、自分ばかりが重苦しく受け止める必要もないかとエフは思い直した。
彼女が何を思って話を振ってきたかはわからない。エフが考えたように、何かしら重たいことを考えていたのかもしれないし、ただのいつも通りである可能性だってある。
エフは小さく笑って、自分が開いていた雑誌を閉じてテーブルに置く。
隣にいたとはいえ、少しだけ空いていた距離を当たり前のように詰めた。お互いの腕が触れ合う近さも、何も違和感などない。
「寝室は綺麗なのがいいと思うわよ」
「そうだよね。この写真の部屋、ベッド二台も置けるかな」
「一台置ければ充分じゃない。ダブルで事足りるわよ」
一瞬きょとんとしたように彼女は呆気に取られたようだったが、すぐに微笑んだ。
「そうだね、そうしようか」
「キッチンはアタシが選ぶわ。アンタ、どうせ料理しないでしょ」
「たまにはするよ、たまにね」
「だからアタシが選ぶって言ってんのよ」
彼女の手元に目をやりながら、時折写真を指差して自分の希望を伝える。
「ふたりだと、ちょっと広すぎるかな?」
「いいんじゃない? アンタの部屋みたいに狭いよりましよ」
「それは余計でしょ」
いつものように軽口を叩いて笑って、相談は続く。
いつの間にか、彼女は頭をエフの肩にもたれさせていた。
それは完全にすべてを許して委ねている距離で、それがわかっていたから、エフも彼女の頭に自分の頬を寄せた。
お互いに、特別なことではなく、むしろそれが当たり前であるかのようにそのまま会話は続いた。
シャワー室はこのデザインがいい。
食事を摂るテーブルはこれがいい。
クローゼットはこれにしよう。
庭に花壇も欲しい。それなら花はこれを植えよう。
「アンタ、こういうデザイン好きでしょ」
「あ、よくわかったね。これいいなって思ってた」
「じゃあ、椅子はこれで決まりね」
こんなことを事細かく相談したところで、これにしようなんて決めたところで、だ。
どうせ、それが実現に至ることなどないだろうけれど。
言うまでもなく、互いにそれを充分過ぎる程に理解しているだろうけれど。
それでも今くらいは、馬鹿みたいに穏やかに笑って、こうしてままごとのようなことしていたっていい。
彼女は人間でエフは貴銃士で、それなのに共に住むことになんの疑問も抱かないくらい、今だけは夢を見たっていい。