敵に背を向けることはできない。
騎士の名折れだ。いかなる時も最後まで、勇敢に。それが自分の信念だが、彼女は悲しそうに笑う。
言いたいことはわかっている。彼女は自分に生きて帰ってきて欲しいのだ。シャルルヴィルに近い考えであるらしいことは既に知っていた。
しかしどうしても、自分の誇りと信念にかけて敵前逃亡は致しかねる。状況にもよるが、自分が戦い抜くことで彼女を守れるというのなら、なおさらだ。
「嬉しいけど、あんまり嬉しくないかな」
「そうか。悪い」
悪いと思ってないでしょ、と彼女は困ったように笑う。
守らなくてはいけない。彼女のことは絶対に。マスターであるから。それが最たる理由だが、今はそれに付随する理由もある。
「恋人を残して死ぬのが騎士の流儀なら、それは全力で反対したいね」
「そうじゃない。俺の都合だ」
「なら余計にだよ」
騎士という囲いではなく、ブラウン・ベス個人の流儀であるのならなおのこと反対したいと彼女は言う。
生きて戻って欲しい。必要ならば敵に背を向けて欲しい。
そういった彼女の願いはわかっている。理解している。自分だって、彼女を守るためには、生きていなければそもそも話にならない。
それでもいざ敵に背を向けなくてはならないときに、自分にはそれができるのか。
正直なところ自信はない。彼女を守るために戦い抜かねばならないときには、余計に。
そのときはもちろん彼女を守ることが最優先だ。それで自分がどうなろうとも。それが彼女の最も恐れることだとわかっていても。
彼女の腕を引いて距離を詰める。互いの額をぶつけると、彼女は困ったように笑う。この状況に困っているのか、ブラウン・ベスの曲がらない信念に困っているのか。
「……どうしても、だめ? 私のところには帰ってきてもらえない?」
「……確約はできない。俺は騎士だ。おまえを守るためにも、簡単に誇りを捨てることはできない」
「うん、知ってた」
そうだよね、と彼女は目を伏せる。
「でも、やっぱり私はベスが好きだから、帰ってきてもらえなかったらきっと泣いちゃうなぁ」
「そこまで好かれてるのはありがたいもんだな」
そっと彼女の髪を撫でると、背中のほうへ腕が回った。溶け込むように伝わってくる温かさが、彼女の愛情を示しているような気がした。
「私が一緒にいるときは、ぶん殴ってでも連れて帰るつもりだから。そこだけわかっててね」
「それは穏やかじゃねえな」
茶化してはいるがおそらくは本気だろうなと思えた。
自分がそうであるように、彼女にも曲げられないものがある。
それでも、敵に背を向けて必ず戻ると言うことはできないけれど。その代わりと言わんばかりにベスは口を開いた。彼女は少し照れたようだが、うん、と嬉しそうに笑った。
──許してくれとは言わないが、愛しているとは言っておく。