今日は約束の日

※公式準拠ではないねつ造あり。

 

依頼人は若い青年だった。それに関して特に思うことはない。しかし依頼されたとき、青年は不思議な依頼をした。

 

『彼女には、白いドレスを着せたいんです』

 

不思議に思ったものの、こちらはできる限り依頼人の希望に応えるだけだ。依頼された男は今日、その依頼の通りにした。

 

「すみません。少し、ふたりにしてもらえませんか」
「ええ、もちろんです」

 

このような頼みはよくあることだ。男は青年の頼みを快諾する。青年はありがとうございますと微笑んで、奥の部屋の扉を閉めた。

先ほど対面した女性の年齢は不明だが、中年と初老の間のような容姿だった。対して青年は二十代と思われた。だからこの二人は親子なのだろうと思っていた。
しばらくして青年は部屋から出てきた。特に変わったところはないまま、どこか軍人のようにも見える洒落た白い服に身を包んでいる。先ほど挨拶を交わした時、これが自分の正装なのだと彼は言っていた。

しかしふと、気が付いた。先ほどと特に変わっていることはないように思われたが、そうではないようだった。それに気が付いた男は、気づけた自分を不思議に思う。
そして同時に、今回の依頼人である彼らは親子ではないのだと理解した。なるほど、どうりで女性に白いドレスをと依頼してきたわけだ。

 

「ひとつ、よろしいでしょうか」
「なんでしょう?」
「わたくし共も仕事でございますので、このような場では粛々としているべきだと理解しております。しかし、不躾ながら申し上げさせていただきたいと存じました」

 

青年は小さく首を傾げる。

 

「本日は、ご結婚まことにおめでとうございます」

 

男は青年へ丁寧に頭を下げた。
ゆっくり顔を上げると、青年は何度かまばたきをした。照れたように眉を下げ、なんと返せばいいのか迷っているのか頬を掻く。そんな青年の、初にも見える反応に男はつい顔が綻んだ。

 

「失礼いたしました。あなた様のお手にあるものが目に付きまして」

 

頬を掻く青年の持ち上がっている左手を示す。その薬指には、先ほど部屋に入る時にはなかった指輪がはめられていたのだ。青年は納得したように苦笑した。

 

「あはは。ありがとうございます。今日は、妙な依頼しちゃってすみません」
「とんでもございません。この場にお立会いができましたこと、光栄に思います」
「そう言ってもらえて嬉しいです。……ずっと、約束していたことだったので」

 

男は今日の青年と女性のことなど詳しく知らない。だが計り知れない愛情があるのだということは想像に難くなかった。
少しばかり、沈黙が落ちた。

 

「では、よろしいでしょうか。外に車が待っております」
「はい。よろしくお願いします」

 

男が外に声をかけると、数人の男性が入ってくる。彼らを引き連れ、先ほど青年と女性がふたりきりだった部屋へと入る。
広くはない部屋には花の香りが満ちていた。正体である黄色い薔薇は、青年の髪色を男に連想させた。彼はとても愛情深いのだな、とつい口元が緩む。

そこには白いドレスに身を包んだ女性がいた。
女性に対して小さく、ご結婚おめでとうございますと声をかけた。反射的に女性の左手を見やる。薬指には青年と同じく指輪がはめられている。青年が女性へ付けたのだ。
男は仲間らに指示をする。女性の姿は見えなくなっていく。

 

「……お二人の永遠の幸せを願っております」

 

つい、男は女性へ声をかけた。
そして直前、薔薇に埋もれるように、女性の傍には指輪が入っていたであろうケースとメッセージカードが添えられているのに気が付いた。青年が書いたものだろう。不躾と思いつつもカードの外側に書かれている文字を、つい目で追ってしまう。

 

“For my dearest from ──”

 

青年の顔は晴れやかで、男もそれにつられて微笑んだ。
彼にとって、今日は永遠の愛を誓い、祝う日だ。悲しみに暮れる日ではないに違いない。そう思った。
そうして、敷き詰められた黄色い薔薇と共に、純白の女性が眠る棺は閉められたのだった。

 

“シャルルヴィルから、俺の最愛の君へ”

この服に袖を通すのはいつ以来だっただろうか。
そう思いながら、最後に黒いグローブを両手に身に着けた。かつて世の中で圧政を敷いていた世界帝軍が壊滅してから何年経ったのか。
すぐに思い出すことはできなかったが、彼女の年齢から換算したことでそれを導き出した。女の年齢を計算に使うなと怒られそうだ。
あれ以来、かつて自分が着用していたいわゆる戦闘服は着ていなかった。必要がなかったからだ。

 

『ふたりで白い衣装がいいから、シャルルはあの白い服着て欲しいな』

 

それでも今日は、これを着なくてはいけない。シャルルヴィルにとって着るべき日だった。

扉を開けて部屋へと入る。
部屋には穏やかな花の香りが満ちていた。その芳香を放つのは黄色い薔薇だ。その香りが最も濃いほうへシャルルヴィルは近づく。

 

『花は黄色の薔薇がいいな。シャルルの髪と同じ色だから』

 

それに囲まれるって、すごく素敵だと思うの。そう言って笑う彼女をとても愛おしいと思った。
部屋の中央にいる彼女へと近づいた。今日の彼女には純白のドレスを着てもらった。今日はそういう日なのだ。

 

『あ、このデザインすごく綺麗だなぁ。シャルル、私これがいいな』

 

そう言っていた、彼女のお眼鏡に適ったデザインがあった。
シャルルヴィルも当然、彼女の希望に賛成した。その時の彼女が見ていたカタログを今まで保管していた。そして彼女が好んでいたデザインと同じものを、今回特注で頼んだ。
彼女の元へたどり着き、その場に膝を着いた。化粧を施した彼女の頬に触れる。シャルルヴィルの体温が移ったのか、その頬にはわずかに温もりが宿った。

 

『しわは嫌だから、ちゃんとお化粧して隠してね?』

 

きちんとしたプロに頼んだだけあって彼女の肌は美しく彩られていた。彼女自身が「全盛期」と言っていた若い頃と同じに見える。
そんなに気にしなくても、君はいつでも綺麗なのにね。
そう言ったら照れるだろうか。それでも気になるのだと少し怒るだろうか。ありありと想像できるその様子に、シャルルヴィルは笑った。
手に持っていた小さなケースを開いた。ふたつの指輪が収められている。そのうちの小さいほうを取り出し、彼女の左手を取った。薬指へとそれをはめる。彼女の指のサイスに合わせてオーダーしたのに、彼女の指が細いのか指輪は少しだけゆるかった。それでもよく似合っている。

 

『指輪はイエローゴールドがいいな。え? うん、私、黄色はとっても好きだよ。元々好きな色だけど、今はもっともっと好き』

 

それは、少なからず俺が影響したって思ってていいのかな。
そう訊ねると、照れつつも彼女は素直に頷いたのを思い出す。自分が身に着けていた左手のグローブを外し、もう一方の指輪を自らの薬指にはめた。

 

『私、特に宗教は入ってないんだよね……。ふたりで誓えればそれで大丈夫かな』

 

改めて彼女の左手をとり両手で包み込む。承知の上ではあったが、細くなり、しわが刻まれている彼女の手は握り返してはくれない。
シャルルヴィルは目を閉じて、す、と息を吸った。

 

「神様には誓わないけど、今日俺は、俺自身と君に絶対と永遠を誓います。まず、これまでもこの先も高貴であることを忘れないこと。次に……、もうとっくに戦う必要はないけど、俺は俺の高貴を曲げないこと。そして、」

 

目を開けて、握る手に力を込めた。

 

「これからも君を愛し続けることを、なによりも君に誓います」

 

彼女の左手を持ち上げて、手の甲に口づけを落とした。初めて会ったときのように。
空になった指輪のケースと一枚のメッセージカードを、薔薇の中へ埋めるように彼女の傍へ添えた。
これまでも、惜しげもなくたくさんたくさん伝えてきたはずだったのに、ああもっと言っておけばよかったなぁ、などと小さな後悔がちくりと胸を刺す。
もう一度彼女の手を握り直し、ゆっくりとお互いの額を合わせて目を閉じる。

 

「愛してる。ずっと、ずっと君のこと愛してるよ」

 

シャルルヴィルの声が静かに響いた。

彼女の棺が外へ運ばれていく。葬儀屋の用意した車へと乗せられる。

 

「先ほどおっしゃっていたことなのですが」
「はい?」
「故人の……いえ、失礼いたしました。奥様との約束というのを、差し支えなければお聞きしても?」
「ああ、それですか。もちろんですよ」

 

今日を執り行ってくれた依頼先の男の質問に、シャルルヴィルは快く頷いた。
ふたりである約束を交わした後、あれがいいこれがいいと要望を告げていた彼女の姿が思い出された。
その約束と、日取りが日取りなだけにこちらは少々微妙な気持ちにもなったが、幸せそうにドレスや花、指輪を選んでいたあの時の彼女は心の底から愛おしかった。

 

「彼女と昔から約束してたんです、今日のことを」

 

──いい? その日はお葬式じゃないの。シャルルに悲しい気持ちになって欲しくない。だから、

 

「“結婚式は、その日がいい”って」

 

俺たちにとって今日は、結婚記念日なんです。
そう言ってシャルルヴィルは穏やかに笑った。

不意に、自分はどこでもない場所にいるような気分に包まれた。目の前が白くなった。
いや違う、目の前に白い人が現れただけだった。もしくは、そんな夢か、幻を見ただけかもしれない。
その人は白いドレスとヴェールに身を包み、黄色の薔薇のブーケを持っていた。その左手の薬指にはイエローゴールドの指輪がはめられている。シャルルヴィルと同年のような若さの女性はこちらを見上げて微笑んだ。

 

「約束を果たしてくれて、ありがとう。すごく嬉しい」

 

女性の喜びの笑顔と言葉に、何のためらいも驚きもなく返事をした。

 

「言い方が悪く聞こえるかもしれないんだけど……。俺も、今日を待ってた。でもできれば、君が生きている時にこうしたかった」

 

そう言うと彼女は申し訳なそうに眉を下げる。

 

「ごめんね……」
「いや、いいんだ。ずっと約束してたからね。それが果たせて俺も嬉しいよ」

 

頷いた彼女は腕を広げてこちらに抱き着いた。
夢でも幻でもなんでもよかった。この瞬間、この一瞬は自分たちふたりだけの世界にいる。応えるように精一杯、目の前の彼女を抱きしめた。

 

「……また、会える?」

 

彼女はぽつりとつぶやいた。その問いにシャルルヴィルは小さく笑う。

 

「俺が会いに行くよ。だから大丈夫」

 

会いに行く。会いたい。きっと大丈夫。この先がいかに長くかかろうとも。

 

「だって俺は今日、君に永遠を誓ったんだから」
「……シャルルには敵わないなぁ」
「どっちがだよ。俺こそ君に敵わないのに」

 

小さく笑って、彼女の額に口づける。
現実的で非情なことを言えば、永遠だの誓いだの、まったく無駄なものであるかもしれない。それでも、きっと長く離れてしまう彼女と確かな繋がりを持っておきたかった。今日の永遠の誓いは、自分たちにとっては意味がある。

 

「先に予約しておくね」
「うん?」

 

少し体を離して親指で彼女の唇を撫でる。それで察してくれた彼女は、顔を上げて静かに目を閉じた。それに合わせて目を閉じたシャルルヴィルは、温もりのある互いの唇を触れ合わせた。
唇を離して目を開ける。これは予約だ。

 

「絶対会いに行くから、そしたらまた、俺と結婚してください」

 

彼女は目を瞬いたが、嬉しそうに微笑んで頷いた。

 

「うん……待ってる」

 

ふたりだけの白い世界が終わってしまうのを感じた。
得も言えない急激な眠気にシャルルヴィルは襲われる。ああ、ここまでか。
眠たい。でもそれならば早く眠りに落ちて、その分だけ早く起きて、彼女に会いに行かなくては。そう思った。
白に溶けていくような彼女の顔が近づき、互いの額がぶつかる。

私、私もねシャルル、ずっと──。

ずっと、なに? 君はなにを言おうとしたのかな。
『待ってる』? それとも『愛してる』?
君が言ってくれたのは、そういう感じのことなのかな?
今のところはわからないが、それはいずれ目を覚ましてから訊いてみようと思う。

今日という日を待っていた。ついに当日を迎えた。
椅子に腰かけた私は、綺麗に施されたメイクや衣装によって見事に変身していた。自分で言うのもあれだけど、今日の私はとても綺麗だと思う。
果たして、かつてドレスを着た時も同じように綺麗になれていただろうか。そこは私にはわからないことで、彼のみぞ知ることだった。

鏡に映った自分は口元に笑みを浮かべているけれど、かつてのことを考えたせいか少し眉は下がり気味だ。いけない。今日は大事な日なのだから、こんな顔をするなんておかしい。
鏡の自分に向かって笑顔を浮かべたところで、扉がノックされた。

 

「はい」
「あ、俺だけど、入ってもいい?」
「うん」

 

私の支度が終わったと、スタッフの人が彼に伝えてくれたのだろう。椅子から立ち上がりながら返事をすれば、ゆっくりと扉は開いた。
扉を開けて入ってきた彼の姿に胸を打たれた。ああ、やっぱりこの人には白がよく似合う。かつての衣装ではないけれど、カラーリングはそれを彷彿とさせるには充分だった。
それでいて、文句なしに似合っているのだからそういう意味でも胸を打たれる。本当に、なんて素敵な人だろう。
私に近づいてきてくれる彼は、とても真剣な表情だった。それでも私の目の前に立つと手を取って微笑んでくれる。

 

「綺麗だよ、すごく。いつも君は綺麗でかわいいけど、今日は余計にだね。かわい過ぎて困っちゃうな」
「そう言ってもらえて、よかった」

 

握られた手に力がこもった。

 

「ほんとに……夢みたいだ」

 

彼はつぶやく。少しだけ、泣きそうに見える。無理もないかもしれない。

 

「また君と、式を挙げられるなんて」

 

彼──シャルルヴィルの言葉に、私も頷いた。

かつて彼は人間ではなかった。私は人間だった。
レジスタンスという反抗組織にいた頃。世界を変える戦いを終えた後の私の一生は、シャルルと共に生きていた。それでも私は寿命が来た。

またこうして世界に生まれてきて、ある日、目の前のこの人に会った時は夢を見ているのかと思った。きっと彼も同じように思っていたことだろう。
街中で不意に名前を呼ばれて振り向いた先、私を見つめるスカイブルーと目が合った瞬間が今でも忘れられない。

一目ぼれ、なんてそんな生ぬるいものじゃないのだ。目が合った瞬間に弾けたのは、きっとかつてよりの恋心。
覚えていた。ちゃんと覚えていたの。この命を受けて、ここまで生きてきた中でも、ずっと。かつて愛した、人ではない彼のことを。
運命なんていうのは柄ではない。だからこれは運命ではない。ただの偶然であって、きっと必然だと。

かつても、私は彼と式を挙げているはずなのだ。
老いて命尽きた私と、年若いままの変わらない彼とで。けれども今日は違う。私も彼も同じように生きている。
シャルルの顔が近づき、お互いの額を合わせる。

 

「愛してる。ずっと、ずっと君のこと愛してるよ」
「うん……、うん。私も、ずっと待ってた。私も大好き。愛してる」

 

これから正式な式が始まるというのに。
自分たち以外いない部屋で、私たちはやっぱりまたこうして二人だけで愛を誓うのだ。