冬の夜に星と語る

暗い足元を小さなランタンが照らしてくれている。
前を歩く背中から離れないように、それでも足元に注意を払いながら進む。すると前の背中が立ち止まったので私もそれに倣う。顔を上げると、ベスがこちら振り向いていた。

 

「平気か?」
「あ、うん。大丈夫だよ」

 

お互いがしゃべる度に口から出ていく息は白くなって、夜の黒に消えていく。
見栄などではなく事実、大丈夫だったけれどベスは少し考える表情のあとでこちらに手を差し出してきた。

 

「……ほら」
「わぁ、ありがとう」

 

断る理由もないし、おそらく彼は私が歩きにくいのではないかと純粋に心配してくれたのだろうから素直に手を取った。私としては、手を繋げるなんて嬉しいという、下心にも似た気持ちのほうが強いけれど。

手を繋いだことで、私はベスの後ろから隣へと移動する。
ランタンで足元を照らしながら、ベスは私の手を引いて再び歩き出した。
夜の森は静かだ。しばらく歩くと、やがて木々がない開けたところに出た。どうやらここが目的地らしい。
繋いでいた手を離し、ベスは小脇に抱えていた皮布を地面に広げてそこへ腰かけた。私もその隣に座る。
ランタンを少し離れた場所に置くと、その明かりが届かない周囲はこれまでよりも暗くなった。しかし充分なくらい明るいのは、

 

「すごいね。とっても綺麗!」
「そうだろ?」

 

私の反応に、ベスの声は少し得意げだった。
私たちが見上げる頭上には、これでもかというほどの星が輝いている。なぜ私たちが、凍えそうな冬の夜に基地を出ているのかという理由はこれだった。

いい場所を見つけたんだけど、よかったらどうだ?
そう誘ってくれたのはベスだった。私は喜んで誘いを受けたけれど、晴れていなくては星は見えないから、私たちは数日間晴れた夜を待った。それが今日だった。
しかし晴れた夜は必然的に冷え込む。だからこんなにも寒い。
手をこすり合わせながらも、私は綺麗な星空に完全に夢中だった。
星座とかはわからないけれど、こんなにも綺麗な星空を見たのはいつぶりだろう。もしかしたら、私は今日初めて星空を見たんじゃないか。そんなことを考えてしまうくらいにとても綺麗だ。
しかしやはり体が追いつかないのか、ぐずりと鼻が鳴ってしまう。

 

「おい、風邪ひくなよ?」
「うん、たぶん大丈夫」
「たぶんって、おまえなぁ……。温かい格好して来いって言っただろ」
「してるよ! 手袋は忘れたけど……」
「そういうのを詰めが甘いっていうんだよ」
「ベスだって手袋してないのに」
「俺は別に平気だからな」

 

ふふんと笑うベスに私は押し黙るしかない。
たしかに先ほど手を繋いだ時も、ベスの手はとても温かかった。子供体温なのかもしれない。
これでも厚着をしてきたけれど、刺すような寒さはそれすら貫通してくるような気がする。

ベスが小さく息を吐いた。白い息がまた消える。
するとベスは徐に自分が着ている外套の裾を持ち上げ、そっとひらめかせた。
え、と驚いたけれど、私が考えたこととベスの意図が合っているのか自信がなくて躊躇ってしまう。やがて彼は眉をしかめた。

 

「おい、早くしろ。俺も冷える」
「え……いいの?」
「いいから言ってるんだよ。おまえに風邪ひかれたら困る」

 

最後の言い方が少し尖ったようだったのは、きっと照れたのだろうと思う。私もつい照れつつも笑う。
遠慮はやっぱりあったものの、英国紳士の厚意を無下にしてベスの体を冷やしてはいけないとも思った。すぐ隣にいる外套へもぞもぞと潜り込み、広めの襟ぐりから顔を出した。

 

「え、と……お邪魔します」

 

予想はしていたしわかっていたけれど、案の定ベスの顔が近くて思わず俯く。「ああ」なんてベスはあっさり返事をしたけれどきっと照れていることを私は知っている。
ぴたりと寄り添ったおかげで、ベスの体温が移動するようにじわりと体が熱くなるような気がする。恋人とはいえさすがにこの密着は恥ずかしい。でも、もうここまで来たなら他に何を躊躇うことがあるだろう。
……いいや、どうせだからとことん。開き直った私はベスの肩に頭を乗せた。ごまかすようにそのまま星空を見上げる。

 

「ベスは星座とかわかる?」
「少しだけなら。この場所を見つけてから勉強したからな」
「さすが、騎士は勤勉だね」

 

まぁな、と返事がなされると同時に、背中に腕が回されるのがわかった。腰辺りに手を添えられるけど不快な感じは全くない。ただ心地の良い温かさに当てられる。

 

「ほんとに冷える前には戻るからな?」

 

うん、と返事をする。でもおそらくすぐには戻らない。
もうしばらくはベスと一緒に星を見ていられる。大きな照れと、少しの緊張と、寄り添ってくれるベスのおかげで体は徐々に温かくなっていくから。
なんなら、ベスがこうしてくれるなら、いつまでだって体は冷えないかもしれないと思えた。

途中から、寒い、という感覚はもはや頭の片隅だった。
もしかしたら、私はすでに寒いと思っていないのかもしれない。

 

「あの明るいのは何座?」
「いや、明るい星一個で星座なわけじゃないからな? あれはおおいぬ座のシリウスだ」
「あ、冬の大三角っていうやつのひとつ?」
「ああ。おまえも少しはわかるのか」
「ベスが思ってるより、ほんとに少ししか知らないよ」

 

冬の夜に、ベスと星空を見始めてからどのくらい経ったのだろう。時間の経過を考えるなどというのは、今の私たちには野暮なことに思えて考えるのをやめた。
ベスの外套に入って温まりながら、座り込んで見ていたはずだった。しかしながら、気づけばいつの間にかふたりして地面に寝転がっていた。そのほうが首も痛くならないし、星も良く見えるというメリットがあった。

ふと目を閉じて、ゆっくり息を吐いた。こうして大自然が生み出す美しいものを見ていると、自分はとても小さな存在なのだと思い知らされる。
きっと、おそらくは、私が死んでも世界は変わらず動き続けるんだろうと考える。そんな、哲学っぽいようなことを考えてみたところで何も変わりはしないけれど。

 

「今も綺麗だけど、……何もない世界での星は、きっともっと綺麗なんだろうね」

 

何もない世界。争いもなく、人もおらず、自然が息するだけの世界。
人間が入る余地などどこにもないような、そんな世界でこそこの景色はより美しいと思える気がする。
ベスからの返事はすぐに返ってこなかった。今のは独り言に近いものだったから仕方がない。私も特に、何かを答えて欲しいわけではなかった。

 

「……何を考えてるんだ?」
「何も。……ごめん、嘘。自然の中だと、私なんてこんなに小さいから」

 

世界帝とかレジスタンスとか、そんなことも世界が壊れてしまえば関係なくなる。世界の中では、私なんてこんなにちっぽけなのだから。
一度、目を開いてまたゆっくりと閉じる。瞼の裏の世界は、暗くて黒い。

私がマスターであるからとか、そんなことも今は関係なかった。
マスターであることを抜きにしてもだ。結局、自分たちがどこまで戦って、何をすればいいのか。こうして戦っていても、ゆっくりと世界は終焉に近づいていそうで。
──投げ出したくなる。そんなことは、よりにもよってベスの前では口が裂けても言えないけど。

 

「だからいっそのこと何もない世界だったら、星はもっと綺麗だし、世界も穏やかになるのかなって」

 

ああ、自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。せっかくのふたりの時間だったのに、嫌な空気にしてしまった。
押し寄せてきた漠然とした不安と、申し訳なさで潰れてしまいそうだ。

 

「それは、そうかもしれないけど、」

 

しかし私の予想に反して、ベスは声音を変えることなく口を開いた。

 

「仮に世界がそうなったとして、その世界でも星が綺麗かどうかの保証はないんじゃないか?」
「……どうして?」
「何もない世界って言うなら、俺もおまえもいない。何もなくて誰もいないんじゃ、誰が星を綺麗だと思うんだ?」

 

そう言われて、目を開いた。暗かった世界には、満天の星空が映るようになった。

 

「……そう、だね」

 

かろうじて小さく返事をすると、外套の中で不意に手を握られた。手袋をしていない、温かいベスの手だ。
ベスの手を握り返すと、少しだけ涙が出そうになった。
そうだ。誰かがいれば隣は温かいし、何かは美しく見えるし、心は満たされるものだ。例えその時の世界がどうであれ、その感覚は変わらない。
今の世界がつらくて苦しくても、見上げる星は美しい。

 

「明日も夜、晴れるかな」
「どうだろうな。何かあるのか?」
「晴れたら、明日もベスとここに来たい」

 

明日を無事に迎えられる保証だってないけれど、それでも明日を語っていたい。
ベスがこちらを向いたのがわかったので、私もベスのほうに顔を向けた。自然と額がくっついて目を閉じる。

 

「ああ、わかった」

 

何度でも連れてきてやるよ。
そうベスが約束してくれたので、明日の小さな夢はきっと叶えられるのだろう。