貴銃士という格式高いような名称で呼ばれたとしても、自分らはそこはかとなく人間臭いと思っていた。
皆、各々で悩みを抱えたり、それを乗り越えていこうと奮闘している様を見てはそう思わざるを得なかった。シャルルヴィル自身もそうだった。
感情も五感もあった。体は人間そのものだった。しかし人間よりも驚異的な怪我の回復速度を実感する度に、やはり人間ではないのだと少し寂しくも思う。
それでも。人並みにと言うのはおかしい気もするが、こんな感情を持ってしまったあたり、やはり自分たちはどこか人間臭い。
「君が好きなんだ」
真剣なのだと伝わるように全力を出したつもりだった。彼女にそれは伝わったようで、茶化されたりしなかったのは幸いだ。
しかし微笑んでくれたものの、どこか困ったようだった。
「……私も、私も好きだよ。シャルルのこと」
「マスター、それって……。あの、俺は、」
彼女も好きだと言ってくれて嬉しいはずなのに、もしかしてと思った。
彼女の言うのは家族や仲間に対する愛情なのではないのか。たった一人の誰かに向ける特別な愛情の意味ではない可能性がある。こちらが言いたいのは後者だ。それをわかってくれているのだろうか。
シャルルヴィルが言いかける前に彼女は首を横に振った。いやに冷静なその表情は、普段はあまり見られない。
彼女はわりと表情豊かな人だ。笑顔を見せてくれるのは嬉しい。しかしどこか弱い部分もあって、彼女の涙を見たことも何度かあった。
「大丈夫、わかってるよ。私もちゃんと、そういう意味でシャルルのこと好きだよ」
でも、ごめんね。恋人同士にはなれない。
好意は正しく伝わっているのだという安堵と、彼女も自分を好いてくれているという喜びと、しかし今以上の関係にはなれないという宣告の悲しみと。
器用なほうだと思っているが、さすがに三つの感情を同時に処理するのは難しかった。一番に響いたのは最後の感情だ。恋人にはなれない。どうしてだろう。
信頼されていると思っていた。必要に迫られていた状況とはいえ、手を握ったり、抱きしめたり。それを許されるくらいには好かれていると思っていた。
どうしてかを彼女に問う前に、シャルルヴィルは勝手に自ら答えを出した。
俺が……、人間じゃないからかな。
本人から言われたわけではないが、むしろそれくらいしか理由が思い浮かばない。
人の体であっても、こういった感情があっても所詮は人ではない。懸念事項になるのは当然のことだと思えた。だがしかし理由を聞かなければ。それがどんなにひどいものであったとしても、敢えて訊ねて、諦めるなら自分を納得させなければ。
「それは俺が、貴銃士だから?」
人間ではないから、とは訊けなかったのはわずかな弱さだ。
ただでさえこれから彼女の答えに心身が切られるというのに、自分の言葉で自分を切るのは厳しい。
しかし予想と違い彼女は首を縦に振らなかった。むしろ少し驚いたように目をまたたき、そうじゃないよ、という言葉のおまけつきだ。
「シャルルが……、とっても人間らしいから」
「それって、マスターにとって悪いこと……?」
「私は臆病者だから」
彼女は苦笑した。自分に参っている、というように。
「人間の感情ってすぐに揺らぐんだよ。喜怒哀楽なんか勝手に切り替わるし、なにかに夢中になればそのあとで飽きもするし。シャルルも、そういう感覚わかるでしょ?」
相槌を打って頷きはしたが、それは果たして彼女が臆病者であるというのと何の関係があるのだろう。言葉を続ける彼女は、いつの間にか泣きそうになっているように見えた。
「シャルルに好きって言ってもらえて、好きになってもらえて本当に嬉しいよ。でもシャルルが人間らしいひとで、とっても素敵なひとだから。……きっとすぐに、目移りしていくんだろうなって。シャルルに失礼だってわかってるけど」
*
ああ、どうして今、私の口はこんなにも弱気で情けないことを言っているんだろう。
シャルルが真剣な表情で想いを伝えてくれた。夢でも見ているのかと思った。
まさか自分と同じ気持ちをシャルルが持ってくれていたなんて。そして今、それを伝えてくれたなんて。けれども想いを告げられた直後の私は、喜びと驚きに支配されたのは一瞬だけだった。すぐに冷静になった。
シャルルの一番に、特別になりたかった。
でもその気持ちは自分だけの秘密にしておかなくてはいけないと思っていた。シャルルの優しさに甘えて、シャルルの言葉で勝手に勘違いして、私が勝手に恋をしただけだ。
気持ちを知って欲しい。恋人同士という特別になれたらどれだけ幸せな気持ちになるだろう。そうは思っても、やはりこれまでずっと引っかかっていたことが頭を過る。私の、マスターという肩書が幸福な思考を阻害するのだ。
私がマスターだから。
あなたという貴銃士にとって、否応なく近しく感じる相手だからそう思うんでしょう。恋に近い気持ちを持つに至ったんでしょう。
そう思うと同時に、別の懸念が生まれた。誰が見ても整っていると感じるであろうシャルルの姿を見て、私はより気が引けた。
きっと、理由がどうあれ今は一時的に私が選ばれているだけだ。シャルルのような容姿であれば、女性に困ることはないに違いない。以前に「女の子を落とすのも得意だけどね」と本人の口から聞いたこともある。ならば余計にだ。きっとシャルルはすぐに私に飽きてしまうと思えてしまった。
人の心はすぐに揺れ動く。シャルルはとても人間らしい。だからすぐに心変わりしてしまう。
「私は、それが怖いんだよ。シャルルを繋ぎとめておけるだけの、魅力も自信もなくて」
*
絞り出すような彼女の声に、シャルルヴィルは思わず目を見開いた。
やっと理由を理解した。シャルルヴィルが、いずれ他の女性に心変わりするのではないかと言っているのだ。彼女はそれが怖いのだ。俯いてわずかしか彼女の顔が見えなくなったが、首や耳は赤くなっていて、なおかつ何かを堪えるように肩が震えていた。
恋人にはなれないという言葉にショックを隠せていなかったが、今しがたふと肩の力が抜けたシャルルヴィルは、近づいて彼女の顔をそっと上向かせる。
羞恥なのかはたまた忍耐のせいなのか、涙を堪える彼女の顔は真っ赤になっていて、途端にふはっと笑いが漏れてしまう。
「な、なんで笑うの……!」
「あー……ごめんごめん。すっごく、安心しちゃって」
彼女はシャルルヴィルを嫌いなわけではないのだ。はっきり好きだと言ってくれた。ちゃんと、そういう意味で。
両想いってわかったんだから落ち込むことでもなかったな、と今さら思った。
恋人になれない理由も理由で、シャルルヴィルに非があることではなく、彼女の思考の問題だった。彼女が泣きそうになるのもわかるし、なおのことこちらが後手に回る必要はなかった。
慈しむように彼女の頬をそっと撫でる。
「大丈夫だよマスター。俺は絶対に、心変わりなんてしないって誓える。誰よりも君が好きだって言えるよ」
人の心は移ろいやすいかもしれない。だから今彼女の心も、ふわふわと正負の感情を行き来している。
シャルルヴィルだって限りなく人に近い。しかし心変わりなど絶対にそんなことにはならないと、自信を持って言える理由があった。
その理由につい苦笑したくなる。
これだから人の心や感情は移ろうのだと言われても、仕方がない。だがそれで彼女がこちらの気持ちを受け入れてくれるのであれば、あえて自分の存在を言葉にすることなど安いものだった。
「だって俺は、貴銃士だからね」
そうとも、人ではない。だがそれならば、だからこそ移ろいなどなく、彼女をいつまでだって愛し続けられるというものだ。
ついにこらえきれなくなったのか、彼女の目から涙がこぼれた。頬に当てているシャルルヴィルの手を濡らす。
ああ、泣かせたいわけじゃなかったのになぁ。
きっと悲しくて泣いているのではないだろう。かといって泣かないでと言うつもりもない。泣いていようと、彼女のすべてを受け入れてあげたかった。
「シャルル、……嫌なこと、訊いていい……?」
ひくひくと喉が鳴りながらも発した彼女の問いに「うん。なに?」と頷いた。嫌なこと。いったいなんだろうと身構えないわけではなかったが、先を促した。
「もし私が、……っ、マスターじゃなくても、必要としてくれる? ……好きで、いてくれる?」
その問いかけは、かつての、絶対高貴になれずにいた頃の自分を彷彿とさせた。
絶対高貴になれない貴銃士は、つまり自分はお荷物でしかない。一番に求められている力を発揮できない自分が情けない。自分の存在に意味があるのか。それでもこの人の役に立ちたい。傍にいたい。
そう思って、問いかけをしてしまったあの時のこと。あの時の自分と目の前の彼女が重なったから、彼女の心境は手に取るように理解できてしまった。
私がマスターだから、好きになってくれたの?
マスターじゃなかったら、好きになってくれなかった?
そしたら、もし私がマスターじゃなくなってしまったら、そこで終わってしまう?
シャルルにとって、マスターじゃない私は必要ない?
言葉にされない声が聞こえてくるようだった。
シャルルヴィルの気持ちに真摯に答えたいがゆえに、自分の首を絞める覚悟で彼女は訊かなくてはならなかったのだろう。
確かに、彼女がマスターでなければそもそも出会うことがなかった。きっかけは彼女がマスターであることで、それはどうしようもなく確かなことだったが。
問いかけから彼女の覚悟と、こちらに対する答えを見たシャルルヴィルは、彼女の手を取って口づけた。
「当たり前だろ。俺は、君がマスターだから好きになったんじゃないよ。君だから。好きになった大事な君が、マスターっていう役割を持ってたっていうだけだよ。……俺も嫌なこと訊いちゃうけど、君は、俺が貴銃士だから俺を救ってくれたの? ……なんて。ごめん、ほんとに嫌なことだったね」
貴銃士としてではなく、レジスタンスの一員として働いていたシャルルヴィルを彼女は認めてくれた。絶対高貴になれない自分を、それでも受け入れてくれた。
今思えばあの時点ですでに『貴銃士』ではなく、『シャルルヴィル』として彼女は自分を見てくれていた。それと同じだ。
「俺は、君が好きだよ」
安心させるように笑って見せると、彼女はさらに感極まったようだったが何度も何度も頷いてくれた。だがどうしても欲が出てしまった。彼女の涙を手のひらで拭いながら、人差し指で彼女の唇をちょん、とつついた。
「答え、ちゃんと聞きたいな」
そうしてようやく、彼女は自分の手で涙を拭いながら笑ってくれた。
私も。私も好き。