見つけたその場所に君といた

窓の外を見た。ナマエがいた。
訓練中だというのは一目でわかった。制服とは別の、訓練用の服を着て、連合軍の標準装備をすべて身に着けて。

実弾の使用はないためか、おそらくは訓練のために装備の一つとして渡されたのであろうアサルトライフルを抱えて訓練場を動き回っている。それでもすぐに、彼女だとわかる。
彼女の本来の所有武器はスナイパーライフルであるUL96A1だが、今は言わずと知れた貴銃士マークスとなっている。だから今彼女が持っているのは学校が支給したものだろう。

ゴールと思われるポールを通過したところで彼女の走るスピードは緩み、他の生徒と共に整列していく。
女子生徒と何かを話しながらも、笑って頷いている様子を見るに今日も彼女は元気そうだ。
薔薇の傷の状態も良好であることは、昨日自分が治療を施したからわかっている。
よかった。ナマエ元気そうだな。

 

「……ジ、……こら、ジョージ!」
「うおあ!? 俺か!?」

 

突然に大きな声で名前を呼ばれて我に返る。

 

「そうだ。他でもない君だよジョージ。さっきから指名しているのにまったくの上の空みたいだね」
「わ、悪い、恭遠」

 

まず目が合ったのは、黒板の前に立ちやれやれと肩を竦める恭遠だったが、指名されても反応をしなかったジョージにはあっという間に他の貴銃士の視線も集まっていた。

 

「ジョージには居残りで宿題をやってもらうよ」
「えええ!」
「それと、今日の日誌当番はジョージにやってもらう。きちんと書いて提出するように」
「Oh,my god !」
「返事は?」
「……Yes,sir.」

 

恭遠は普段から穏やかで優しいが、だからといって不真面目に寛容というわけではない。目に余る場合は注意もするし、今のように罰も与える。
今回は授業中に上の空だった自分が悪いというのはジョージも自覚があったので、声のトーンは落ちたものの素直に頷いた。

 

「今のジョージにこの問題の答えを聞いてもわからないだろうから、じゃあ代わりにマークス」
「了解した」

 

マークスが席を立って黒板へ向かい、問題の式や図を書いて解答していった。

 

夕方になった教室でひとり居残りというのはとても悲しい。
今日の授業で使われた問題がそのまま出題されているプリントに向き合い、ひぃひぃ言いながらなんとか空欄を埋めた。答えが合っているかに関しては、途中で考えることをやめた。

 

「日誌もやらなきゃなんだよなぁ……」

 

本来は他の貴銃士が今日の担当だったが、恭遠から与えられた罰則なのでもちろんジョージがやることになる。
学級日誌のページを開き、日付や今日はなんの授業を受けたかを書き、問題はその後だった。『反省・報告』の欄に何を書くべきか。

以前に、マークス、ライク・ツー、十手を含めて自分たち四人で日誌を書いた時は、もう少しちゃんと書くようにと言われたことがある。ジョージとしてはちゃんと書いたつもりだった。
マークスの『マスターのカレーがたべたい』という内容に引っ張られて『オレはバーガー食いたい!』と書いたのが、どうやら学級日誌に書く内容としては相応しくなかったらしい。

 

「ん~、なんて書いたらいいかな」

 

ひとまず反省の証として、授業で上の空だったので次から気を付ける、といった旨のことを書く。
さてそれ以外に何も書くことが浮かばない。しかしこのまま提出しても、差し戻されてまたひとりで書くことになるかもしれないと思うと、他にも何か書かなくてはと考えてしまう。

ふと窓の外を見た。オレンジ色のグラウンドの中で、誰かがこちらを見たのがわかった。
少し遠かったがすぐにナマエだと気が付いた。彼女も彼女で、こちらにいるのがジョージだとすぐにわかったのか、手を振ってくれる。
思わず窓を開けて大きく手を振り返した。

 

「ナマエ!」

 

呼ばれた彼女は、少し焦ったように周囲を見回している。
あ、しまった、大声で呼んだら目立っちゃうのか。
しかしもう呼んだ後なので取り消しも効かない。放課後なのに熱心にランニングでもしていたのかもしれない。マスターは頑張り屋だ。

この時間に教室にいるジョージが居残りになっているのだと理解したのか、がんばれ、というようなジェスチャーをすると彼女はまたトレーニングに戻っていった。
不意に思いついて、ジョージは再び学級日誌に向き合いペンを走らせた。
早くこれを終わらせて提出して、グラウンドまで全力で走って行きたかった。

 

    *

 

「自信満々で提出してきたと思ったら……」

 

ジョージの提出したプリントの採点を、多くのバツと少しのチェックマークで終え、恭遠は日誌の確認に移っていた。

 

「……はは、彼にとっては非常に重要だから、致し方ないかもしれないなぁ」

 

報告および反省の欄に書かれた内容を読み、この内容に文句をつけるのは野暮というものだろう。下手をすれば他の貴銃士たちすら、この内容に何の文句があるのかと言いそうなものである。そう思えるような日誌の内容だ。
別枠の空欄に教師としてのコメントを書き、検印欄にハンコを押しながら、恭遠は困ったように眉を下げて笑った。

 

今日は授業でぼーっとしてた。次から気をつける。 Sorry !
ナマエが訓練をがんばってた。笑ってたから元気そうだと思った。
ナマエが元気そうだとみんなうれしくてHappyになれると思う。
放課後もトレーニングをしてた。ナマエはがんばり屋! So,cool !
オレももっとがんばってマスターやほかのみんなの役に立ちたい!

 

──ナマエ君が元気なようで何より喜ばしいことですね。ジョージが座学の授業も頑張ってくれると、より嬉しいです。  恭遠

 

   *

 

放課後に自主トレーニングとしてグラウンドを走っていたところ、ジョージが混ざってきたことで一緒にランニングをした。
数分前にジョージが教室にいるのが見えて、遠目ながらもささやかなやりとりをした直後にジョージがやって来たので私は少し驚いた。

察するに何かしらの居残りを課されていたのではないかと思ったけど、まぁおそらくちゃんと終わらせてから来たのだろうと思うことにする。
もし途中で放り出してここに来てしまっていたのなら、あとで一緒に恭遠審議官に謝りに行こうとも思っていたけど、どうやら終わらせてから来たらしいので安心した。

 

「ナマエ! 明日の土曜日はどこかにでかけないか?」

 

トレーニングを終えて一緒に寮に戻る途中、ジョージからそう声をかけられた。
出会ってからまだ日も浅い私から見たジョージは、元気いっぱいでじっとしていることが苦手、というような印象だった。
実際、座学の授業は苦手のようだけど、実技訓練は普通に得意なようだ。

 

「うん、いいよ。どこか行きたい所があるの?」
「この前に職業体験した時、バーガーのおいしい店見つけたんだ。ナマエもきっと気に入るぜ!」
「そうなんだ! じゃあそこに行こう。他には?」
「えーと、あとは──」

 

私の了承を得られたジョージはとても嬉しそうに、指折り数えて行きたい所を考えている。
今日の内に外出許可証を提出しておいたほうがいいかな、と考えているとジョージに呼ばれてそちらを振り向く。

 

「ナマエは、どこか行きたい所はあるか?」

 

笑顔ではあるけれど、なんだか話のノリで訊いてきたというわけでもないように見えた。そう見えたのは気のせいかもしれないけれど。

 

「バーガー食べたあとは、せっかくだからゆっくりお茶が飲めるようなお店に行きたいかな」
「OK! シャルルからいい店教えてもらってるんだ、そこに行こう」
「ほんと? ありがとう」
「あとは?」
「うーん、そうだなぁ、」

 

本当は、まったくもって、そんなことを言うつもりはなかった。
けれどこの時の私は何を思っていたのか。
やはりまだ、親友を失った悲しみから立ち直り切れていなかったのか。突如として『マスター』という役目を負うことに何かを思っていたのか。
自分でもよくわからない。

 

「誰もいなくて、綺麗な花がたくさん咲いてる所に行きたい」

 

言ってから、少しの沈黙が落ち、それによって自分が何を言ったのか気が付いた。
私は今、なんと言ったのだろう。いや、そこまでおかしなことは言っていないけれど、話の流れからしたらかなりおかしいことだった。

明日街に出かけようという話をしていたというのに、突然に、そんな幻想的とも言える場所に行きたいなどと言ったらおかしいに決まっている。
ジョージを見上げてみると、案の定というか、彼は驚いたように呆気に取られた表情で私を見ていた。

 

「あ……、ごめんジョージ! 今のは何でもないよ。ただの冗談で、」

 

イギリスの街中にあるここから、おとぎ話でしか描かれなそうな場所に行きたい、などとうっかり言ってしまった自分が恥ずかしくて。
まるで、自分の役目から逃げ出したいとも受け取れる発言が無自覚に出たことが情けなく思えて、慌てて手を横に振って否定を示そうとした。

 

「わかった」

 

ところがその否定は、ジョージの明確な相槌で遮られた。

 

「行こう。誰もいなくて、綺麗な花がたくさん咲いてる所」

 

ジョージの表情は冗談めかしてとか、ふざけているとかそう言う風には見えなかった。
微笑みながら、しかし本気で、私の願う場所に行こうと言ってくれているのだと理解するには充分だった。

 

「え……、で、でも、イギリスにそんなところないと思うし……」
「それはわかんないって。俺もマスターも、イギリスの土地を全部知ってるわけじゃないだろ?」
「それは、そうだけど」
「イギリスになかったら、フランスでもドイツでも日本でも、ありそうな所全部行って探そうぜ」

 

きっとあるよ。そういう所。
ジョージは笑顔なのに、言葉のひとつひとつはとても真剣なのがわかった。だから私も、冗談だよ、なんて言うのはやめた。

今日の私は、少しおかしかった。自分でもそんな自覚はあった。何か寂しかったのか。悲しかったのか。言いようのないもやもやとした暗い感情に覆われていた。
授業や訓練はひとまずいつも通りにこなしたけれど、気持ちが晴れたりすることはなかった。そんな感情を紛らわすために、振り切るために放課後も体を動かすことにしたのだ。

何かをしていないと、暗い感情に飲み込まれそうな気がして。
黒い影が、後ろから引っ張ってくるような気がして。
もはやペース配分など無視してがむしゃらに走り続けていた。きっとライク・ツーがいたら注意されていたであろう程の、およそトレーニングとは呼べないようなこと。

後ろを振り向いたら黒い影に追いつかれるような気がした。それから逃げるように走り続けた。
こっちに来るな。私は平気。まだ……、まだまだ頑張らなければならないのだから。

 

『ナマエ!』

 

呼ばれて我に返って、足を止めた時に駆け寄ってきたのはジョージだった。

 

『放課後もトレーニングなんてマスターはがんばり屋だなぁ! 俺も一緒に走っていいか?』

 

屈託のない表情でそう言ってきたジョージに、思わず頷いていた。
ふと自分の後ろを振り返った。
黒い影なんて、そんなものはそこにはなく、ただ夕日に照らされるグラウンドがあるだけだった。

 

『どうしたんだ?』
『……ううん、なんでもないよ』

 

ジョージが私を呼んだ途端、ジョージが私の所に来てくれた途端、暗い感情は不思議と消え去っていたような気がした。
私は、何と戦っていたんだろう。何を恐れていたんだろう。何から逃げていたんだろう。

そんな、不明瞭なままの感情によって口から出てしまった願望を、ジョージは臆面もなく肯定してくれた。

 

「あ、でも、さすがに明日だけでそういう所探すのは無理だろうから、すぐには行けないと思うけど……」

 

突飛な私の発言を真剣に受け止めて、けれども突飛だからこそ現実的にはすぐにできないというのを申し訳なそうに頬を掻く。そんな様子に、なんだかとても泣きたくなった。なんだかとても嬉しかった。

 

「あ、はは……。さすがに、明日は無理なのはわかってるよ。大丈夫」

 

少しだけ目に浮かびかけた涙を、笑いでごまかすようにそっと拭った。

 

「ありがとうジョージ。そういう所を探すの、手伝ってくれる?」
「Of course!」

 

元気よくジョージは返事をしてくれたが、あ、でも……と少し弱気な表情を浮かべた。

 

「ナマエは、誰もいない所がいいんだよな?」
「え? う、うん。まぁそこは、ほんとに誰もいない状態じゃないと嫌だ! とか思ってるわけじゃないけど……」

 

ある意味、その点に関しては言葉のあやでもある。
ジョージは窺うように私を見ると、躊躇いがちに口を開いた。

 

「ナマエとそういう所に行こうって俺は思ったけど、ナマエが、自分以外誰もいないほうがいいって言うなら、俺は一緒に行かないほうがいいのかと思って……」

 

そう言われて驚いた。ジョージがただ遠慮しているというより、それは私への繊細な配慮だと思えた。
私が一人になりたがっているのなら、自分はその場に一緒にいるべきではないのだと、そんな風に考えたのだろうか。
ジョージの言葉に、私は首を横に振った。

 

「せっかく約束してくれたんだから、ジョージも一緒に行こうよ」

 

脱いでいた上着や軍帽を持っていないほう、彼の空いている手を取った。

 

「それに、ほら、もし行く途中でアウトレイジャーが出たりしたら私一人だと倒せないし。ジョージが一緒にいてくれたほうがすごく助かるし、楽しいと思う」

 

守って欲しい、などと情けないことは言わないけれど、きっとそう伝えたほうがジョージは喜んでくれる。一緒に来てくれる。
ジョージはぱっと表情を輝かせると、私の手を握り返してくれる。

 

「ああ、俺に任せろ!」
「よかった。じゃあ、約束ね」
「わかった!」

 

いつ行けるかなんてわからない。誰もいなくて、花がたくさん咲いている場所。そんな場所を探すなんて、どれだけの時間がかかるかわからない。

実際、見つけたとして行けるかどうかもわからない。そんな所へ個人的に行く許可なんか降りるのかすらもわからない。
それでも、ジョージが一緒にいるなら、きっと私は彼と一緒に飛び出してしまうんだろうなと思った。

──行こう、マスターの行きたい所。

彼のそんな言葉に背中を押されて、手を引かれて、例えどこにいようとも走り出してしまうのだろうと思う。
あとで、やっぱり冗談だよと言ってくれてもいい。約束を反故にしたなんて恨んだりはしないから。

 

「明日出かけたら、書店でガイドブックとか、国ごとの地図みたいなのとかそういうの買おうぜ!」

 

でも子供みたいな約束を、絵空事みたいな願いを、ジョージがこうして笑顔で受け止めてくれるなら。

 

「うん、そうしよう」

 

今みたいに私も笑って手を差し出すから、その時はどうか君に一緒に来て欲しい。そう思う。