花びらのいたずら

基地で桜が咲いた。
まさか基地の周辺に桜の木があるとは思っていなかった。でも以前から、クニトモが「これってもしかして、桜の木やん? ええなぁ」と言っていたから、私も桜の木であることは知っていた。
咲くのを楽しみにはしていたけれど、本当に咲くのかな、なんて少し疑いの気持ちもあった。

でも今現在、桜の木にはため息を吐きたくなるほどの美しい花が咲いていた。八分咲きだか満開だかはわからないけれど、とても綺麗であることに変わりはないから、別にどちらでもよかった。
風が吹いて、少しずつ花びらが舞っては地面に落ちていく。
桜の花が咲き始めてからというもの、春を感じるささやかな時間を求めて誰かしらがここにいることが多い。私もそのクチだった。しかし幸運なことに、今に限ってはこの場に私以外誰もいない。この空間と景色を独り占めできているなんて、なんて贅沢なことだろう。

また風が吹いて花びらが落ちる。
ちょうど自分のほうへと落ちてくるものを、なんとなく手でキャッチしたいと思うのはどうしてだろう。つい反射的に手を動かして花びらを掴む。しかし意外にも一枚しか手に収まっていないことに小さく笑った。

 

「マスター?」

 

自分の名前ではないけれど、呼ばれた声のほうへ迷いなく振り向いた。私を呼んだ声ですでに誰かわかってはいたけれど、姿を見たら自然と微笑んでしまった。

 

「シャルル」

 

手を振ると、シャルルも笑ってゆっくりこちらへ近づいてきてくれる。

 

「珍しいね、こんなにここに人がいないのって」
「でしょう? ラッキーって思って」
「俺も。マスター以外いないし、マスターに会えてラッキーって思った」
「そんなに? ありがとう」
「君に会えて、俺が嬉しくならないわけないでしょ」

 

照れつつも、またお礼を言って笑った。
今日もシャルルは私を喜ばせるのが上手で困ってしまう。しかしそれでも、私だって恋人に会えて嬉しくないわけがなかった。それをうまく口にできないというだけで。
本当はいつだって、恋しい気持ちが目の前の桜みたいに咲き誇っているけれど、なんていうのはちょっと恥ずかしくて口には出せない。

 

「マスターは?」
「え?」
「君は、俺に会えて嬉しい?」

 

隣に並んだシャルルを思わず見上げた。冗談っぽく笑っているけれど、質問そのものは決して冗談ではないのだろうと思える。シャルルの目を見て頷いた。

 

「もちろん、シャルルがここに来てくれて嬉しいよ」
「……なんか、改めて言われると、けっこう照れるね」
「訊いたのシャルルでしょ」
「そうだけど! そうなんだけど!」

 

あー……、とシャルルが珍しく照れている間に、また風が吹いて花びらが舞った。今度は少し風が強くて思わず目をつむる。風が弱くなったのを感じてそっと目を開けると、シャルルがこちらを見ていた。
目を合わせてみるとシャルルはいたずらっぽく微笑む。すると私が首を傾げている間に、急にシャルルの顔が近づいた。
急すぎて、また目をつむってしまった。

キスされる。そう思ったから。
でも少し驚いただけで、嫌なわけではない。だから少しだけ、ほんの一瞬の間に期待をした。
けれど降ってきた感覚は予想していたものとは違っていた。
唇が触れ合うのではなく、下唇にだけそっと何かが触れた程度。すぐに離れていったその感覚を不思議に思い目を開けた。

近い距離にいたシャルルは、口から舌先を覗かせていた。
その様子に加えて、その舌先には薄いピンク色の花びらが一枚付いていた。
私と目が合ったシャルルは目を離さずに指で花びらを取った。そして私の下唇を、ちょん、とつつく。

 

「付いてたよ、マスター」

 

その言葉でついに私の頭は理解した。かっと顔が熱くなるのがわかる。

 

「普通に取ってよ……っ」
「ごめん。でもほら、今度はちゃんと期待に応えるよ」

 

そう言われて言葉に詰まった。
期待に応える、なんていう意味の解釈は一つしかないからだ。「ね?」と笑うシャルルと額を重ねて、頬に手が当てられたところで、私はもう開き直ることにした。
私もシャルルも、きっと桜の香りと春の陽気に充てられたのだ。
桜の味って、甘いのかな。触れた唇とその香りに、そんなことをぼんやりと考えていた。