私が「今」ではなかった頃

「コラール少尉」

 

呼ばれて振り向けば一般兵がいた。
一般兵は個別番号にて管理されるので名前は知らないが、彼の腕についている番号は私がいる部隊の、さらに下部部隊の番号だ。
私が直接率いているわけではないけれど、言ってしまえばつまり直属の部下にあたる。

 

「なにか?」
「中佐から、少尉を呼んでくるようにと伝言を預かっております。内容までは伝えられておりません」

 

上からのお呼び出しらしい。呼び出されるようなことはたぶんやらかしていないはずだが。

 

「わかりました。わざわざどうも」

 

一言の礼と軽く頭を下げながら彼の横を通り過ぎると「いえ!」とわずかに喜びが混じったような声が背中で聞こえた。

呼び出し相手の部屋を訪れノックをする。入室の許可が出たので扉を開けて中に入った。

 

「やあ、呼び出してすまなかったね。まあ座りたまえ」
「どうぞお構いなく。ご用件はなんでしょう」
「君は存外せっかちなようだね」

 

そう言って笑いかけてくるこの男の上官はあまり得意ではない。できれば手短に済ませて終わりたいところだ。
中年に差し掛かっている男といても何も楽しくはない。

 

「いやなに、大したことではないが。……君は、なかなか階級が上がらないようだが」

 

大したことではないと言うのなら退室していいだろうか。そう思った矢先、続いた言葉は私に関することだった。

 

「君なら、より上を目指せると思っているよ」
「お褒めに預かり光栄です。しかしながら、出世にはさほど興味が持てないので」
「君は士官の最下位に収まっているような器ではないだろう? 最近の君は、何やら問題視されるような行動が目立つと聞いているよ。それが改められれば、きっとすぐに引き上げられる」

 

申し訳ありません、と苦笑しつつ頭を下げるが口の中でばれないように舌打ちをした。
問題視、か。それはそうだ。

最近になってからだ。『特別幹部』などという枠に新参者が来たのは。
にわかに信じがたいが、その約三名ほどの特別幹部とやらは現代銃より呼び起こされた超常の者だという。なんだそれは。信じられるか。

しかしながら訓練された一般兵などよりも遥かに優れており、その存在と能力故に重宝されている。
生まれながらにして特別扱いを受けている者を見て、まともに努力して階級を上げようというのが馬鹿馬鹿しくなったのだ。

それがここ最近のことである。
だから私も、つい自分の口調や行動が尖ってしまっているという自覚はあったのだ。

その上、このへらへらと笑うさほど実力もない目の前の男が、中佐などという地位にいることが以前から腹立たしかった。
床を見つめていた視界に、男の靴が入り込んだ。ゆっくり顔を上げる。男はにこりと笑うと、不意に手を握られた。

 

「君が望むなら、わたしは君を上に連れて行ってあげられるんだがね」

 

するりと撫でるように手を触られるも、私は男を見据える。

 

「君を少尉などにいつまでも置いておくのは忍びない。だが、わたしが上へ口利きするにもそれなりのコトが必要でねえ。……生まれ持ったその体の使い道は、いろいろあるだろう?」

 

それなりのコトに、体の使い道。
……つまりは、自分の夜の相手をすれば私の階級を上げてやろう、という話だ。なるほど、やり方としては簡単な方法だ。

 

「……そう、ですね。体というものの使い道はいろいろあるのは理解しています」

 

そうだろう、と男が軽薄そうに笑う。そうだ。いろいろある。例えば、

 

「あなたをこの場で撃ち殺す、とかに使えます」

 

空いていた手を腰に回し、オートマ式の拳銃を男の頭に向けるまで一秒もかからない。
私が微笑んだのと同時に、状況を理解した男の顔は一気に真っ青になっていく。

 

「な、なに、を……!」
「それはこちらのセリフですよ。呼び出しておいて、こんなくだらない話のために私の時間を使ったんですから。……いい加減、手を離していただけますか」

 

男は私の手を解放し、撃つなと言わんばかりにゆっくり両手を上げる。情けないことだ、反撃する銃も手元にないらしい。
男の手は戦場から長く離れた丸々とした手だった。ますます、こんな男が中佐などであることに腹が立つ。

 

「じ、上官の部屋に入るときは、銃を所持するなと教わらなかったのかね……!?」
「さぁ? 一般兵だったのはかなり前のことですから、忘れてしまいました。教わったような気もしますが、律義に守っていたら身が持ちませんでしょう」

 

部屋に呼び出し、銃を持たない部下に対して理不尽を強いる者もいると聞きますし。

 

「中佐、今のあなたのようにね。……それに、私が使う本来のサブマシンガンは置いてきておりますから、教わったことは守っていますよ?」

 

笑って見せる。男の目線は私が持つ銃に集中している。

 

「この件に関しては、然るべき措置を取らせていただきますので」
「上に言うつもりか……!?」
「まさか。そんなことはしませんよ、ご安心ください。でも、中佐のおっしゃる通り階級を上げることには興味が持てましたので、その点は感謝いたします」

 

口元に笑みを浮かべる。ああ、早くこの手を洗いたい。

 

 

「コラール中尉」

 

先日にもこのやりとりをしたような気がする。振り向いた先にはやはり部下にあたる一般兵がいた。

 

「特別幹部の方がお呼びしておりました」
「……そうですか、ありがとう」

 

面倒だが、行かなくてはならないか。
寮棟に向かっていた足の方向を変え、目的の場所へ向かった。
一室の前に辿り着き、ノックせずに扉を開ける。

 

「ノックもなしですか」
「ご用件は? 特別幹部殿」

 

部屋の中にいた眼鏡をかけたスーツの男は、人の良さそうな笑みを浮かべている。

 

「そのように堅苦しい呼び方はしなくて結構ですよ。ファルと呼んでください」
「……そう。じゃあファル。何のご用件で?」
「ええ。先日殉職された中佐殿……ああ、失礼。二階級特進されたので、今は准将ですか。彼が管轄していた部下の一部を、あなたが所属の隊にお任せすることになりましたのでそのご連絡です。あなたも先日に昇格されましたので、大きく関わるでしょうから」
「それはわざわざ、お呼び出しをしてくださってどうも」

 

ファルという男は、人間ではない『貴銃士』と呼ばれている者だ。銃から呼び起こされた、人ではない何か。
しかし姿は完全に人間のそれだ。見た目に関しては特別な何かは感じられない。

超常の存在が目の前の男であるとは、まだ信じがたい部分がある。他にもモーゼル、アインスといるが、今はさほど関わりがない。
その上、笑顔であるがどうにもこのファルは食えないひとだと思っている。こういう直感は当たるものだ。

 

「しかし残念でしたね、中佐ともあろう御方が亡くなってしまわれるとは」
「……絶対思っていないでしょう? ……まぁ、久しぶりに現場に出たみたいですし、カンが鈍っていたのでは」

 

ファルは思ってもいないだろうことをしゃあしゃあと言う。
用が済んだならば失礼しますね、と踵を返して扉へ手をかけると、背中でファルの声が響いた。

 

「同時に、あなたも中尉に昇格されたようで。おめでとうございます」

 

その声はどこか楽しそうにも聞こえる。
それを聞いて、ああもしかしたら少しは仲良くなれるかもしれない、などと思った。我ながら手のひら返しもいいところだ。

しかし、ファルはわかっているのだろう。私が何をしたのか。
わかっているのに、私を責めたり批判したりもしてこない。それならきっと、そのあたりの感覚は近いものがあるのかもしれない。

そう。中佐が亡くなったのは残念だった。
戦場ではどこから弾が飛んでくるかわからない。後ろには部下がいるからと、中佐は敵がいる前方だけを警戒していたのがよくなかったのだろう。

扉を開けながら振り返ると、自然と口元が上がった。

 

「お祝いのお言葉、どうもありがとう。ファル」

 

──だって弾丸は、前から飛んでくるとは限らないのだから。