まだやらなくてはいけないことがあったのに、気づけば私はベッドに入っていた。
もう寝ないとだめだよ、夜更かしは体によくないし、と繰り返し言ってくるシャルルにうまいこと言いくるめられたのだ。
腑に落ちないままベッドに入った私は少し不機嫌そうな顔をしているに違いない。しかしそんな私をよそに、ベッドの縁に腰かけたシャルルはそっと頭を撫でてきた。ゆっくりゆっくり幼子を寝かしつけるような動きを少しだけ不思議に思う。
「シャルル……?」
「頑張り過ぎはよくないよ、マスター。頑張ってる君のことは、俺、大好きだけどね」
そう言ってぱちんとウインクして見せるシャルルに小さく笑う。大好き、なんてすんなりと口に出してくれてしまうのだから、この色男にも困ったものだと小さく笑う。
「……うん。ありがとう」
しかし言葉でも行動でも、私は反抗しようとは思わなかった。子供扱いしないでよ、くらいは言ってもおかしくなかった気がするけれど。
シャルルの撫でる手は止まらない。その手の感覚と温かさに安心がこみ上げてくる。眠いわけではなかったのに、まるでそれが当然かのようにとろとろと微睡の中に意識が溶け始めていた。
子供を寝かしつけるような仕草は変わらず、空いているほうの手でシャルルは私の手をそっと握ってくれる。
おかしいな。ひどく安心する。
思わず、ほう、と息を吐いた。別に一人で眠れないわけでもないのに。暗闇に、夜に、一人であることに不安を覚えたりもしないのに。
微睡に落ちそうな中で、力なくシャルルの手を握り返す。
「あったかい……」
「そう? よかった」
私が受け入れを示したことに、安心したようにシャルルは笑う。
するりとシャルルの手が動き、お互いの指と指が緩く絡まった。
自分の手とシャルルの手を見る。その大きさの差に、シャルルが男の人であることが改めて実感されてしまって、少しどきどきしたのは内緒にしておく。私よりも大きくて、温かくて優しい手だ。私たちレジスタンスという組織のために、日々戦ってくれる強い手だ。
首を動かしてシャルルを見上げると「ん?」と口元に笑みを浮かべながら首を傾げた。
「ちょっと、眠くなってきた……」
「その調子だよマスター」
「まだ、やることあったんだけど……」
小さくあくびをしながら文句を垂れてみると「だーめ」と少し強めに手を握られる。
「俺が明日手伝うからさ。今日はもう寝ようね」
もう既に、微睡よりも深いところへ行こうとしている私は素直に頷く。
「うん……」
するとシャルルは腰を曲げて顔を近づけてきた。軽く額がぶつかり合う。シャルル自身も私の反応に安心したように優しく微笑む。
「うん、いい子だね」
今だけ、なんだか本当に子供みたいだ。
くすぐったい気持ちになりながらも、こちらを愛おしむようなシャルルの声を、表情を最後に私は眠りに落ちることにした。
*
「マスター、いる? シャルルヴィルだけど」
マスターがいる部屋の前でノックをするも返事はない。
自分たち貴銃士に宛がわれている部屋であれば、扉がないのですぐに中を確認できるのだが。
しかしいくらレジスタンスといえど、女性の部屋までそうするわけにはいかないというのはもちろんわかっている。
用件は急ぎではないので出直すこともできるが、ふと嫌なもしもが過る。もし、急な体調不良などで倒れていたりしたら。そう思うと妙に落ち着かなくなり、意を決してドアノブに手をかけた。
「ごめんマスター、入るよー……」
不在なら不在で構わない。ひとまず倒れていたりしないかだけ確認できればいい。
扉を少しだけ開けて中を確認する。そこで安心と焦燥が一度に訪れた。マスターである彼女はベッドに横になっていた。部屋にいたことには安心したが、自分の声で眠りを妨げたかけたことに焦った。
そのまま扉を閉めて出直すべきだった。しかしなにも被らずに眠っているのを見て、毛布をかけようと考えた。
お邪魔します、とせめて小さく断ってからシャルルヴィルは部屋へ足を踏み入れた。
「風邪ひくよマスター」
起こさないように毛布をかける。
それだけでよかったのに、欲が出た。音を立てないようベッドの脇に腰かけ、彼女の頬に手を当ててみる。少しだけ指でつついてみる。前髪を整えたりしてみる。
徐々にそんな子供じみたちょっかいが楽しくなってきた。というより、恋人だからこそできるスキンシップと思うとそれだけで妙な優越感が湧くのである。
「マスター、起きないとキスしちゃうよ~?」
そんなことを言ってみる。別に起こす必要はないし本気で寝込みを襲う気もないが、親指で彼女の唇を撫でる。彼女の瞼が震えた。
「ぅ……」
あ、起きそう。シャルルヴィルは焦るどころかもはやこの状況を楽しんでいた。
起きそうで起きない。寝ていても自分にとっては良い時間だし、起きたら起きたで構ってもらえる。どちらに転んでもシャルルヴィルに損はない。
でもやはり、起きて欲しいというほうに気持ちが傾きつつあった。覚醒には至らなかったか、再度ゆっくりとした呼吸が響く。
「マスター、起ーきて」
そうは言いつつ声は小さめで呼びかける。
何をすれば、どこまですれば彼女は起きるか。そこにやましい気持ちがないといえば嘘にしかならなかった。
彼女の顔の横に肘をついて、頬にそっと唇を押し当てる。自分と彼女の頬を触れ合わせて呼吸する音を聞くと、距離の近さに今さら心臓が少し速まる。
そのまますぐ傍にある耳を唇で食んだ。すると彼女の体が動き、肩に手を置かれる。
「ふ、は……っ、くすぐった……っ」
ああ、起きてくれた。少し体を起こすとぼんやりと目を開けた彼女がこちらを見る。
「おはようマスター」
「おは、よう……。寝込みおそうのは、よくないと思うよー……」
目元をこすりながらも覚醒は早いのか、こちらの悪態を的確についてきた。しかし、無断で部屋にいる自分を咎めないので怒ったりしているわけではないらしい。
「もー、くすぐったかったー……」
「キスで起こしたほうがよかった?」
「たぶんそれじゃ、起きないよ」
くすぐったいしびっくりしたー、とおかしそうに小さく笑いが漏れる。無断で部屋にいることを謝ると「シャルルだったらいいよ」と思いのほか特別待遇が許された。
そろそろ彼女も起き上がるかと、シャルルヴィルは体を起こそうとした。しかしそれを阻むように、肩に置かれていた手がシャツを掴むのがわかった。
見下ろす彼女の様子を窺うと、ふいと目を逸らされる。それでもシャツを掴む手は離れない。
「マスター……?」
「シャルルの起こし方が、おかしいから、……変な、気持ちになった」
ぽつりと彼女はそう言った。
ここで、それってどういうこと、などと訊ねるほどシャルルヴィルは馬鹿ではない。
少しだけ不機嫌そうに、シャルルのせいだからと訴える目が濡れたように見えるのは、寝起きだからではないだろう。口元を緩ませて、彼女の頬に手を添えこちらを向かせた。
「うん、ごめん。俺のせいだね」
軽い口調で謝りつつも、とろりと揺れる彼女の目を見るとぞくぞくとした感覚が背中を走る。
眠気によるものではないとわかっているから、余計にだ。シャツを掴んでいた彼女の手が解かれシャルルヴィルの頬へと滑った。それを完全な合図と受け取ることにする。
「せっかく起きたけど、また寝ちゃうかもよ?」
「……起こしてきたのはシャルルでしょ」
それはお説ごもっとも。また謝って、静かにベッドへ乗り込んだ。