貸した愛で君を包んで

※【ELAN May issue】ライク・ツーのカドストネタを含む。

 

土曜日の朝を迎えた。
なんとなく落ち着かないまま、いつもよりはきっちりせずに制服を着た。制服のネクタイを締めてから気がついた。別に、私服を着てもよかったかもしれない。

部屋にある小さなクローゼットに入っている、大して豊富ではない私服たち。特別おしゃれなものではない。かといってみすぼらしいわけでもない。無難で、一般的な私服たち。
最後に着たのはいつだっただろう。ひと月前に、ちょっと日用品を買いに街へ出た時だったか。そんなことも曖昧だ。

私服を着るという選択肢すら忘れ、当たり前のように制服を着てしまった。でももう一度これを脱いで、これから私服の組み合わせを選び着替えるのも面倒に思えた。
私にとっておしゃれというものは、難しい。何が自分に似合うとか、何色が自分には合うのかとか、そんなこともわからない。

まぁいいか、と軍帽だけは被らずに私は寮を出た。
学科棟へ向かいながら、制服のポケットに入れていたものを取り出す。折りたたまれたメモだ。

 

「……なんなんだろう」

 

昨日と同じようにメモを見ながら首を傾げて、学科棟へ入りさらに進む。学科棟は開放されていても、元より休日であるためまったく人とすれ違わない。
目的の場所に着いた。授業でもなければ確実に入らない被服室だ。
少し息を吸って、気持ちを整えて、扉をノックしてみる。時間の通りなら、いるはずだ。

 

「はい。開いてる」

 

扉の向こうから返事が聞こえて、恐る恐る扉を開けた。

 

「来たか。おはよう」
「……おはよう。ライク・ツー」

 

いることはわかっていた。でも少し声が詰まる。
被服室に入った私を迎えたのはライク・ツーで、戸惑う私と違って当たり前のように挨拶をしてくれる。

 

「えっと……呼び出しの通り来ましたが……」
「なにびびってんだよ。別にお前がびびるようなことしねぇよ」
「いや、だって、こんな呼び出し方されたらさすがに身構えるって」

 

手に持ったままだったメモを見せれば、そうか? とライク・ツーは少し首を傾げる。
昨日、放課後の自主トレーニングを終えて寮の部屋に戻ってみると、扉にメモが挟まっていた。

 

『明日、朝十時、被服室にて待つ』

 

短い内容と共に記名されていたのはライク・ツーの名前で、いったいどういうことかと私はしばらくの間部屋に入らず、扉の前で頭を悩ませた。
迎えた今日、時間は今ちょうど十時になったところだ。よくわからないままだったけれど、私は呼び出しに応じてここに来た。

 

「どうしたの? 何かやるの?」
「ああ、まぁ。何かやるのかって言われたらそのとおり。……というかお前、やっぱり制服で来たのか」
「え、あ……だって用件が何もわからなかったし、学校内を私服でふらふらするわけにもいかないし」

 

私の服装を指摘したライク・ツーは私服だった。シンプルなようで、でもどこか高級感すらありそうな服装だ。壁には彼のものと思われる制服がかけてあったので、おそらく制服でここまで来てから着替えたのだろう。

 

「まぁ別にここまで制服で来ようと関係ないけどな」
「うん?」
「こっち来て」

 

手招きされて壁際のほうへ行くと、即席とわかる布で仕切られたスペースがあった。

 

「なに?」
「中にある服に着替えたら言え」
「え? なん、」
「ほら、早くしろ。時間もったいないだろ」

 

詳しい説明が何もないまま、反論すら許されず私は布に覆われたスペースへと押し込まれた。

 

「ライク・ツー……?」
「ん? 終わったか?」
「あ、はい……」

 

布の隙間を開けて顔を出すと、机に何かを用意しているらしいライク・ツーはこちらに近づき、容赦なく私を仕切りの外に引っ張り出す。

 

「おお、いいじゃん。サイズも平気だな」
「ど、どうも……? あの、この服はどこから?」
「この間、俺がモデルやった撮影あっただろ。あの後スタイリストが、倉庫にある不要な服処分するって言ってて。気に入ったのがあれば持ってっていいって言われたからいろいろ見繕ったんだよ」
「へ、へえ……?」

 

布の仕切りの中にあったのは、綺麗な服だった。私が持っていても着なそうな、そもそも買うことすらできないような綺麗な服だった。ファッション雑誌を刊行する会社が扱った服と言われたらそれも納得できる。
しかし納得できないのは、なぜその服をこうして私が着ることになっているのかという事だった。昨日の呼び出しメモに始まり、一向にライク・ツーの意図がわからないのだ。彼がなんだか楽しそうだというのはわかるけれど。

 

「じゃあ次、こっち」

 

椅子を指さされる。座れという意味なのはわかったものの、どうしても聞かずにはいられなくなった。

 

「ライク・ツー……、なんで急に、……」
「あ? なに?」
「なんで急に、こういうことするの?」

 

曖昧な言葉を聞き返されて、意を決してはっきりと尋ねた。
どうして私に綺麗な服を用意したのか。貰いものとはいえ、つまりライク・ツーは私に着せる意図があって選んでいたということになる。そのうえ、急になんの説明もなくこんなことが始まれば聞かずにはいられない。
ライク・ツーは少しきょとんとしたように見えた。

 

「この前の撮影の時、お前わりと楽しんでたっぽいのは気のせいだったか?」
「それは、楽しかったけど……、楽しんでたのはライク・ツーもでしょ」
「見学だけで楽しんでたお前、おしゃれに興味持ち始めたように見えたけど」
「そんなこと……ないよ」
「そうか?」
「私には、そんなのできないんだよ……!」

 

つい、声が大きくなった。

綺麗な服を着て、綺麗なメイクをしたライク・ツーの撮影を見るのは楽しかった。
モデルとしてとはいえ、普段と違う服を着て着飾ったライク・ツーはとても綺麗だった。着こなす姿を、楽しんで撮影に臨む様子を、素敵だと思った。

モデルをしたいわけじゃない。でも少し、少しだけ思った。
あんな風に綺麗な服を着たら、自然とおしゃれを好きになれたりするんだろうかと。
興味がまったくないわけではない。ただ、私のこれまでの境遇からどうしても、おしゃれなんてただの贅沢だという思い込みが消えない。

ただ生きることにだけ必死だった経験がそう思わせる。
以前に、ライク・ツーにはそれを少し話した。あの時は私が買ったファッション雑誌から、そんな話につながった。

 

「それに……将来軍人になるなら、おしゃれなんて楽しんでる場合じゃなくなるし、今だって、そんなこと許される立場じゃないよ、私……」

 

貴銃士のマスターという立場を持ってしまった。フィルクレヴァート士官学校に所属する、将来士官となるべき候補生。そして貴銃士たちのマスター。
それ自体は事実であるのに、その事実が私の気持ちを縛っていく。
何かを楽しんでる場合じゃない。そんなことが許される立場ではない。もう私は、普通ではいられない。

 

「だから、」
「お前から見て、軍人ってのは人間らしさがかけらもない奴って認識か?」

 

いつの間にかうつむいていた顔を上げた。

 

「そんなことは……、ないけど」
「軍の規定に、プライベートに私服でおしゃれすんなとか書いてあるのか?」
「……そんなこと、ない」

 

なんだか少し、泣きたくなった。言われてみれば当たり前のことではあったけれど。

 

「それなら別に、士官候補生だろうがマスターだろうが見た目綺麗にしてたっていいだろ」

 

黙っているしかできない私に、ライク・ツーの言葉は続く。

 

「お前が心底服とかそういうの興味ないっていうなら、余計なことした俺が悪かった。そうだったら謝る」
「……興味がないわけじゃ、ないよ。前にも少し、話したけど」
「ああ、言ってた」
「私が綺麗な服着たら……、変じゃない?」
「俺が見繕ったんだから変なわけないだろ」
「そうじゃなくて」

 

似合うか似合わないか、そういうことではなくて。
私の言いたいことを理解したのか、ライク・ツーはああそういうことかと言うように笑う。

 

「お前っていう個人がおしゃれしたって、何も悪いことないんだよ。候補生なのもマスターなのも関係なくな」

 

聡明なライク・ツーは、ちゃんと私が言って欲しい言葉を言ってくれた。自分ではどうにもできない、私の思い込みを打ち砕くのに充分な言葉を。
胸に染み込むように言葉を受けた私は、目線を下げつつ深く息をついた。

 

「で、どう? 騙されたと思ってやってみるか?」

 

私はようやくライク・ツーを見据えて、ついに自分の意志で頷いた。

 

「じゃあ……騙されてみようかな」
「そう来なきゃな。じゃ、座って」

 

椅子に座りライク・ツーと向き合う形になる。
すぐそばの机に広げられていたものをようやく視界に入れると、置かれていたのは様々な化粧品たちだった。

 

「メイクの希望、なにかある?」
「え……あ、ええ、と……」

 

突然に聞かれてもすぐには答えられない。
日頃から、泥にまみれるような訓練をする日々だ。メイクをしたって意味がない。自分でもほとんどしたことがなかった。する必要もなかった。
メイクなんて、日焼け止めを塗って下地を塗ってファンデーションをして、とその程度しかわからない。おそらくだけどライク・ツーのほうが詳しいのではないかと思ってしまう。

 

「え、と……なんかこう、もはや別人に見えるような感じにはして欲しくない、かな」
「ああ、なるほど。了解。誰が見てもお前だってわかるけどかわいいって感じね」
「あ、うん、なんとなくそんな感じ」

 

美しさやかわいさを追及したことで、もはや自分の知らない顔になるようなメイクはさすがに遠慮したい気持ちがあった。
曖昧なリクエストではあったけれど、ライク・ツーは私の言いたいことを理解してくれたのか頷いて化粧品を手に取る。

容器から掌に出された液体を指で掬い、ライク・ツーの指が私の頬や顎、鼻に額に触れていく。
肌についたものが丁寧に伸ばされていく中でわかったのが、ライク・ツーがどこか楽しそうで、それでいて真剣な眼差しであるということだった。
一つ、また一つと容器やメイク道具を手に取っては、ライク・ツーはそれを使い熟して私の顔に触れさせていく。

 

「ライク・ツー、楽しそうだね」

 

モデルとして撮影をしていた時も、かなり楽しんでいるようだった。今も、それに近いような感情があるように見える。
私の指摘に、ライク・ツーは一瞬だけ手を止めた。一瞬だけだったはずなのに、綺麗な二色の瞳のまばたきが、やけにゆっくりなように思えた。

 

「……、うん、まぁ」

 

わずかに浮かんだ微笑みも言葉も、とても曖昧だった。気分を害したようには見えないけれど、かといってそれ以上の質問をするのは躊躇われるような表情だった。

彼の笑顔を見たことがないわけじゃない。嬉しそうな表情を知らないわけじゃない。けれども『楽しい』という感情は、あまり見たことがないような気がした。
むしろライク・ツーは、嬉しいとか楽しいとか、そういった感情をわざと振り払っているのではないか。私の勘違いかもしれないけれど、そんな風に思えることがある。

だからこそ先日の撮影で、あの時ばかりは何かを吹っ切ったように楽しそうなライク・ツーを見て、口には出さなかったけれど少し驚いたのも事実だった。

 

「ライク・ツーが楽しそうで嬉しいよ」

 

しかしあまり深く聞いては、ライク・ツーは楽しさをしまい込んでしまう気がした。だから馬鹿みたいな単純な相槌を打った。ライク・ツーはあっそ、とそっけなく言いつつも楽しそうな様子は消えないまま手を動かし続けた。

 

「うん、いいな。よし、OK」

 

ライク・ツーは、満足そうに頷くと道具を机に置いた。

 

「終わり?」
「まだ。お前髪は……綺麗だからそのままでも平気だな」
「え? あ、ありがとう……?」
「ワックスぐらいつける?」
「お、お任せで」

 

あくまでも褒められたのは髪だ。けれどもいきなり手放しで称賛されてつい驚いてしまう。ライク・ツーはお世辞や変な慰めを言うようなひとではない。だからこそ、彼からの称賛は疑う余地のない本心なのだと思うと、なんだかひどく照れてしまう。
結局ワックスはつけず、軽く梳かして整えるだけに留まった。

 

「あのー……、鏡ない?」

 

綺麗な服を着て、メイクをされて、髪を整えられて。今の自分がどんな姿になっているのか気になって落ち着かない。

 

「ああ、ちょっと待って」

 

ライク・ツーは机に広げていたメイク道具を片付け終えると、立ち上がって私を手招きする。被服室の壁に取り付けられた姿見の前だった。
なぜか緊張しながら私はそちらへ向かう。ライク・ツーに促されるままに姿見の前に立ち、自分の姿を見た。

つい、言葉を失った。
鏡に映った私は、綺麗だった。自分でそんなことを思うのもおかしいと思ったけれど、たしかにそう思ったのだ。
映っているのはたしかに私だと自分でわかるのに、とても綺麗な私だった。

 

「騙された感想は?」

 

鏡を通して見えるライク・ツーの表情はとても満足げで、嬉しそうだった。それを見て、鏡に映る私も自然と微笑んでいた。

 

「すごい。信じられないくらい綺麗」
「悪くない騙しだっただろ?」
「うん、ほんとに」

 

自分で施したわけではないけど、おしゃれをするとこんなに変わるものなのか。その事実に驚くと同時に感動を覚えていると、ライク・ツーが私を促す。

 

「じゃあ、行くか」
「え、どこに?」
「外に決まってんだろ。学校の外。せっかくおしゃれしたんだから出かけるぞ」

 

ライク・ツーも私服であるのはわかっていたが、まさかの外出宣言に戸惑いが隠せない。

 

「わ、私、外出届出してないよ!?」
「俺が昨日ナマエの分も出しといた。なに? それ以外の懸念事項なんかある?」
「あ……、特に、ありませんね……」
「なら問題ないな」

 

準備のよさに呆気にとられつつ促されるままに被服室を出て、学科棟を出て、門を通って街へと繰り出していく。

学校付近の街並みはいつも通りでなにも変わらないはずなのに、今日はなぜか少し違って見える。通り過ぎるショーウィンドウに映る自分の姿を見る度に、自然と背筋が伸びる気がする。
ふと、先程は訊けなかったことを今なら訊けそうだと思えて口を開く。

 

「ライク・ツー」
「うん?」

 

互いに私服で、少なからず着飾って。隣を歩くライク・ツーを見ながら、ああ、なんだかデートみたいだと思うと自然と口元も上がる。少し調子に乗った自覚があったから、今は恐れずに訊ける気がした。

自分の胸の真ん中を指差す。自分を示したつもりでもあるけれど、以前から身につけている、彼からの借り物を示したつもりでもあった。

 

「今の私、少しはかわいいかな?」

 

そんな質問にライク・ツーは驚く様子もなく、あまり見れない微笑みを見せてくれた上で答えた。

 

「モデルがお前で、俺が整えたんだ。かわいくて当然だろ?」

 

彼が嬉しそうで、楽しそうなら私も嬉しい。
またひとつ、今回は素敵な姿というのを貸してもらったなぁと思えた。加えて、彼の左腕に見えるブレスレットと、私が借りて服の内側に身につけるその片割れと。

 

「そっか、ありがとう。嬉しい」

 

ライク・ツーから貸してもらった物と姿で、今日の私は一等きれいにできている。

今度はネイルとかもしてみるか、とまたライク・ツーは嬉しそうに笑った。