愛した君たちがいるこの世界で、

※ベルギー編準拠。長め。

 

「私も、ですか……?」

 

呼び出された部屋で理事長と対面しながら、私は思わず問い返していた。

 

「ああ。今回の、ベルギーから候補生へ宛てた招待には君も同行してもらう」

 

理事長からの再びの言葉で、命令の内容そのものの理解は改めてできた。
これまで、候補生と共に他国へ向かったことはなかった。要人として招待されるのは候補生本人と、同伴する貴銃士のみであったからだ。

アメリカ大統領からの招待で、ラッセルや恭遠も招かれた夏休みの例外はあれど、基本的には候補生と貴銃士以外は招かれざる客となることがほとんどだ。
しかしながら今回、私も共にベルギーに向かうことになるらしい。

 

「サリバン現首相のご令嬢へは『上官も一人同伴させる条件を飲むならば、候補生を招待に応じさせる』と返事をした」

 

以前からも話には聞いていたけれど、ベルギーでは当時の特別幹部だったものと同型の銃が二種も召銃されているという。もちろん別個体であると発表されてはいるけれど。
ふと、自分が受けた命令の内容の意図がわかった気がした。
理事長は言葉の肯定こそしないが、私を見据える強い目がゆっくりとまばたきをする。

 

「君の経歴はこちらももちろん承知の上だ。今回はその経歴と記憶とを照らし合わせ、貴銃士のことを調べてもらいたい」

 

そう言われて、やっぱりそうかと腑に落ちた。
かつて世界帝軍にいた頃のことを生かして、ベルギーの貴銃士、特に現代銃の二名に目を配れということ。
つまり私に、世界帝軍特別幹部と同型の貴銃士らのことを探れということだ。

 

「ベルギーはかつて世界帝軍の武器工場として動いていた。そのベルギーが、特別幹部だったものと同型の銃を二種も召銃している。何が言いたいかは、わかるかね?」

 

私は頷いた。

 

「今や候補生は要人です。万が一ということが考えられます。危険の可能性を孕んだ場所に、みすみす候補生や貴銃士だけを送り込むことはできません」

 

もはや候補生には有名人などという枠すら生ぬるいのだろう。
マスターという立場を通して、貴銃士を通して、彼らを絶対高貴に導いた功績を通して、すでに各国有力者との強力なパイプすらできている。士官学校の一人の生徒が持つにはあまりにも大きなものだ。

ベルギー側の『かつての特別幹部の個体とは別個体である』という発表をまったく信じられないわけではないが、現代銃の貴銃士ふたりは当時の特別幹部と同じコードネームを与えられている。
それに関しては、この士官学校にいるライク・ツーと同じように、トルレ・シャフをおびき寄せるための意図があるのではないかとも言われている。しかしだからこそ、そのような場所に候補生だけを行かせるわけにはいかないのだ。

コードネームにつられて興味を引かれるのは、何もトルレ・シャフだけではない。現にこうして私たち連合軍側も、真偽を確かめようと動き出している。
ベルギーにいるファルとミカエル、ドイツにいたゴースト、――そしてイギリスの士官学校にいるライク・ツー。
当時の特別幹部と同じ型、同じコードネームの者がすでにこれだけ存在する。

それだけで、ある意味私にとってはこの命令を拒否する理由など一切なかった。
知りたくない、興味もないと言えば嘘になるのだ。
私の同行の意味は、ベルギーにいる現代銃のふたりを調べる他、有事の際に候補生を守れということでもあるのだ。

シャルロット嬢が候補生を招待したことには、どうやら政治的な意味合いもあったらしい。
ライク・ツーからの言葉で彼女もそれを認めていたが、政治家の娘というご令嬢の立場もなんとまぁなかなかどうして面倒なものだと思えた。ベルギーという国の立場からすれば、少しでもイメージアップを図りたいと思うのは当然の気持ちだとは思うけれど。

シャルロット嬢の案内で貴銃士たちの住まう屋敷へと向かうと、ライク・ツーが何かに反応を示した。それが何であるかは、耳をすませて私も気が付いた。

 

「ピアノの音……
「ふふっ、天使が旋律を奏でているんだ」

 

同行していたカトラリーがそう言うと、私の耳はより一層、遠くから聞こえるピアノの音を鮮明に拾う気がした。
しかしもの悲しいメロディをゆっくり拾う間もなく、廊下を歩いてきた男女に私は目を奪われた。

 

……あなたたちが、イギリスからの客人か」

 

女性のほうはもちろん初対面だが、少なくとも男のほうは違う。正しくは、私の記憶の中に限定されることではあるが。

 

「失礼、任務から帰ったばかりなもので」

 

その淡々とした口調も、声も、私はよく知っていた。
私のほうへわずかに目を向けられたけれど、男の表情は読めず、そしてわずかも変わらない。仮に特別幹部と同個体であったのならば、面識のあった私を見て何か反応するかとも思っていたけれど、そう簡単に物事は運ばれない。

私が一瞬ぼんやりと男を見ていた間に、十手が女性の薔薇の傷を治療すると女性は幾分顔色がよくなったようだった。
現代銃二挺のマスターであるマチルダ・ジャンセンは、軍属ではなく特別執行官という少々特殊な地位に就いているという。
軍属だといろいろと面倒事もあるし、ましてや彼女は、個体は違えど世界帝軍特別幹部と同型二名のマスターだ。
ベルギー以外の国にも訪れるというのならば、向けられる世間の目は厳しいだろう。

 

「候補生と貴銃士のほか、上官の方も来訪されると聞いていた。あなたがその方だな?」

 

私と向き合う彼女の言葉に頷いた。名前を名乗り、手を差し出す。

 

「イギリス支部より参りました、マリー・コラール中尉です。どうぞよろしく、ミス・ジャンセン」
「ああ、マチルダで結構だ。こちらこそよろしく」

 

私と握手を交わすと、マチルダは控えていた男のほうへと目を向ける。

 

「ファル、お前も自己紹介を」
「はじめまして。私はベルギーで作られたアサルトライフル、㎅FALLの貴銃士です」

 

それだけを言い、訪れたわずかな沈黙に疑問を抱くこともなく、淡々とした態度は崩れない。十手やライク・ツーが名乗っても、そうですかと一言だけ返すのみだ。
その間にマチルダの持つ無線に通信が入り、マチルダとファルは立ち去っていく。私よりも先にライク・ツーがファルを呼び止めたが、挑発とも受け取れるような言葉に対しても特に反応を示すことなく去っていった。

マチルダに続いていくファルの背中を見送り、私はわずかにライク・ツーへも目を向けた。ライク・ツーは今、何を考えているのだろう。
すると視線に気づいたライク・ツーと目が合った。

 

……なんだよ」
「いや、別に。美人な顔はうらやましいと思っただけ」
……は?」

 

さらっと突拍子もないことを言われ、ライク・ツーは目を瞬いた。ライク・ツーが美人なのは事実だが、今は決してそんなことを考えていたわけではなかった。
彼が何を考えてファルへ言葉を投げかけたのか。その理由は、私の思考回路が突飛であるだけだと願いたいところだ。同伴者の監視など、できればしたくないのだから。

 

「マスターとして、少しは身なりにも気を遣ってほしいわ」

 

去っていったマチルダに対して、少々嫌味とも取れるシャルロット嬢の言葉を聞き、彼女たちがよろしくない関係であることはよくわかった気がした。政治がらみの何かか、個人的な事情なのかは知らないけれど。

 

……ベルギーにいるもう一人のマスターの貴銃士がまともに戦えるヤツだったら、あいつも身綺麗になるかもな」

 

ところが、ライク・ツーから嫌味のカウンターを食らったシャルロット嬢は言葉を詰まらせた。言い返しては来ないが、そのやりとりに私は小さくため息をつく。

 

「ライク・ツー、少しは言葉を慎むといい。君の性格は承知の上だが、その言葉で立場が悪くなるのは候補生のほうだ。それがわからない君じゃないはずだ」

 

ここは上官として言っておかなければならない。いや、ライク・ツーなら言われずともわかっていることだろうし、彼なりに国際問題にならない程度の物言いをするくらいの判断はしているだろう。
普段とは異なる固い口調で告げた私にライク・ツーは一瞬たじろいだように見えたが、すぐに「もーしわけありません」とおそらくは悪いと思っていない返事をしたところで、空気の悪い応酬は終わりとなった。

そのまま屋敷の案内を兼ねて歩く中、後方を歩く私にゆっくりとライク・ツーが隣に並ぶ。目線をそちらに向けないまま小声で私は口を開いた。

 

「まさか、さっきのが癪に障ったとかじゃないよね?」
「それはねぇけど。……お前だってシャルロットの言い方が気に入ってなかったくせに」

 

同じように小声で返ってきた言葉に、少し驚いた。

 

「なんだ。ばれてたんならいいや」
「シャルロットの言い方は気に入らないけど、お前がそれを言うのはまずいし、言った俺に同意したりしてマスターの立場が悪くなるのもお前は困る。だから自分じゃ言えないし、形だけでも俺にああ言わないといけなかったんだろ」

 

ライク・ツーのように言葉や行動の裏を考えられる者は、話が早くて助かる。相変わらず目線を向けることもしないが、私がかすかに笑ったことは伝わっているだろう。

 

「上官とか国際関係とか、めんどくさいよね」
「そういうの、あんたの性に一番合ってなさそうだよな」

 

なんで教官なんかやってんだと言わんばかりに、小さく息をつくように笑ったライク・ツーは少しだけ歩みを速めて、前を歩く十手と候補生に並んでいった。

美しいピアノの演奏だった。
案内された部屋でグランドピアノを奏でる男を、やはり私はかつて見たことがあった。わずかな違いは、目元は完全に包帯に覆われているわけではなく、美しい瞳が左だけ明らかになっていることだった。

 

「僕はKB MNMの貴銃士。ミカエルと呼ばれているよ」

 

ミカエルも、私を見て何の反応も示さなかった。
だがしかし、考えてみれば当然のことだ。仮に七年前の彼だったとしてもだ。
当時の彼は目元を包帯で覆っていた。それで動きに苦労はしていなかったようだけど、人の姿形までわかっていたとは思えない。私の姿を知らないのならば反応はなくて当たり前なのだ。

戦場にピアノを持っていこうとするというのは、どうやら特別幹部の個体と同じ感覚のようだった。それを知って「来るな」と言い切ったらしいマチルダの判断は間違っていないだろう。
戦場へグランドピアノを運ばなければならないその様子は、私の記憶にあまりにも鮮明に残りすぎていて、思わず小さく笑った。
けれども、ミカエルが口を開いたことでそんなささやかな私の時間はすぐに終わる。

 

「ファルのことだけれど。彼のことを、誤解しないでほしい。そして……誤解を解こうともしないでほしいな」

 

 

カトラリーの元の性格なのか、絶対高貴になれないことへの焦りや苛立ちのせいなのか、それとも現マスターに似たのか。理由はどうあれ、彼の言い方は少々私の癇に障った。
誘いを受けた食事中は何も言わずにいたが、間違っても楽しい食事とは言えずフルコースの味も格段に下がるような気がした。

彼らは食事の後に街の散策に行くようだったが、私は遠慮した。
カトラリーは古銃だ。七年前のレジスタンスにいた個体とは異なっていることもわかっている。彼が絶対高貴に目覚められるかどうかは私の仕事ではないし、私ができることはないだろう。
私は私で、やらなければならないことがある。

食事の後、先ほどミカエルがいた部屋を訪れようと屋敷内を歩く。ところが、ピアノの音は聞こえてこない。彼が演奏を長く止めているとも考えにくいが、彼も食事に行っていたりするのだろうか。
到着した部屋の扉をノックするも返事はない。一声かけて扉を開けてみるも、そこには見事なグランドピアノがあるばかりで誰もいなかった。

 

「お客様、どうなされましたか?」

 

声をかけられてそちらを向くと、屋敷の使用人がやってくるところだった。扉を閉めながら微笑んで見せる。

 

「ああ、失礼。貴銃士ミカエルとお会いしたかったのですが、このお部屋に不在だったようで」
「ミカエル様でしたら今は庭園のほうにおられますが、よろしければご案内いたしましょうか?」
「それは助かります」

 

使用人の案内で屋敷の外へ出て、広い敷地内を歩いていく。
庭園へ入っていくと、そこには多くの花が咲いている。一言に、綺麗とか美しいだとかで表すには言葉が足りないような気がした。
庭園には東屋があり、そこに人影が見えた。

 

「ミカエル様、お客様がご用があるとのことでご案内しました」
「お客……? ああ、先ほどの」

 

ミカエルは私に目を向けると口元に笑みを浮かべた。

 

「ようこそ庭園へ。君、この人にもお茶を用意してあげて」
「かしこまりました」

 

どうやら歓迎の挨拶と共に同席を許可されたらしかった。お席へどうぞ、と使用人からの言葉を受け、丁寧に引かれた椅子に腰かけた。

 

「紅茶の好みはあるかな?」
「あ、いえ。特にこだわりはないので、あなたと同じものを」

 

使用人に向かって言ったわけではなかったが、会話を聞いていた使用人は言葉の通りにミカエルが飲んでいるものと同じ種類の紅茶を入れてくれた。丁寧に説明もしてくれ、その情報は正直どうでもよかったけれど、ありがとうと言葉を返した。
ミカエルのカップにもおかわりのお茶を注いだ後、何かあればお呼びくださいと使用人は去っていった。

 

「君の名前はなんというのかな?」
「え……?」

 

ふたりになって開口一番、ミカエルは尋ねてきた。
少しだけ動揺した。その動揺にはいろいろな意味があった。
私が名前を名乗ると、彼はゆっくり頷いた。

 

「そう、マリー・コラール。美しい響きだね」
「それは……ありがとう」

 

彼が言ったのは誉め言葉ではあったけれど、それ以上のことは言わなかった。どうやら彼は、本当に特別幹部とは別個体らしい。私はそう判断していた。
七年前の個体の彼は、私の姿や顔はわからないまでも名前くらいは知っていたはずだった。名乗ってもこの反応ということは、私が知っているミカエル──ミゼルリスト・N・ミカエルとは違うのだろう。

ふ、と息をつく。無意識に肩に力が入っていたらしいことに気が付いた。紅茶を一口、口に運んだ。

 

「ミカエルは、ファルとは親しいの?」

 

いつもの自分らしい口調に自然と戻り、丁寧な言葉選びはやめていた。ミカエルは何も気にする様子もなく彼も一口紅茶を飲んだ。

 

「どうかな。僕は彼と親しくありたいと思っているよ」
「彼とは普段、どんな話を?」
「ファルは任務で不在のことも多いからね。ひときわ、これといった話で時を過ごすことはないよ」
「そう。ファルもマチルダも、忙しそうだったもんね」

 

ファルのことを調べるなら、マチルダに探りを入れたほうが早いかもしれない。そう思いながら紅茶の水面を見つめる。

 

……君は、」
「うん?」
「君は、どうしてか懐かしいような気がするよ」

 

動かしていないはずのティーカップとソーサーが、かちゃりと音を立てた。わずかな手の震えでだ。

ミカエルの左目と目が合う。
彼は微笑んでいて、その表情は何を思っているのか読み取れない。読み取れなくて当然だと思えた。私の知るミカエルも、目の前の彼も、良くも悪くも素直に言葉を紡ぐ。
腹の探り合いをするようなタイプでもなければ、こちらがそれを仕掛けることすら間違っている。
それなのに、どうして彼は今、そのようなことを言ったのだろう。

 

……私を、知っているの?」
「ああ。知り合ったばかりだけれど、先ほど名前も教えてもらったからね。少しだけ君を知っているよ」

 

そういう意味ではなかったけれど、やはりミカエルは私の言葉を素直に受け取ったらしい。
おかしい。彼は私を、かつての七年前の私を知っている様子はない。なのになぜ、懐かしい気がするなどと言ったのか。
ミカエルは少し考えるような素振りのあと、再び私を見つめ返す。

 

「少しお願いがあるんだけど、いいかな?」
……、私ができることだったら」
「そう。少しこちらへ来てもらいたいんだ」
……わかった」

 

ミカエルは自分の席のすぐそばを指さす。私はミカエルとちょうど対極にいるので、席を立たなければならない。椅子から立ち上がり、ミカエルのすぐ隣へ移動する。
するとミカエルは座ったまま、わずかに私の腕を引いた。予想していなかった動きに、私の体は引かれるままに少しだけよろけた。
気づけばミカエルは、私の胸の真ん中に耳を当てていた。

驚きはしたけれど、不快とは思わなかった。呼びかけるのもためらわれるような気がした。
静かに、ただじっとしていた。
一瞬だったのか、数秒だったのか、数分だったのか。しばらくしてからミカエルは私の腕を放し、私から離れた。

 

「うん……よくわからないね」
「それはこっちのセリフだけど」

 

個体は違えど、ミカエルという貴銃士に限って性欲を含んだ気持ちがあったとは思えないが、今のはなんだったのだろう。

 

「心音を聞けば何かわかるかと思ったんだけど、そうもいかないね」

 

ありがとう、とよくわからないお礼を言われ、おそらくお互いに状況がかみ合わないまま私は席へ戻った。
ミカエルの様子をうかがいながら、私は彼とティータイムを続けた。
徐々に日も暮れてきた頃、ミカエルが新しく紅茶を淹れた。いや、正確には私が淹れた。彼にとっては当然のことだったかもしれないけれど、たかだか紅茶のおかわりを淹れるためだけに使用人を呼びつけるのは私は面倒だと思ったからだ。

ティーポットを置いて椅子に座り直したところで、こちらに近づく足音に気が付いた。目を向けると、街へ出かけていた我が校の三人が戻ってきたらしかった。一緒に出掛けていたカトラリーはいない。

 

「おや。帰ったんだね」
「おかえり。街はどうだった?」

 

ミカエルに続いた私の言葉に、候補生と十手はあいまいに笑っていて、それがいい意味での笑みではないことはわかった。
一緒にいないカトラリーと何かあったのかもしれない。それ以上は訊かなかった。

 

「きみたちも、庭園を見に来たの? 美しいだろう。僕のお気に入りの場所だよ。それに……薔薇の香りを嗅いでいると、なんだか懐かしい気がしてね」

 

私は不意にミカエルへ視線を向けた。薔薇の香りを懐かしいと、彼は言った。

 

「誰か、このかぐわしい香りをまとっていた人を、僕は知っている気がするんだ」

 

なぜ、その香りを懐かしいと彼は言う?
なぜ、その香りをまとっていた人を知っている気がすると彼は言う?
それは、──私も知っている人と同じ人物ではないのか?

 

……かつての僕と、何か関係がある人なのかな」

 

わからない。わからない。でもこの言い方では、

 

……おや、知らなかったの?」

 

おそらく、この貴銃士は、

 

「どうやら僕は以前、アシュレーというマスターに呼び覚まされていたようでね」

 

私が知っている、ミゼルリスト・N・ミカエルであったということだ。
ミカエルを除いた全員に動揺が走る中で現れたのはファルだった。ミカエルがたった今発言したことを聞いていたらしく、肩をすくめた。

 

「やれやれ……困った方ですね」

 

説明を求めたライク・ツー、ひいては私たちに向けられたファルの説明では、KB MNMはベルギーへの搬送中に武装集団に強奪された。その時に一部が破損し、修繕はされたものの貴銃士として召銃された彼は記憶をほとんど失ってしまっているという。
その説明で、嚙み合わなかったすべてのことに納得がいった。

彼は私の知っている七年前の個体で間違いはないが、当時のことを覚えていない。だから当然、当時は面識があったはずの私のことも覚えていないのだ。
けれども断片的に懐かしいと思うことがあるのは、わずかでも記憶の名残があるからなのかもしれない。
質問を続けたライク・ツーに、機密事項だから答えられないとファルが正論を返したところで、ミカエルが口を開いた。

 

……ね、ファル。こっちへ来ておくれよ」
「はぁ、またあれですか」

 

ミカエルに呼び寄せられたファルは、ちょうど先ほどの私のようにミカエルのそばに立つ。そしてミカエルは私にしたのと同じように、ファルの胸に耳を当てた。ファルの様子からしたら、どうやらいつものことであるようだ。
私に対する突飛な行動ではなかったことがわかったけれど、どういった意味があるのかはわからない。

一連のことが終わると、ファルは薔薇を一輪摘み取る。
花は別に好きではない、とファルは言う。私は椅子からゆっくり立ち上がる。

 

「好きじゃないけど、何か思い入れでも?」

 

ファルは私のほうへ首を動かした。
彼の関係者で花が好きだった者を、私も知っている。しかし、部屋が殺風景だから彩に一輪挿しを置いているだけだとファルは言う。
そうしてファルは庭園から去っていった。