スイートガールメイカー

朝から様子がおかしいなとは思っていた。
そっけなくなった自覚はありながらも挨拶がてらに声をかけてみたが、おはよう、と一言返されてそそくさとマスターは去って行った。
マークスだったらさぞやショックを受けていたことだろうと思える反応だった。その点ライク・ツーは、様子が気になりこそすれ大きなショックは受けなかった。

でもやっぱり何かおかしい。実技訓練中も、彼女はどこか落ち着かないように見え、持久走のスピードもいつも通りではなかった。ライク・ツーからはそう見えた。
どこか怪我でもしてるのかと思ったが、あくまで様子がおかしいというだけで体のどこかを庇って動いているというわけでもなさそうだった。

朝から気になっていたし、仮に本調子ではないのだとしたら、そんな状態で怪我でもされてはこちらが困る。
そう思って夕方になって彼女の部屋を訪ねてみた。
女子寮のエリアへ向かうには、学生寮の共有ロビーを通過しなくてはならないため必ず寮監の目に入る。

ライク・ツーを含めた一部を除いて、騒がしい貴銃士たちが何かとマスターの部屋を訪ねるのは珍しくない。寮監もすでにそれを理解しているからか、マスターに用がある、というのが明確である場合に限り貴銃士が女子寮へ向かうことを許可されることも多々あった。

最初の頃は、マスターと貴銃士という関係といえど男が女子寮に入ることは当然ながら咎められた。
しかしマスターの持つ薔薇の傷や、アウトレイジャー討伐で怪我をするなどの影響もあり、彼女に世話が必要になることも多くなった。だからこそ特例で女子寮へ入れるようなものだ。
一般の女子生徒より、詳細な事情をわかっている貴銃士たちが世話するほうがマスターの心労も少ないだろうという配慮でもある。

だが一応、寮監を納得させる理由は嘘でもあったほうがいい。
賢明なライク・ツーはそう考えて、救急箱やタオルを手に持って向かった。ロビーにてやはり寮監に一度声はかけられたものの、マスターの傷の手当てをしに行きたいと伝えるとすんなり通してくれた。
おそらくはこれがベルガーだのスナイダーだの、一部の貴銃士だったならばこうはいかないだろう。普段の行い、ないしは信頼の差というやつである。

 

「おいナマエ、いるか」

 

ノックしてみれば扉の奥で物音がする。少ししてから近くで声が聞こえた。

 

「ライク・ツー……? どうかした?」

 

開かれない扉と返事に、やっぱり今日の彼女は何かがおかしいと確信した。
いつもならば相手が誰かわかった時点で扉は開かれる。今日はそれがない。

 

「どうかしてんのはお前のほうだろ。体調悪いのか?」
「え、なんで?」
「元気ならまず扉開けろ」

 

えー……だの、あー……だの、わずかに抗議の意味を含んだような声の後に、ちょっと待ってと伝えられる。扉の向こうで少し足音がしたと思えば、薄く扉は開かれた。

 

「……どうしたの?」
「こっちのセリフだ。朝からなんか変だろ」
「え……そ、そんなことはないけど?」

 

わずかしか開かれない扉に、少ししか顔を見せようとせずどことなく挙動不審なマスター、と素早く様子を観察する中で気が付いた。
部屋の中であるにも関わらず、彼女は制服の軍帽を被っていた。もうすでに授業も訓練も終わっており、自室で軍帽を被り続ける理由は特にないはずである。

 

「なんでまだ軍帽被ってんだお前」
「え……、いやそれはもちろん、誇りある士官候補生としての自覚を保つために私なりの努力、」
「あー、はいはい。そういうわかりやすいウソはいらねえんだよ」
「あ、ちょっと……!」

 

扉の隙間から腕を伸ばし、彼女の頭から軍帽を取り去った。おそらく挙動不審の理由はこれにある。そう確信した。
軍帽を取り上げてみてライク・ツーは呆気にとられるが、彼女のほうは悲鳴でも上げそうな勢いで自分の両手で必死に頭を隠そうとしていた。

 

「……どうした、それ」
「……切るの、失敗して」

 

取り上げた軍帽の下には、ひどくざんばらになり乱れている彼女の髪があった。

 

 

「なんで美容室行かなかった」
「土日が予約でいっぱいって言われて、予約が取れなくて……。でも伸びてきてるの気になってしょうがなかったし、行きつけじゃないところで切るのもちょっと嫌で……」
「で? 昨日自分で切ってこのザマになったわけ?」
「すいません……」

 

なんで私は尋問を受けるかのような雰囲気で、本人に迷惑をかけたわけでもないのにライク・ツーに謝っているのか。

軍帽を取り上げて勝手に私の髪を見たライク・ツーは、とにかく中に入れろと部屋に乗り込んできた。強制的に私を椅子に座らせ、私の後ろで髪の様子を確認している。
テーブルに置かれた救急箱とタオルは何のために持ってきたのか。そんなことは今は聞けそうにない。

 

「あーあ、ひっでーな。襟足がアシメとかバカの極みか。後頭部のレイヤーもがったがた」
「だって、いくら鏡見ても自分で切るのって難しいよ……!?」
「難しいってわかってたのになんでやったんだよ。無駄なとこでチャレンジ精神出すな、ジョージか」

 

後ろから容赦なく飛んでくる正論に黙るしかなくなってしまう。たしかに、昨日自分で髪にハサミを入れてから、やらなければよかったとおおいに後悔したものだ。
とりあえず、ここで引き合いに出されたジョージに急に申し訳ない気持ちになった。
呆れたようにため息をついたライク・ツーは、持ってきていたタオルを手に取ると私の首に巻き始めた。

 

「え、なに……?」
「さすがに鏡くらい持ってるよな? どこに置いて、……あ、あれか。いい、座ってろ」

 

私の質問には答えず、自分だけで話を進めていくライク・ツーは卓上鏡を取ってきたと思うと、テーブルの上に置いて私の前にセッティングした。
救急箱を開けて付属のハサミを取り出したのを見て、ようやく私は彼が何をしようとしているかを理解した。

 

「もしかして……切ってくれるの?」
「少なくとも今の状態よりましにしてやるよ」

 

髪が気になって、訓練に集中できないなんてことにはならねぇから安心しろ。

そう言われて、まさかそこまでばれていたとは思っていなかったので急に恥ずかしくなった。
いや、ライク・ツーが私の髪がひどい状態だと知ったのはさっきのはずだ。でも私の様子がおかしいことには、それより前に気付いていたのだろう。その理由が今であると関連づけただけだ。
口に出せはしなかったけれど、そんなに目をかけてくれていた事実に気付いて、驚くと同時に私は嬉しかった。

 

「どこまで切っていいんだ?」
「このくらいまでは切りたいと思ってた」

 

鏡越しにライク・ツーと会話が始まる。
今の長さよりも短い位置に指を置き、このくらい、と希望の長さを示す。まるで本当の美容室のようだ。

 

「サイドは?」
「このあたりまでかな」
「後ろは、お前が作った変なレイヤーごまかすから文句言うなよ」
「はい……」

 

長さの確認をして、ライク・ツーは私の髪にハサミを入れ始めた。
丁寧なのに手際よく整えていく様子に、素直に感心と称賛が湧きあがる。
ライク・ツーがなんでもそつなくこなすようなのは知っていたつもりだったけれど、まさか髪のカットまでこんなに上手だとはさすがに予想できない。
鏡を通して、ついついその様子を熱心に見てしまう。するとそれに気付いたのか、鏡越しに目が合った。

 

「……見過ぎ。なんだよお客サマ」
「ううん。上手だなって。ライク・ツーは器用だね」
「はっ、当然だろ。見られたのが俺でよかったな」
「うーん、否定できないや」

 

ライク・ツーの生み出すハサミの音が心地よくすら思えてきてしまう。

 

「お前は、……」
「うん? なに?」
「髪は短いほうが好きなのか?」

 

目が合うことはなく、ライク・ツーは手を動かし続けている。
徐に振られた話題に、しかし内容の意図が確定できず質問を返すことになってしまう。

 

「それは、私が自分の髪の長さはどっちが好きかって話? それとも他人の髪型に対して?」
「ん……、後者」

 

その言葉の後に、椅子の背もたれに何かがぶつかる音がする。
どうやらハサミがぶつかってライク・ツーの手を離れてしまったのだと理解した。ライク・ツーは黙ったまま、おそらくハサミを拾うために体を曲げたので、鏡から姿が見えなくなってしまう。

なぜかこの一瞬、ライク・ツーからの質問にはなにか大きな意味があるように思えてしまった。髪が長いか、短いか、どちらが好みか。たったそれだけの内容であるのに。
けれど、そうは思っても口に出す回答は素直に答える以外の方法がなく、私はそのまま質問に答えた。

 

「その人に似合ってれば、どっちも好きだよ。長くても短くても」

 

カチン、とライク・ツーが拾ったのだろうハサミが小さく音を立てたのが、やけにはっきり聞こえたような気がした。
体勢を元に戻したライク・ツーが再び鏡に映る。質問の内容が頭に残っていたからか、ライク・ツーのような綺麗な顔立ちならば、きっと長い髪も似合うだろうなどと思った。

だからなのか、鏡越しのライク・ツーが美しい長髪を揺らしたようにすら見えた。
それはただの、私の一瞬の想像に過ぎない。当たり前だけど、鏡に映るライク・ツーは艶のあるショートヘアだ。

 

「そうか」

 

私の答えに相槌を打ったその表情は、どうしてか少し嬉しそうに見えたのは私の気のせいだろうか。
再び、ハサミが髪を切る音が鳴り出す。

 

「ライク・ツーはどっちが好き?」
「別に髪の長さで好き嫌い決めねえよ。似合ってりゃそれでいいだろ」
「よかった、一緒だ」

 

他愛ない会話をしながらしばらくすると、ライク・ツーが手を止める。
鏡を覗き込みながらも、後ろや横の長さを真剣にチェックしているのがわかる。

 

「うん、こんなもんだな。はい、終わり」
「ぅえ」

 

私の首からタオルを外し、首裏に付いた細かい髪の毛を取るためだろう、私の頭をぐっと前に押すものだから変な声が出た。

 

「シャワーする時によくすすいで細かい毛を落とせよ。あとお前、髪傷んでるぞ。シャンプーとトリートメント丁寧にやれ。ドライヤーも」
「はい、ごめんなさい……」

 

頭から手が外されたので、改めて鏡を見て自分の髪型を確認する。
見ていて、なんだか不思議な感覚に陥った。髪が短くなっただけで自分の顔形は何も変わっていないのに、鏡に映っている自分をかわいいと思えたのだ。おかしな自画自賛だ。
でも本当に、ライク・ツーが整えてくれたこの髪型がとても自分に合っているように思えた。

 

「なんか今……、髪型が似合い過ぎててすごく自分のこと好きになれそう」
「……そんなにか? まぁ、俺が整えたんだから当然だろ」

 

座ったまま体の向きを変えてお礼を伝える。

 

「すごく助かった。ありがとうライク・ツー」
「どーいたしまして」

 

言い方はそっけなく聞こえるけれど、満足そうな表情なので彼としても納得のいく仕上がりになったのだろう。

 

「うん。似合う」

 

真正面から私を見て、とても嬉しそうに笑うのだ。

 

(勢い余って、かわいいって、口から出そうだった)