閉店間際の時間、コーンがテーブルの片づけを始めるとミエルが最後の客に声をかけていた。
「お客様、申し訳ありません。そろそろ閉店の時間となってしまうのですが…」
「あ、もうそんな時間!?」
「うわぁ、長居しすぎちゃってごめんねミエルくん」
「いいえ。女性は話が積もるものですからね」
「よくわかってるー!」
会計を済ませた二人の女性客をミエルが入口までお見送りする。その日最後のお客様には、より丁寧に。そう教えたのはコーンだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
ドアを開けて二人を送り出す。
「ありがとうございました。お気をつけてお帰りください」
「うん、またねミエルくん。またデザートと飲み物のおいしい組み合わせ教えてね」
「わかりました、お任せください」
「またねー」
手を振って帰っていく二人を見送って、ミエルが店のドアを閉めた。
「いい対応でしたね」
「ほんと? ありがとう」
褒められたことに対して、ミエルは素直に嬉しそうな顔をした。相変わらず男と間違われ続けているが、すでに本人はさほど気にしている風でもなかった。
テーブルの片づけやフロアの掃除を終えて厨房へ戻る。その途中、ミエルはテーブルクロスをリネン室へ置いていく。仕事ぶりは慣れたものになってきているようだった。
「お疲れ様ー、フロアは終わりました」
「おう、おつかれー。こっちももう終わる」
厨房でも、ちょうどポッドとデントが片づけを終えたところだった。
「よし、戸締りもしたし。戻ろうか」
「おう」
「……あ、ねえコーンくん!」
「なんですか、大きな声を出して」
突然コーンの袖を引っ張るミエルは随分嬉しそうに笑っていたから、何事かと思った。
「ほら、あれ! 二人に食べてもらおう」
「ああ。そうでしたね」
昨日の試作スポンジケーキを思い出す。
「なんだよ、あれって」
「何か作ったの?」
「はい。試作のケーキを。二人からも意見が欲しいんです」
「へえ、いつの間に! 楽しみだなぁ」
「新しいデザート、しばらく出してなかったからな」
わくわくした表情の兄弟たちの反応は如何ほどか。裏口から店を出て、目と鼻の先である自宅へ向かう。
「あ、そうだ。私ちょっとコンビに行ってくる」
「今からですか?」
「え、一人で大丈夫かい?」
「すぐだから大丈夫だよ。時間はかからないから」
「気をつけろよ!」
「うん、ありがとう」
急ぎの買い物でもあるのか、ミエルはコンビニの方向へ駆けだしていく。
「ミエル一人だと何か起こりそうだな」
「……同感ですね」
「心配だから僕が付いて行ってくるよ」
「え、」
「あ、コーンが行く?」
「結構です!」
「大声は近所迷惑だよ」
思わず漏れ出た声を拾ったデントはにこにこと笑うが、コーンは盛大に断った。誰が行くものか。いや、ミエルを一人で行かせることに何も思わないわけではないが。
小さく笑ったデントはミエルを追いかけていった。小さくなっていた背中にデントが追いつき声をかける。ミエルは申し訳なそうに笑って頭を下げ、デントと歩き出した。
……なんなんですか、デントは。紳士然としているくせに含みのある言い方とあの笑顔にはついイラっとした。
「行きますよポッド」
「なに怒ってるんだよ?」
「気のせいです」
自分の機嫌がよろしくないことは自分が一番わかっている。
「なんかさ」
「はい?」
「ああやって見るとミエルが女の子だって、わりとわかるよな」
言われて、遠ざかっていく二人の姿を目で追った。
二人とも同じウェイター服。ミエルは客から男と間違われている。服装のせいもあってかそこそこ中性的に見えるが、それはミエル単体で見た場合だ。
後ろ姿はデントより背が低い。体格も線が細い。並んでいる二人は、比較するとその違いがよく分かった。そのせいか、何も変わっていないはずなのにいつもよりミエルが華奢に見えた。
「……そうですね」
「並ぶと案外小さいよな、ミエルって」
「小柄な男の子でお客には通っていますけど」
「そうだけどさ、目に見えて」
そこまで言ってようやくポッドは自宅に向かい出す。ポッドは別に、自分が特別なことを言ったつもりはないのだろう。自分が思ったことを言っただけで。そしてそれが、コーンにとっては少し思うものがあったというだけで。
自宅の台所で昨日のケーキを準備をしている途中で、デントとミエルが戻ってきた。時間はかからないと言っていたが、本当にすぐだった。
「で、これがその試作か」
「チョコレートとのマーブル状か。見た目がすごくいいね」
「味についてはチョコレートの量、もしくはカカオ度数を調整する予定です」
ケーキを切っている間に、ミエルが皿とフォークを用意してくれたことに少し感心した。兄弟二人はケーキを一口食べると思案気な表情に変わる。
「たしかにチョコレートの苦みは来るけど、ここにクリームの甘さがプラスだろ? オレはそこまで大きな調整はしなくていい気がする」
「フルーツは何を挟むかも考えないといけないね。いろいろ合いそうだけど」
「要検討、ですね」
昨日と同様にノートにメモ書きをする隣で、ミエルがあくびをかみ殺しているのに気付いた。
「ミエル、眠いなら先にお風呂に入ってきてください」
「あ……うん、ありがとう。そうする」
「おつかれー」
「おやすみミエル」
「うん、おやすみなさい」
台所を出ていき、階段を上る音も小さくなっていった。残った自分たちはプロ三人なので、そのまま試作についての相談は続く。途中、ポッドが思い出したように口を開いた。
「そういえばデント、ミエルは何しにコンビニ行ったんだ? 手ぶらだったけど」
「ああ。何も買ってないよ。用があったのはATM」
「急ぎの用だったんですか?」
「そこまででもないけど、あとでポケモンフーズを買うのにお金を卸しておきたかったんだって」
「ああ、それだとミエルには急ぎだな」
「僕もそう思った」
察したように笑うポッドにつられて、コーンもつい笑った。
以前、ポケモンフーズを切らした経験のあるミエルにとっては、できるだけ早めにお金準備しておきたかったのだろう。あれは本人もそうとう反省していたようだし、トレーナーとしてポケモンに対する優しさは確かだ。
「ねぇコーン、ここのメモって、クリームを変えて二種類のケーキ扱いにするってこと?」
不意にデントが指さしたのは、昨日書いたメモ書きだった。
「ええ、そうです」
「それはおもしろそうだな!」
「ミエルのアイデアですよ」
「へぇ~、よさそうだね」
ということは、昨日の段階でコーンとミエルは二人でこれを試食していたということか。どういう経緯でそうなったかは知らないけれど。デントが内心でそんなことを思っていたことはもちろんコーンは知るわけがない。
明日、このスポンジの改良とクリーム二種類を試すことに決めてその日は解散した。
正直、昨夜突然にミエルが台所に来たことにはかなり驚いた。だが、だからこそいいアイデアも得られたのだと考えると昨夜のあの時間はとても充実したものだった。
明日の試食には、ミエルも最初からいてもらいましょうか。
*****
いつものように起床して身支度を済ませる。階段を下りて台所へ向かうと、今日の朝食当番であるポッドがフライパンへ卵を落としていた。トースターの駆動音も耳慣れたものだ。
「おはようございます」
「おはよう。もう少し待っててくれ」
「デントはポケモンたちへ食事ですか?」
「ああ、すぐ戻ると思う。……あ、そうだコーン。ミエルに声かけてきてくれ」
「はい?」
突然のミッションに思わず間抜けなリアクションをしてしまった。
「まだ起きていないんですか?」
「ああ、珍しく」
本当に珍しい。先日ミエルは「早起きは得意だ」と言っていたが、あれは決して嘘ではない。事実ミエルはこれまで一度も遅刻することはなかったし、むしろ早すぎるほどだった。
住み込みを始めてからは、彼女の部屋のドアが開く音や、廊下を歩く音で自分たちが目を覚ましていたくらいである。
「……わかりました」
また体調を崩したのだろうか。そんな不安がよぎったコーンは、了承して再び階段を上がった。二階の廊下を歩き、部屋……もとい元物置のドアをノックする。
「ミエル、起きていますか」
返事はない。とても静かだ。
「……ミエル?」
ドアの向こうからは一切の音が聞こえない。不自然なほどに何の気配もない。
開けます、との一言もないままコーンはドアノブを回した。元が物置のため、自分たちの部屋よりも圧倒的に狭い場所。
返事がなくて当然だった。静かでなくてはおかしい。何かの音がしたら怪奇現象だ。──誰もいない部屋で。
一歩、部屋に足を入れた。
床は磨かれたばかりのように綺麗で、掃除がされた後のように見える。木箱をいくつか寄せて作った名ばかりのベッドは、マットレスがたたまれていた。その上に掛布団や枕が重ねられている。
ベッドサイドに見立てるように配置した別の箱には、丁寧にたたまれた服が置いてあった。ここで働くために貸していたもの。ウエストエプロン、ワイシャツ、ベスト、スラックス。上から順に重ねられたそれは丁寧にアイロンがかけられていた。
その横に、茶封筒が一つあった。
少し厚みのあるそれを手に取って開けてみると、そこそこの金額の紙幣が入っていた。それと一緒に、つい先日ミエルに渡した明細書が入っている。
それらの意味を理解するのに時間はかからない。これには、コーンが手書きで彼女の借金残高を書き足した。
窓は閉められていたが、鍵は開いていた。
「コーン……?」
振り返るとデントが入り口に立っている。戻ってこない自分と、ここにいるはずのミエルを呼びに来たのだろう。
デントはすぐに部屋の違和感に気付いたらしい。中を見渡し、ここにコーンしかいないことに困惑した表情を浮かべた。
「コーン、ミエルは……?」
「……さぁ。コーンにもわかりません」
答えた自分の声は妙に小さく聞こえる。
わからない。突然に訪れた部屋の静寂。突然過ぎて頭が付いてこない。少し足を動かして、デントの胸元に茶封筒を押し付けた。
「これは、」
「借金は……、全額返済です。確認してください」
「な……!?」
大きな声を上げかけるデントに対し、コーンは静かに窓の外を見る。
わからない。突然でわからない。ただ一つだけわかるのは、今日からミエルはいないということだった。
終息的トロイメライ
───夢想曲