闘技場でルカリオとウインディは軽めの手合わせを終えた。
闘技場を出てウインディと別れる。彼はこれから食事の時間だ。決められた食事の時間があるようだが、ウインディは何度かそれを破っているのをルカリオは知っている。
その原因が自分との手合わせにあることがわかった時は、エストレアにとても申し訳ない気持ちになった。それ以降は食事の時間までに手合わせをやめるようにしている。
あの日はエストレアがルカリオに体術の指導を申し入れた日だった。
少し席を外したウインディがエストレアを連れて戻ってきた時は驚いた。その上、体術を指南してくれとまで言うのだからそれはもう慌てた。
エストレアが剣術を日課にしているということは主人から聞いていたが、彼女はそれでは満足しないらしい。今ではすっかり、彼女が自分と組み合う姿に慣れてしまっている。
主人と共同の部屋へ戻る途中、ウインディが戻ってきた。
『どうかしたのか?』
「ガウ……」
『いない? エストレア様が?』
いつもの場所に行ったが、エストレアがいなかったのだという。だが城内にはいるはずだ。もしかすると主人と一緒にいるのかもしれない。
『私も探してみる。見つかったらエストレア様に伝えておこう』
頷いたウインディも彼女を探すべく再び駆けていった。
ルカリオはひとまず可能性がある自分たちの部屋へ行ってみることにする。だがすぐにその必要はなくなった。
城の中へ入るための階段にエストレアは座っていたのだ。すぐにルカリオに気づいた彼女は小さく手を振ってきた。さすがにそれにつられて手を振り返すわけにはいかないので、会釈をして近づく。
『エストレア様、このような所でどうされたのですか?』
「んー? さぼり、かな」
『……は?』
まさかの返答に耳を疑った。仕事は常に真面目に取り組んでいる彼女が仕事をさぼるなど考えられなかった。しかもこそこそと隠れてさぼるわけではなく、こんな場所で堂々とだ。
「冗談だよ。今は会合中で、少し時間ができたから休んでるの」
『あ……そうでしたか』
妙に安心してほっと息をつく。
「ルカリオは部屋に戻るところ?」
『はい。先ほどまで闘技場で、』
そこまで言って思い出した。
『エストレア様、ウインディが探していました。彼の食事の時間では?』
「あ、そうだった」
ウインディに関することを忘れるとはまた冗談なのではないかと思ったが、苦い顔をした彼女はどうやら本当に忘れていたらしい。珍しいなとルカリオは思った。
「……もう少しここにいたい気分なんだよね」
これまた珍しい。ルカリオがいつも見ている彼女なら、忘れたとしてもすぐにウインディの所へ行くはずだ。そもそも、いつも通りの彼女はウインディを忘れること自体があり得ない。
「何度かウインディには待ちぼうけさせられたから、今日は仕返しでわたしが遅れることにしようかな」
『そう、ですか』
仕返しの仕方がなんだかツボに入ったルカリオは返事をしつつ笑いをこらえた。
「さっきまで闘技場にいたんでしょう。ルカリオも座ったら?」
『よろしいのですか?』
「もちろん。だってここは、別にわたし専用の座る場所じゃないから」
たしかにそのとおりだが、そう言われると身も蓋もないような気がする。
ウインディに言った、見つけたらエストレアに伝えておく、ということはすでに果たしている。先に非があるのはウインディであることも事実だ。
このままエストレア様の仕返しに加担するのもあり、か。
ルカリオは少し距離を空けて彼女の隣に腰を下ろした。
『エストレア様、一つよろしいですか?』
「その質問そのものですでに一つだけど。うん、もう一ついいよ」
指摘されてみればそのとおりだった。とりあえず、二つ目の質問を許可されたのでありがたく訊いてみる。
『エストレア様が、ウインディと意思疎通ができていらっしゃるのはなぜですか?』
以前から思っていた疑問だった。
ルカリオやウインディを始めとした生き物は、人の言葉を理解している。だがその逆があまりうまくいかないのだ。
ルカリオはテレパシーという特殊な能力を有している。その能力の性質上、しゃべるというよりは相手に思考を直接送っているというのが正しい。性質はともかくとして、その能力のおかげでルカリオは人間との会話には苦労しない。
だがウインディはそうではない。にもかかわらず、見る限りでは彼女とウインディは互いの言うことが全て伝わっている。
「なぜって訊かれると難しいなぁ……でも、たしかにそうだね。他の人はウインディの言うことはわからないって言うし」
質問の内容が予想外だったのか、エストレアはうーん、と考え込む。
「長い間一緒にいるし、それが当たり前になっていたから考えたことなかったなぁ」
それでもわかるの、と彼女は続けた。もちろんルカリオもそこは疑っていない。
「正直なところね、」
『はい』
「ウインディの言いたいことが本当に一字一句間違えずわかってるのかと言われたら、たぶんそうじゃないと思う。言ってしまうと“なんとなく”でしかない」
自分の言いたいことをまとめようと考えながら話しているようで、表情は少し険しい。
「でも、そのなんとなくを確信していて、そしてそれが本当に当たってる。ウインディもわかってる」
困惑するように笑った。
「昔からの慣れなのかな。ごめんね、あまりうまく言えなくて」
『いえ』
突飛なことを質問した自覚はあったし、彼女の言いたいことは伝わった。
「友達だからかなぁ」
『友達、ですか?』
「うん。主従というのも間違いではないけど、どちらかというと友達と言うほうが近いのかなと思って」
友達という言い方には耳慣れないものがあった。ルカリオ自身とアーロンはもちろん、すべての人々や他の生き物たちとの関係は、信頼によって得ることのできる主従だと思っていた。
妙に耳に残る言葉だった。
「そういえば、アーロン様もウインディと意思疎通できているのはどうしてだろうって思う」
『ああ、たしかにそうですね』
主人であるアーロンは彼女のように長い間ウインディといたわけではないが、彼らもまたそれができている。
「アーロン様がすごい方だからなのかな」
明確に肯定こそしなかったが、ルカリオも納得してしまっている自分に気づいた。アーロンだからできることだと言われると、無条件にそうなのだろうと思えてしまう。
そう思ったルカリオに反して、あ、と彼女は顔をしかめた。
「今の話、アーロン様にはしないでね。ウインディにも。というより他言無用」
『それはかまいませんが、なぜですか?』
「どうしても。……アーロン様をね、あまり特別視したくなくて。無意識であっても」
理由は詳しくはわからなかったが、その表情があまりにも真剣だったので、ルカリオは頷くしかできなかった。だが真剣な表情はすぐにいつもの表情に変わり、彼女は腕を前に出して伸びをした。
「さてと、そろそろ行かないとウインディがかわいそうかな」
『そうですね。ですが、向こうのほうが早かったようです」
「え?」
少し不思議そうな顔をしたが言葉の意味がわかったらしく、そちらに視線を向けるとちょうどウインディが向かってくるところだった。
ルカリオとエストレアを交互に見た後にルカリオに向けられた視線は「見つけたら伝えてくれるんじゃなかったのか」と、明らかに不満を訴えていた。
伝えることはした。でも連れて行くとは言っていない。
途中から彼女に加担したルカリオは自分の言葉の揚げ足を取るという妙なことになってしまったが、含み笑いでウインディからの視線を流した。
『すまないな、ウインディ』
「何かあったの?」
『いえ、こちらの話です』
「ガウッ!?」
「ごめんごめん。でもいいでしょう一度くらい。ウインディが食事の時間に遅れた前科は何度あったっけ?」
「……グル」
痛いところをつかれたのは見て取れた。しおれた様子のウインディを撫でた彼女は立ち上がる。
「さ、ごはんにしよう。そろそろ会合が終わるだろうからわたしも行かないといけないし。じゃあルカリオ、後でまた」
『はい。ありがとうございました』
同じ場所で休むことを許可してくれたことと、質問に答えてくれたことの二つに対しての礼はきちんと伝わったらしい。「どういたしまして」と微笑んでウインディと去っていった。
後で、というのはもちろん体術の稽古のことだ。基本はすべて教えた。あとは実際に使うとなった時に、それが使えるかどうかは彼女次第だ。
今会合が終わるということは、稽古の開始も少し遅くなるかもしれない。最近は会合の頻度が多いし、時間も長い。ただの会合ではないことは、ルカリオも何となく感じている。
何か大きなことがあるのだろうか。だが、今の自分がその心配をしても意味がない。せめて悪い方向に考えるのはやめるべきだ。
『……!』
部屋に向かう足が止まった。……エストレア様も同じように考えていたのでは?
表情こそいつもと変わらなかったが、休憩をさぼりと言ったりウインディの食事を忘れていたり、それを思い出してもすぐには行かなかったり。どこかいつもの彼女らしからぬ様子があった。
彼女も不安な何かを感じているのかもしれない。ルカリオはそれを振り払うように頭を振る。そうしないと、余計に嫌な考えを引き寄せてしまいそうだった。