「あの、コーン君。最近ミエルくんを見ないけどどうかしたんですか?」
注文を取っていたお客からの質問にコーンは笑い返した。
「ああ、彼でしたらここを辞めてしまいまして」
「ええ!? どうして……!」
「諸事情らしいので、こちらも詳しくは」
「そうなんですか、残念だなぁ……」
注文を取り終えた流れでさりげなく会話を切り、コーンはフロアを出る。厨房ではいつものように兄弟たちが忙しく動いている。
「五番テーブルに注文です。あと、七番テーブルにデザートが追加されます」
「おお、了解」
その光景は今までと変わっていない。
兄弟たちがいて、厨房やフロアで動き回って、ジムに挑戦者が来ればバトルをして手を抜かない勝負をして、自分たちを上回るチャレンジャーがいればバッジを渡して。
それがサンヨウレストラン、ひいてはジムの日常であって、むしろ以前の三か月ほどが非日常であったのかもしれなかった。
動き回る者が一人増えて、ミスをしてコーンが怒鳴って。男に間違われてそのまま訂正せずに働き続けて多少女性客から人気を得て、ケーキと飲み物のおいしい組み合わせを訊かれるようになって。
そんな異物がなくなっただけだった。だから自分たちがそれ以前の状態に戻るのはなんてことはなかった。
午後になり、急にお客の入りが少なくなった。
「ありがとうございました」
「ごちそうさまでした」
家族連れのお客が帰っていくと、フロアにお客は誰もいない状態になってしまった。こんな事態は珍しい。
「……何かあるんでしょうか?」
「さぁ……。イベントなんてなかったはずだけどな」
ポッドとそんな会話をしていると、扉が開いて女性が一人入ってきた。すぐさまいつものように接客モードへと切り替えた。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ、一名様ですか?」
「ええ」
「こちらのお席へどうぞ」
サングラスに帽子を身に着けているが女性は微笑み、コーンの案内で席へ着いた。
「スイーツで何かおすすめはあります?」
「今日はナナの実のパフェが一押しですね」
「じゃあそれを。あとは……飲み物は何が合うのかしら」
「ああ、それでしたら……」
と、口から反射的に出たドリンク名は、以前から女性客に人気になっていた組み合わせだった。図らずも、それはコーンたちが考えた組み合わせではないものだ。
「そう、じゃあそれでお願いするわね」
「かしこまりました」
厨房に戻ってパフェを作り上げ、再びフロアへ向かう。ほかのテーブルから食器を下げるため、デントとポッドも一緒に。
「お待たせいたしました」
「ありがとう。……今日はお客さんが少ない日なのかしら?」
「この時間、急にお客様がいらっしゃらないようで」
「そうなの。ああでも、ごめんなさい。それって私のせいかもしれないわ」
楽しそうに笑った女性は、そう言ってサングラスを外した。その顔はおそらくイッシュでは知らない者はいない、いても数少ないだろうというほど有名な人で、コーンは思わず叫びそうになった口を塞ぐ。
「カ……! ……ミツレ、さん!?」
「え……!?」
食器を下げようとしていた兄弟二人も、声を上げてこちらを振り向いた。同職のジムリーダーとしてはもちろん、ファッションモデルとしても当然名前を知っている。
今の店内には自分たちしかいないが、カミツレは口に人差し指を当てる。
「他のお客さんには内緒にしてもらえる? 今はお忍びだから」
「は、はぁ……」
こちらの驚きをよそに、カミツレは早速パフェに手を付ける。
「今日は雑誌の特集でこっちに来ててね。ちょっと休憩なの」
「そう、でしたか」
「わぁさすがサンヨウレストラン! とてもおいしいわね」
「ありがとうございます」
この客足の少なさの原因は、どうやらカミツレの撮影にあるらしかった。
サンヨウシティにカミツレが来ているということで、間近で本人を見れるのではないかと思った人たちが多いのだろう。納得がいく理由だ。
「ということは、今日はライモンジムはお休みなんですね」
「ええ、そうね。……それにしても、」
カミツレはパフェを食べる手を止めてこちらを見やった。視線が動き、コーンの後方で作業をしている兄弟たちにも目が向けられたのだとわかる。
「サンヨウのジムリーダーは三つ子だというのは聞いていたけど……、あんまり似ていないのね」
「よく言われます。一応、血を分けた兄弟なのですけどね」
コーンが少し後ろを振り返ると、デントとポッドは苦笑していた。
二卵性とはいえ自分たちはたしかに似ているとは言えない。だが例え外見や性格が違おうと、自分たちが兄弟であることは変わらないと思っている。時にライバルのように張り合い、互いにないものを羨んだりすることがあろうとも、それでもやはり大事に思うこともあって。血を分けた兄弟とは、そういうものだと。
「きょうだいって、そういうものなのかしら」
「少なくとも僕たちにとっては」
「……そうね」
何か納得したように笑ったカミツレは再びパフェをつつく。カミツレがあれこれ話題を振ってくるので、コーンは完全にテーブルから離れるタイミングを失っていた。せっかくの休憩なのに一人でゆっくりせずにいていいのだろうか。それを言ってみると、静かすぎるのは好きではないのだと返された。
「モデルとジムリーダーの兼業をしてると、段々周りの騒がしさに慣れてきちゃって。急に静かになるのって、なんとなく物寂しくなっちゃうのよ」
「……ああ」
その感覚はわかる。今はいない顔が浮かんでしまったのは皮肉なことだった。
「なんとなく、わかるような気がします」
「ほんと? ありがとう」
やがてカミツレはふと手首の時計へと目を向ける。やや急ぎ目にパフェを食べ終え、ドリンクも飲み干した。
「うん、このスイーツとドリンクの組み合わせ、すごくいいわね」
「ありがとうございます」
休憩の終わりか、もしくは別地へ移動か。いずれにしろもう行かなければならないのだろう。伝票を確認したカミツレは会計を済ませ立ち上がった。
「それじゃあ、」
「あ、カミツレさん!」
席を離れようとしたカミツレを、厨房に引っ込んでいたはずのデントが呼び止め駆け寄った。何事かとコーンが思う横で、デントはカミツレに色紙とペンを差し出した。
「お忍びのところ申し訳ないんですけど、もしよかったらサインをいただけませんか?」
「あら、サンヨウシティのジムリーダーからサインを求められるなんて光栄だわ。もちろん、喜んで」
カミツレは気を悪くした風もなく、差し出されたものを受け取りペンを走らせた。
コーンにとっては意外で仕方がなかった。カミツレではなく、デントに対して。
「デント、あなた……サインを求めるほどミーハーでしたか?」
「いいじゃないか、カミツレさんがここに来てくれた記念にさ。店内に飾ったら、お客様も喜ぶんじゃないかな」
「そんな客引きまがいのことを……!」
カミツレに失礼ではないかと思ったが、カミツレはペンに蓋をしてなんてことないように笑う。
「いいのよ。ここに来る人が私を知ってくれて、ライモンジムに来てくれたりファッションに興味を持ってくれたりしたら嬉しいもの。ギブアンドテイクで行きましょう?」
はいこれ、と色紙とペンを返したカミツレにデントは丁寧に礼を言った。
「それじゃあ、また来るわね」
「はい、ぜひ。お待ちしています」
「ありがとうございました」
サングラスをかけなおしたカミツレを見送る。しかし不意に「あ、そうだ」とカミツレはこちらを振り返った。
「もし新作のスイーツとかが出たら、私にファンレターでお知らせしてくれると嬉しいわ」
ちゃっかりしたお願いに、コーンとデントはつい笑ってしまう。
「わかりました」
「ありがとう。楽しみにしてるわね」
今度こそカミツレは扉に向かった。するとちょうど入れ違いで一般のお客が店内に入ってきたが、カミツレは慌てることもなくいたって普通に去っていったのでお客は何も思わなかったらしい。まさかすれ違った人物が人気モデルであるとは思わないだろう。
思考を次のお客に切り替え、いつも通りテーブルへ案内しメニューを渡す。カミツレからのサインを持ったままだったデントは対応をコーンに任せて厨房へと引っ込んでいった。
新作のスイーツ。そんなものもあった。
まだ彼女がいた頃、試作でケーキを作った。だがあれはあのまま完成しなかった。完成させる気が起きなかった。今まで試作を投げ出したことなどなかったのに。当然、メニューにも加えていない。
なにがそんなに自分のやる気を落とさせたのだろうか。原因となる心当たりはきっと一つしかないからこそ、逆に腹立たしくもあった。あれを作った時にいた人がいなくなった。それだけのことで。
突然にいなくなった。何も言わず、何も残さず。本人の物と呼べるものなど残っていない。残っていたのは貸していたものだけだ。借金という大きな痕跡さえ綺麗に消していった。
だから彼女につながる何かなど、コーンは持っていなかった。同時に、彼女につながる何かなど、コーンは何も知らなかった。
ミエルのことを、何も知ってはいなかった。
追憶的インテルメッツォ
───間奏曲