波導は視力の有無だけではなく、距離の遠近すら問わずに物体を感知することができる。
わたしは依然として大した段階には達していない。ようやく、感覚の維持が自分の意思で何とかできるようになってきたところだ。結晶根の使用は、相変わらずアーロン様やルカリオとしているけれど。
城門の前に集まったわたしとルカリオ、加えてウインディはアーロン様の説明を聞いていた。
これからアーロン様はロータの町から離れ、どこかに身を隠す。わたしたちは波導を使い、アーロン様を見つけ出す。手がかりは隠れる先がはじまりの樹へ向かう方向であるということだけ。
「なかなか範囲の広いかくれんぼですね」
「ははっ、身も蓋もなく言ってしまえばそうなるな」
アーロン様の横にピジョットがいるのは、移動の時間短縮のためもあるだろうけれど、それだけ遠くへ行く可能性もあるということ。
波導が使えるわけではないウインディまでいるのは、遠くへ移動するにあたってわたしに助力が必要だからだろう。
『時間に制限はあるのでしょうか?』
「そうだな……では夕方までに見つけられなければ、私もお前たちも城へ戻ってくることにしよう」
「『わかりました』」
アーロン様はピジョットに乗り、すぐに遠くへ見えなくなった。ひとまずわたしたちは城門を出て話し合う。
「制限が夕方までということは、けっこう遠くまで行く可能性があるね」
『私もそう思います。この霧ですから波導を使わなければ難しいでしょうし』
今日は霧が濃い日だ。ルカリオの言うように、波導を使わず目だけで探すことは困難だろう。元々波導の修業なのだから、使わなければ意味がないというのもあるけれど。
『ウインディの鼻で、多少なりとも範囲を特定するというのは?』
「ガウッ!」
「意気込みは買うけど……。アーロン様は空を移動しているから、匂いも大して残らないんじゃないかな?」
ウインディはハッとしてしょげてしまった。そんなに落ち込まないで、と頭を撫でてやる。
はじまりの樹へ向かう方向ということはわかっているから、進みながら確認していくことが一番堅実だということになった。
「ガウ」
「ありがとう、ウインディ」
体勢を低くしたウインディの言うことはわかるので、お言葉に甘えて背中へ乗らせてもらう。
「ルカリオもどう?」
『いえ、私は結構です』
「そう?」
遠慮されることは予想していたので、やっぱりという感じではあるけれど。
『エストレア様より、自分の足で走れる自信はありますので』
「事実だけどすごく悔しい……」
たしかに身体的な強さはルカリオのほうが遥かに上だろう。わかってはいるけど……ルカリオにつられてウインディも小さく笑ったのがわかったので、少し強めに毛を引っ張ってやった。
城を出て町を抜ける。
先を走るルカリオに続いて、わたしを乗せたウインディも軽快に足を進める。
霧が晴れて少し明るくなったが、まだアーロン様は見つかっていない。時折立ち止まって、ルカリオと二人で波導を使い、周囲の様子を確認する。それの繰り返しだ。
わたしはルカリオほど広範囲に波導を広げられていないだろうから、それによって足を引っ張っていないといいのだけど、心配な点だった。
「ん……? ルカリオ、待って」
『どうなさいました?』
ウインディが立ち止まって鼻をひくつかせた。アーロン様の匂いを見つけたのかと思ったけどそうではなく、その正体はわたしにもすぐにわかった。
水の匂いだ。でも川の水のようではなく、独特の匂いが鼻をつく。
「近くで温泉でも湧いてるのかな……?」
それだけのことなので、きっと素通りしてしまってもおかしくなかった。だが、妙にこの先が気になった。
『エストレア様?』
ウインディから降りて、感覚を集中させる。わたしの波導は未熟だ。きちんと察知できる保証はない。
灰色になった世界が、木々の間を抜けて高速で過ぎていく。その先で、人の波導を一つ見つけた。
小さく息を呑んだ。間違えるわけがない。目を開けてウインディとルカリオを振り返る。
「……見つけた」
笑顔を向けたわたしに二人は目を見開いた。
『もしや……?』
「うん。こっち!」
先へ進むにつれて温泉の匂いも強くなっていく。
やがて林を抜けた先で、その人はこちらを振り向いた。
「見つけました、アーロン様」
「思っていたよりも早かったな」
「いい意味で予想を裏切ったのは嬉しいですが、」
『何をしていらっしゃるのですか……?』
木の枝に帽子やマントがかけられていると思ったら、アーロン様は温泉に足を浸けていたのだ。思わず脱力してしまう。
温泉を見つけ、ついでにこの林に身を隠せば丁度いいと思いピジョットに降ろしてもらったのだという。
修行が目的であることを忘れていたわけではないようだが、あまり後先考えずに温泉に浸かってしまうあたり、アーロン様は意外と無鉄砲なのだろうか。
とはいえ、与えられた課題をこなすことはできたのでウインディやルカリオと顔を見合わせて笑った。
「ガウッ」
「あ、こらウインディ!」
ウインディはアーロン様の近くへ行くと、前足を温泉へ入れた。無遠慮だなぁ……。
「エストレア、ルカリオ。二人もここへ足を入れてみろ、良い気持ちだぞ」
『私は、結構です』
やはりルカリオがそう言うことは予想していたのか、遠慮するな、とアーロン様に手を引っ張られたルカリオはそれに従って足を入れた。心地良さそうにのどを鳴らす。
「エストレア?」
「あ……いえ、わたしは、」
正直、足とはいえ男性の前で広く肌をさらすのははしたない。
いや、でも、以前はじまりの樹へ行く途中で怪我をしたときにアーロン様が応急処置をしてくださった。そう考えると今さらだろうか……。
人間のそういう感覚がわからないのか、ウインディもルカリオも不思議そうにわたしを見ている。三人分の視線を受けて、反論が思い浮かばないわたしは意を決してそちらへ近づいた。
今さらだ。今さらということにしておこう。
アーロン様だって、わたしなどに何か思うようなことはないだろう。素知らぬ顔を装いながら、首に巻いた長布や甲冑、剣を外してブーツを脱ぐ。
「お隣、失礼いたします」
「ああ」
裾をまくり温泉へ足を浸ける。程よい温度がじんわりと伝わって、思わずほうっと息を吐いた。
「な?」
「はい!」
お湯の中で少し足をばたつかせると、ゆらゆらと波が水面に広がる。
ふとアーロン様を挟んだ右側を見ると、ルカリオがウインディに寄りかかり、二人とも浅い寝息を立てていた。
「まさかここで寝るとは……」
「疲れたのでしょう。二人とも、たくさん走りましたし」
それに加えてお湯の心地良さに当てられては、眠りに誘われるのも無理はない。
視線をこちらに戻したアーロン様は、突然顔をしかめた。
「跡が、残っているな……」
向けられた視線の先を追いかけて、何のことを言っているのか理解した。
それは水面からわずかに見えていた。わたしの左膝についている、以前デルビルに噛みつかれた時の傷跡だ。しまったと後悔したが、遅かった。
「エストレア、」
「謝るのはご遠慮願います。傷はもう治っていますし、跡もじきに薄れると先生がおっしゃっていました」
思わずアーロン様の言葉を遮る。だって、アーロン様は何も悪くないのだ。
「あれは決してアーロン様のせいではありません。わたしが勝手にしたことです。ですから、謝らないでください」
兵士として、もはや傷跡を気にしているなど甘いことを言っていられもしないのだ。
きっと、わたしが女だからというのがアーロン様が気にしている理由なのだろうけど、別に傷跡くらい気にすることではない。
「傷ものかどうか関係なくわたしの貰い手などはいないでしょうし、一生オルドラン城にお仕え続ける理由になりますから。わたしにとっては願ったり叶ったりです」
おどけて言ったわたしに、アーロン様は小さく吹き出した。
「そこまで言わなくていいだろう。エストレアなら引く手数多だ」
「アーロン様はお優しいですねぇ」
「そんなことはない。では、私が貰い手に立候補することにしよう」
「……え。……笑えない冗談をおっしゃいますね」
「さて、どうかな?」
肩をすくめて笑うアーロン様に、ざわついた心と動揺をごまかすように、ぱしゃりとお湯を跳ね上げた。