発展途上

自分が波導を扱えるかもしれない。
リーン様に事情を話すと、喜ばしいことだと言って波導の修業のための時間をとることを許可してくれた。もちろん本来の仕事には差し支えない程度になるだろうけど。

修行にわたしが同行することにルカリオはとても驚いていた。アーロン様という共通の師を持つことになったから、ルカリオは兄弟子ということになる。
ただ、わたしはまだ基礎の基礎もさっぱりのため、厳密にはルカリオと同じ内容でやっているわけではなかった。

 

一通りの仕事を終えて部屋に戻る。休憩の目的で戻ったわけではないので、一息ついて再び部屋を出る。
部屋から持ち出した布で目を覆った。

体全体の神経を集中させる。一気に感覚が外へ広がると、瞼の裏に灰色の世界が映る。
うん、いい感じだ。灰色世界にはきちんと廊下の奥行や部屋の扉、窓の形なども映っている。そのままわたしは廊下を歩く。

波導を使うにあたって、まずこの感覚を意識的に引き出せなければ話にならない。以前の模擬試合のときは一瞬で、偶発的なものだった。
修行をつけてもらうようになってからは、自分の意志でこの感覚に入れるようにはなった。しかし途中で感覚が途切れてしまい何も見えなくなることもままある。時間があればこうして自主練習だ。

時折他の使用人とすれ違うこともある。何も知らない人は首を傾げてわたしを見るけれど、慣れた使用人仲間からは「頑張ってねー」と声をかけられることもしばしば。たぶん何をしているのかはわかっていないのだろうけど。

なんとか外へ辿り着き、そのまま庭へ降りようと階段に足をかける。今日はなかなか調子がいい。……そう思ったのがいけなかったのだろうか。

 

「え、ちょ……!?」

 

半分ほど階段を降りたところで、灰色世界が途切れて視界が真っ暗になった。突然こうなることは今までもあった。でも今は場所が悪い。階段だ。
焦ったのもいけなかった。階段に乗り損ねた足からバランスを崩し、前のめりに体が倒れる。
目隠しをしているのだから元々視界は暗いのに、反射で目をつむり歯を食いしばった。

 

「……っ!」

 

何かにぶつかった衝撃が体に伝わった。覚悟していた、階段から転げ落ちるものとは全く違う。

 

「……怪我はないか、エストレア」

 

思わずしがみついたのはどうやら人の腕だと認識した矢先、聞き慣れた声が頭上から響く。声の方向へ顔を向けると、ふわりと感覚が復活し再び世界は灰色になる。
青色の、人の形。他の人とは違う、特徴的な青の波導は灰色世界に映えている。……違う、問題はそこじゃない。この波導は、この人は、

 

「……アーロン様!?」

 

目隠ししていた布を首へ引き下げると、色づいた世界とアーロン様が映った。

 

「大丈夫か?」
「あ……はい」

 

近い。とっさに思ったのはそれだった。
危うく落ちて怪我をするところを助けてくださったのだから、状況的には当たり前なのだがもう一度言う。この距離は、近い。
慌ててしがみついていた腕を離し、しっかりと自分の足で立った。

 

「も、申し訳ありません! アーロン様こそ、怪我をしていませんか……!?」

 

落ちかけたわたしをその勢いのまま受け止めたのだから、アーロン様にとってもかなりの衝撃だったはずだ。

 

「私は平気だ。練習をしていたのか」
「はい……。ですが、途中で感覚が途切れてしまって」
「そうか。タイミングがいいのか悪いのか」

 

ちょうどアーロン様が助けてくれたから難を逃れたものの、そもそもあの一瞬に感覚が途切れなければ落ちることもなかった。どうにも自分の思うように感覚を維持できない。

 

「焦ることはない。熱心なのはいいが、それで怪我でもしたら事だ」
「気を付けます……」

 

修行はなかなか道のりが長い。

 

 

まだ完全ではないが、感覚維持がそこそこ続くようになってきた頃。
今日はいつもと違う波導の使い方を教えてくださるという。城でもできる内容らしい。

 

「今日の修業にはこれを使う」
「え、これを?」

 

アーロン様が示したのはこのオルドラン城にある、鮮やかな水色に光る結晶だ。おかしな言い方をすると、これは城に寄生するようにあちこちに付いている。

 

「ルカリオが城内のどこかにいる。ルカリオも、私たちがどこにいるかはわかっていない」
「は、はぁ……」

 

いまいち掴めない。たしかにルカリオは一緒ではないけど、それとこの結晶がどう関係してくるのだろう。
首を傾げるわたしの横で、アーロン様は結晶に手を触れた。するとそれはわずかに輝きを帯びる。

 

「ルカリオ、聞こえているか?」

 

結晶に向けたその言葉は、明らかにルカリオに対してのものだった。

 

“……ン様、聞こえております”
「え……!」
「よし。ではルカリオ、そこから移動してくれ」
“わかりました”

 

その結晶からはルカリオの声が響いた。なぜ。どういうこと?
また後で、とアーロン様は結晶から手を離してわたしに向き直る。

 

「今のは……?」
「波導はこの結晶根を介することで、離れている波導使いと意思の疎通ができる」

 

驚きを隠せなかった。アーロン様のいう結晶根というこれはオルドラン城だけではなく、ロータの町やその周辺一帯にもよく見るのだ。毎日のように見てきたこれが、まさか波導の修業に関係してくるとは夢にも思わない。

 

「これは波導の感覚を維持しながらやる必要はない。コツさえ掴めればすぐにできるはずだ」

 

それこそ誰でもできそうに見えるが、しかしやはり一定の波導を扱える者でないと結晶根が反応しないという。
そう言われてしまうと不安だ。結晶根が反応するに至らない場合は、わたしはきっと落ち込むだろう。抜き打ち試験を受ける気分である。

 

「あの、ルカリオの居場所がわからなければできないのでは?」
「その心配はない。波導使いの最も近くにある結晶根に届くから、場所は特定しようとしなくていい」
「……わかりました」

 

先ほどのアーロン様のように、見よう見まねで結晶根に手を置く。しかし何も起こらないので、ただ触れればいいわけではないらしい。

アーロン様は何も言わない。今のわたしがどれだけできるのかを計っているのかもしれない。
本当に抜き打ち試験だ。少しの緊張の中で、波導の感覚を広げる時と同じように神経を研ぎ澄ます。
それを手に集中させるような感じだろうか。光が灯ったように結晶根が輝く。これは……。

 

「ルカリオ……エストレアです。聞こえる……?」

 

どこかにいるはずのルカリオに向けて恐る恐る声をかける。届いているだろうか。一瞬、結晶根の輝きが強くなった。

 

“はい、エストレア様。聞こえています”

 

先ほどのようにルカリオの声が聞こえ、思わずアーロン様を振り返った。よくできた、と言うように頷いてくれたので嬉しさは右肩上がりだ。

 

「ルカリオ、こちらへ戻ってくれ。階段近くにいる」
“承知しました”

 

アーロン様の言葉を聞いてルカリオが離れたのか、結晶根から光が消えた。
結晶から離した自分の手をなんとなく見入ってしまう。ちゃんと、できた。

 

「正しいやり方だったでしょうか?」
「ああ。偉かったな。何も言わなかったのに、一人できちんとできていた」

 

まさか抜き打ちで評価されるとなれば気を入れてやらないわけにはいかない。火事場の馬鹿力のような感じはするが、きちんとできたならそれはそれで。

 

その日からわたしは時折結晶根を使って、離れた場所にいるアーロン様やルカリオと話をするようになった。それほど時間はとらせない程度に、短時間。これも修行の一環として二人は快く相手になってくれた。

そう、これは修行だ。練習だ。
決して、距離を隔てても会話ができることが楽しいからというような理由じゃないのだ。