──いなくならないで。お願いだから。
誰かの悲しそうな声を聞いたような、聞いていないような。わからないし、覚えていない。ただの夢かもしれない。
目を覚ましたら、知らない天井があった。同時に、名前を呼ばれて視界に入ったのはマークスやジョージ、十手を始めとした貴銃士たちだった。
みんな必死に、私の意識を確認するように名前を呼んでいて、なんでそんなに焦ったような様子なんだろうと思った。けれど途中で思い出した。
そうだ。私は怪我をしたのだった。
アウトレイジャー討伐作戦に出撃して、その中で情けなくもアウトレイジャーの銃弾を受けてしまったのだ。
足手まといにならないように、自分が倒れることはないように。それだけは絶対にしないようにと注意していたのに。
私が目を覚ましたのを確認すると、一人は「ラッセルに知らせてくる」、一人は「ドクターを呼んでくる」と部屋を出ていった。見慣れない天井だと思ったけれど、ここは病院であると理解した。
「マスター、俺がわかるか?」
まだぼんやりとしている自覚はあったけれど、私はマークスに対して頷いた。マークスは心底安心したように、よかった、と呟いた。
やって来たお医者様とラッセル教官が改めて私の意識を確認し、銃弾は腹部を掠ったのみに留まったので命に別状はないということ。他にも傷はあるが軽傷で済んでいるということだった。
若いから回復が速いと言ってしまえばいいのか、日頃の訓練が活きたのか。
一週間ほどで退院することができた。まだ完治はしていないので無理はしないようにと言われたけれど。
「ライク・ツー」
夕方に、散歩も兼ねながら学校の敷地内を歩き回って、ようやく目的の人を見つけた。
寮の部屋にもいなかったので、トレーニングルームなど彼がいそうな場所を回っていたけれど、グラウンドでやっと会うことができた。
呼びかけにこちらを見たライク・ツーは、飲んでいたドリンクボトルの蓋を閉めながら視線を外した。
「もういいのか?」
「うん。まだ軽めにしてもらってるけど、訓練もしてるよ。ライク・ツーは元気だった?」
「お前が入院しててマークスがやかましかったけど、俺は普通」
「そっか。ごめんね、大変だったでしょ」
「被弾した奴が謝ることじゃねぇだろ」
ライク・ツーとは入院中、まったく会っていなかった。
いや、もちろん貴銃士全員が傍にいてくれたわけではない。私の意識が戻ってからは当然ながら全員、通常通り士官学校での授業や訓練に戻された。けれど、目が覚めた時にもライク・ツーはその場にいなかったから。
被弾した奴、と言われてつい苦笑が漏れた。足手まといになったことの情けなさと申し訳なさが募る。
「ごめん。作戦中だったのに迷惑かけて」
私の謝罪にライク・ツーは少し目を丸くしたと思うと、何か気が付いたように今度は眉をひそめた。
「別に、被弾したこと責めてるわけじゃねぇよ。歪曲させんな」
ああ、少し怒らせてしまっただろうかと思ったけれど、再びごめんと言いそうになるのをなんとか飲み込んだ。
訊きたいことがあったのだが、ライク・ツーの様子を見るに今はとても訊けなさそうだ。
私が言葉に詰まっている間に、ライク・ツーは地面に置いていた上着やタオルなどを手に持ち、ここを去る準備を始めていた。
「俺は戻るけど、あんまりふらふらし過ぎんなよ」
「うん……、そうするよ」
被弾してこんなに申し訳ない気持ちになって、自分がだめな奴に思えて来て、自信がなくなっていて。そんな状態でライク・ツーに会ったのは失敗だったなと思った。
たしかに謝るのは間違っている。将来、士官になるのならば戦場で怪我など珍しくもなんともない。それはドイツ軍の作戦に一時的に加わった時に、理解していたつもりだった。
でもだからこそ、その時共にドイツにいたライク・ツーからは、今回のことでやっぱり役に立たないマスターだったと思われたくなくて。
極端に言ってしまえば『私を嫌いにならないで』と。
私が思うのはそういうことだ。そんな図々しいこと、言えるわけがない。ましてや相手がライク・ツーだ。感情的な非合理は嫌いだろう。
ライク・ツーが私の横を通り過ぎて、私の前からいなくなってしまう。
ライク・ツーが戻ってから、私も戻ろう。もっと話したいことがあったけれど、今は引き止める言葉は出ない。
「……おい。戻らないのか?」
言われて振り向くと、ライク・ツーは少し先で立ち止まっていた。もうとっくに行ってしまったと思っていた。
「あ、うん……、戻る」
体の向きを変えて歩き出すけれど、それほど離れていないはずのライク・ツーの所まで随分遠いような気がした。
「傷、痛むのか?」
「ううん、そんなことないよ」
ライク・ツーは少し黙ったけれど、持っていた荷物を全て片手で持ち直し始める。すると空いた手がこちらに差し出された。
「歩くのに補助が必要なのはよっぽどだぞ」
甘えるな、一人で立て。普段からそう言った言動が多いライク・ツーが言うには、今の言葉も差し出された手も意外過ぎた。
一瞬、どういうことだろうかと私が呆気に取られていると、少し不機嫌そうに顔をしかめる。
補助が必要なら手を貸すから早くしろ、必要ないなら置いていく。そう言われているような気がして慌てて手を伸ばした。
「お、お願いします」
歩くのが困難なわけじゃない。少し体力は落ちただろうし傷にも響かせるわけにはいかないから、気を付けながら歩いてはいたけれど。
でも彼のほうから手を差し出してくれたなら、その手を取ることくらいは許してくれるということだろうか。もしかしたら今だけかもしれないけど、私に都合のいい解釈をしてもいいのだろうか。
「俺はマークスみたいにお前のことを甘やかさない。体が問題ないならな。けど、怪我してんならそれは別だ」
頷きながら私が手を重ねると、そのまま引っ張るようにライク・ツーは歩き出すので私も隣を歩く。
それだけのことなのに、不思議と背筋が伸びて心は立ち直っていくような気がした。
今なら、さっきよりももう少しだけちゃんと話せそうだ。
「ごめんねライク・ツー。次からは怪我とかしないようにするよ」
「わかってるようでわかってねぇよな、お前……。戦場で怪我するのが悪いって言ってんじゃねぇよ。お前が死んだらまずいんだから、そこを気を付けろって言ってんの。履き違えんな」
「あー、そっか。ライク・ツーは消えたくないだろうから、そうだね、気を付けるよ」
「いや、それも、あるけど……」
何やら部分的な否定だったようだけど、後のほうははっきりと聞こえない。訊き返したけどなんでもないと言われてしまった。
「ねえ、ライク・ツー」
「ん?」
「……ん、ごめん、やっぱりなんでもない」
「なんだよ、言いたいことあるなら言えよ」
「それライク・ツーにもそのまま返すよ」
そう言うとライク・ツーはぐっと黙ってしまって、聡明な彼を言い負かせたようでなんだか少し調子に乗った。けれどどのみち、訊いても答えてくれなそうだと思ったので訊くのはやめることにした。
握った彼の手に向けて、少しだけ力を込めてみる。何か言われるかなと思ったが、ライク・ツーは何も言わないまま同じように握り返してくれた。
ああ、きっと、そうだったのだろうか。
先日病院で目を覚ました後、診察を受ける中でふと、自分の左手がふやけたように赤くなっていることに気が付いたのだ。まるで、長い時間誰かが握ってくれていたような。
マークスかなと思っていたけれど、おそらく違ったのだろうと今の私は確信していた。
訊ねるのは、きっと野暮なことだ。
訊いても答えてはもらえないと思う。
今こうして、ライク・ツーと手を繋いでいるだけで充分だった。
繋がれた手のこの感覚を、私はきっと知っていた。
・確かに恋だったbot @utislove
『僕がきみの手を 握り返したのは きみが愛しいと気づいたから』
***
繋がれた手をライク・ツーに引かれるように歩いて、寮にたどり着いた。
いくら怪我の完治していない私を補助するためだったとはいえ、さすがに手を繋いだまま寮の中へ入るわけにはいかないとわかっていた。男女交際が厳格に禁止されているわけではないものの、弁えられないものはさすがに寮監から見咎められるだろう。
怪我は完治していないけれど、そもそも人の補助がなければ歩けない程ではない。それなのに私がライク・ツーの厚意に甘えて、手を貸してもらっただけなのだから。
本当は、ライク・ツーが差し出してくれた手を断るのが正解だったのかもしれない。だって、私は一人で歩けるのだ。
それでも手を取ってしまったのは、単純に私の甘えで、弱さで、下心だった。
少しだけ一緒にいたかった。近くにいたかった。
なんてみっともない。怪我を理由にしておきながら、心の底には甘えた感情から繋がる下心のオンパレードだった。
情けない。みっともない。何が、未来ある士官候補生だ。
自分の中で自分が詰られる。
「……い。おい、ナマエ」
呼ばれてはっと顔を上げると、ライク・ツーが訝しげにこちらを見ていた。
「なんだよ。もう寮着いたぞ」
無意識に手に力が籠もってしまっていたのか、その力が伝わっていたライク・ツーは私が何か言いたいのかと受け取ったらしい。
「あ……ごめん」
勝手な焦りから、すぐに手を離してしまった。
「手を貸してくれてありがとう、ライク・ツー」
「早いとこ休めよ。傷開いたなんてバカなことになったら笑いもんだからな」
「いやぁ、さすがにそこは大丈夫だよ」
お医者様の許可が出た上で退院しているのだから、さすがにこの程度で傷が開くということはないだろう。
でももしかしたらライク・ツーなりの心配だったのかもしれないので笑って返しておく。
寮の中へ入り、共有ロビーから男女別のエリアへ分かれることになる。
「……じゃあ、また明日」
「お疲れ」
短い挨拶を交わしてお互いに背を向ける。
ああ、もう少しだけ一緒にいたかったなぁ。そんな邪な気持ちが、歩き出した足を止めさせる。
その場で振り向くと、ライク・ツーの背中が遠くなっていくのが見える。
ライク・ツーは振り向かない。当たり前だ。振り向く理由がないからだ。
私には、彼に対する甘えた気持ちがあったからそれが振り向く理由になった。それだけだ。
そのまま背中を見送って、彼が階段の所で曲がるタイミングで私も再び歩き出した。
「私、だめだなぁ……」
甘えなんて、ライク・ツーが最も嫌うことだろう。
今回は私が怪我をした後だったので手を貸してくれたけれど、本来であれば今日のようなことはきっと起こり得なかった。
ライク・ツーの手と繋がれていたほうの手は、まだ温かさが残っている。
勘違いでなければ、きっと、たぶん、おそらく。
病院で、私が目を覚ます直前まで彼は手を握ってくれていたのではないか。そう思ったけれど、違っていたらどうしよう。
いや、本人に確認をしようと思っていたけど、結局それを訊かなかったのは私だ。
未練がましく手の感覚を思い出している自分に気付いて、両手で自分の顔を挟むように頬を叩く。地味な痛みが伝わる。
「……よしっ」
大丈夫だ。きっと私は一人で立てるし、一人で歩ける。
手を繋いでもらわなくても隣を歩けるようになればいい。私がライク・ツーに追いつけばいいだけのことだ。
肩を並べて、なんておこがましいかもしれない。でも自力で隣を歩くくらいになったなら、きっとライク・ツーもそれを認めてくれるのではないか。そう思った。
今回のような甘えた結果ではなく、対等である者同士として隣を歩いていけたなら。
その時はきっと、私は特別な気持ちを口にできると思うのだ。
*
マスターと挨拶をして歩き出し、すぐに気付いた。
……立ち止まってんの、バレバレだって。
自分の足音しかしなくなったのだから、彼女が立ち止まっていると理解することなど簡単だった。
やはり傷が痛むのだろうか。彼女の部屋まで送ったほうがよかったか。そう思ったものの、おそらくそうではないのだろうとすぐに考えを打ち消した。
傷が心配なのはたしかだが、そうだとしても一人で歩けないほどではないというのはライク・ツーもわかっていた。
怪我を負ったが命に別状はなかった。わかっていたものの、入院中に会うことはしなかった。いざ退院して自分の元にやって来た彼女を見てひどく安心した。
だが、マスターを守ってあげなければ、などとは間違っても思わなかった。
もちろんマスターが死んでしまえば貴銃士の自分も消えてしまう。それは避けなければならない。
弱い奴だとは思っていない。別に死んでほしいとも思っていない。
ライク・ツーにとって彼女は、守ってやらなくては何もできない存在ではなかった。他の連中がどう思っているかは知らないが、ライク・ツーはそう評価している。
訓練で、戦場で彼女を甘やかすことは、彼女の能力や覚悟を軽んじている。だから過剰に甘やかすあの狙撃銃を見ていると癇に障る。
未来の士官たる戦場での覚悟を、マスターだって持っている。その覚悟を否定したくないから、マスターを甘やかすことはしない。だが当然、ドイツでの出来事のようになればライク・ツーだって、マスターを守るのに尽力はする。
彼女は弱くない。だから過剰に手を貸すことはしなくていい。
手を貸すとしても、彼女ではどうしようもない状況での必要最低限。
──ならば先ほどは、文字通り手を貸してやらなくてはならないほどだったか?
自問自答して、認めたくはない敗北を自ら味わった。
手を貸さなくたって彼女は一人で歩けた。ライク・ツーの手助けなどきっと必要なかった。そんなことは自分でもよくわかっていた。
それならどうしてわざわざ自分から手を貸したのか。
理由は安堵と下心だった。彼女の怪我を理由にした。
甘えるな、一人で立て。内心で自分に言い聞かせた。
彼女は一人で歩ける人だ。ライク・ツーが手を貸さなくても歩いていける。だから彼女に甘えるな。
失わずに済んだ。彼女は生きている。それだけでいい。
「だっさ……」
歩きながら小さく呟いた。
もし今振り向いたら、立ち止まっている彼女を見つけるだろう。
そうなれば自分とマスターに最もらしい言い訳をしながら、彼女の元まで戻ってしまう。もっともらしい理由を付けて、また手を差し出してしまう。そんな気がする。
早く歩き出せよ。お前が突っ立ってたら、俺が振り向かないで我慢してる意味がないだろ。
『一人遊び。』お題bot @hitoriasobi_bot
君が振り返っていた事、僕は知っているよ。だから僕は振り向かなかったんだ。