Dear Sir…

──アーロン様、その後、赤と緑の両国は条約を締結し、今後は一切の国家戦力を放棄することを認めました。ロータはその仲介を務め、またこの地には平和が訪れましたよ。

 

 

慌ただしく過ぎ去っていったが、それは体感速度の話であって、これだけの大きな問題はやはり時間はかかるものだ。
それでも町へ出る度に、人々が戦争に巻き込まれるという恐怖におびえた顔をしていないのはとても幸せなことだ。

 

「リーン様、お茶が入りましたので休憩なさっては?」
「ええ、そうですね。ありがとう」

 

リーン様は羽ペンを置いた。
両国の仲介を務めたロータの責任も大きい。リーン様もお疲れになっていらっしゃるはずだが、それよりも再び平和を得ることができた喜びのほうが大きいのかもしれない。主人の表情が明るいのは従者としても嬉しい。

お茶を飲みつつ、お茶請けのケーキを食べ終えられたのでお皿を下げる。カップに二杯目のお茶を注ぐと、リーン様は再び羽ペンを手に取った。
公務を再開するという合図なので、わたしは必然的に部屋を出ることになる。

 

「それでは、また後程お伺いいたします」
「ご苦労様でした」
「はい。……あ、リーン様」
「どうかしましたか?」

 

ここ最近、とてもそれどころではなかったから、言いそびれていた。改めて、お礼を言わなければ。

 

「申請を聞き入れてくださったこと、心から感謝いたします」
「ええ。……ごめんなさい、何もしてあげられず」
「とんでもございません、充分です。それでは」

 

公務室を出て廊下を歩き、城の外へ出る。
階段を下りたなら、あとはもう目を閉じていても歩けるほどに慣れた行き先だ。石造りの庭をコツリと鳴らしながら上を見上げると、晴れた空にピジョットが飛んでいる。

あの子は主人がいない状態であっても、城からいなくなることはなかった。事実上は自由なのだから不思議なものだが、やはり主人に思うものがあるのだろうか。
手を振るとわたしに気づいて降りてきてくれる。大きな体躯に反して、その動きはとても穏やかだ。

 

「ピジョット、今日は羽を綺麗にしようか。あとで部屋に来て?」
「ピジョ」

 

嬉しそうに笑ったピジョットは再び飛び上がり、城の周囲を旋回し始める。
足を進め、植物の通路を抜けて角を曲がる。部屋の前にはウインディが横になっていた。それほど日は経っていないのに、ずいぶん慣れた光景になった気がする。

 

──そうそう、リーン様にお願いして、わたしは部屋を変えてもらったのです。

 

離れになっている一つの部屋。
アーロン様とルカリオが使っていた部屋だ。その申請をしたとき、リーン様は一も二もなく承諾してくださった。

 

「ウインディ、部屋の中に入っててもいいんだよ?」
「ガウ」
「ああ、日向ぼっこ? たしかに今日は天気がいいからね。そうだウインディ、毛を綺麗にしようか」
「ガウッ!」
「よし、ちょっと待ってね」

 

部屋の扉を開ける。わたし一人で使うには少々広すぎる部屋だが、大は小を兼ねるからそれほど気にすることではない。

リーン様は承諾してくれた時に「いいのですか?」とわたしに問うた。あの部屋はつらくないのか、と。
ここには、アーロン様とルカリオの名残りが多すぎる。つらくないと言ったら大嘘だ。そこまで図太くはなれない。

でも、使用者がいなくなればこの部屋は片付けられ、倉庫のように扱われてしまうことは目に見えていた。それが嫌だった。彼らがいた名残りすらも無くなってしまうことのほうが、よほどつらい。

 

──ああ、そうだ。ご報告があるのです。
アーロン様は世界を救った者として、ロータの歴史や城の記録に名前が記されるそうです。大広間や謁見の間に、肖像画を置くことにもなりましたよ。

 

ぐるりと部屋を見渡す。
部屋にいていろいろと思い出すことは多い。寝付きだってよくない。原因はわかっているから、その度に悲しくなる。でもあの日以来、不思議と涙は出ないのだ。

 

「どうしてだろう」

 

──このようなわたしはひどい人間なのでしょうか? それともこのようなわたしを、アーロン様は「強い人だ」と言ってくださるのでしょうか。……少し、違うかもしれません。

アーロン様、わたしはあなたに怒っています。あなたは愚かだとも思っています。

世界を救ったあなたは偉大です。ですが、あなた自身を犠牲にしてしまうことを、一体誰が許したのですか? 少なくともわたしは許しておりません。
……とはいえ、きっとあれはアーロン様にしかできなかったことで、それをしなければ多くの犠牲が出ていたのでしょう。しかしそれでも、アーロン様が犠牲になっていい理由にはなりません。

それに、わたしにこれだけ多くを刻み付けておきながら一人でいなくなるなど随分ひどい仕打ちです。
ですから、わたしは怒っているのです。もし目の前にあなたがいたならば、今すぐ拳で思い切り殴り倒してしまいたいくらいには怒っています。そのような思いがあるから、涙が出ないのかもしれませんね。

 

サイドチェストからブラシを取って、再び部屋の外へ出る。

 

「ウインディ、少しじっとしててね」

 

頭や首の毛を梳かしていくと、心地良さそうに喉を鳴らす。
ウインディも何も変わらない。簡単に日常に戻っている。わたしも彼も。部屋が変わっただけで、それ以外は以前のままだ。

そうしていなければいけないのだ。悲観に暮れてアーロン様が戻ってくるというのなら、いくらでもそうするけれど。
だが、体というのは思っているよりもずっと丈夫だ。涙なんて一日ももたない。泣いても叫んでも体は朽ちない。だからわたしは今も生きている。

アーロン様の後を追うなどという、馬鹿なことはしない。アーロン様がそれを望むのなら、そもそもわたしを置いて行ったりはしない。

それに、もしかしたらある日突然ルカリオが封印から解放されるかもしれない。そうしたら、アーロン様の真意を彼に伝えなければならない。無鉄砲に勝手をしたアーロン様に代わり、わたしがその役割を担わなければ。

 

「ピジョーッ」
「あ、ピジョット。もう少し待ってくれる?」
「ガウッ」
「わかってるよ、ウインディが優先だっていうのは」
「ピジョ?」
「うん。終わったらおやつにしようね」

 

(拝啓、貴方様)

──わたしは今日も生きています。
しかしながら、あなたを想って泣かなくなったわたしは、強くなったわけではないのです。

 

お題:確かに恋だった