──アーロン様を諦めて。
正面からのこの切り込みは、まったく予想していなかった。予想していなかったが。
「できない相談です」
わたしは即答していた。こちらも正面から返す。ジゼルさんは少し驚いたようだ。
「何も知らない風に返されるかと思いました」
「……とぼけても無駄とわかっていますから」
あんな切り込みをしてきた以上、わたしの好意はすでにジゼルさんに悟られている。受け流すことは不可能だ。
「それを言って、わたしが了承すると思っていらしたのですか?」
「少しだけ期待をかけていました」
「その根拠をお尋ねしても?」
少し期待をかけていたということは、諦めてと言えばわたしがアーロン様を諦めると、少しでも確信を持てる理由があるということだ。ジゼルさんはすっと目を細めた。
「エストレアさんは兵士でいらっしゃるから」
それは理由であって、事実であって、否定の余地がない。不思議と納得できてしまったことが悔しかった。
兵士になるような女はアーロン様に不釣り合いだという意味か、兵士なら有事の際に何があるかわからないからそれならば身を引けという意味か。
いずれにしろ、自分でそれらのことが思い浮かんでしまうのなら、わたしも自覚はしていたのだ。だけど不思議に思った。
「どうして、諦めろとわたしに告げるのですか?」
なぜジゼルさんはわたしに直談判するのだろう。
アーロン様の心を掴みたいのであれば、想いを告げればいいだけの話だ。わたしがアーロン様を好きだろうと、先に彼女が恋仲になってしまえば関係ないのだから、それが一番手っ取り早い。
「それに、」
彼女を傷つけたいわけではない。ただ尋ねたい。
「わたしが兵であることを持ち出さなくとも、ジゼルさんが勝っているのは明白ではありませんか」
客観的な事実として、ジゼルさんは容姿端麗な方だ。話しをした回数は数えるほどだが、性格も優しい。今は、わたしにとって恋敵という限定的な事情が関わっているに過ぎない。
彼女が才色兼備であるというのは他の人からも聞いている。それだけでわたしとは大き過ぎる差をつけていて、わたしを追い詰めるのには充分な要素だ。
兵であるということを突く必要も、アーロン様を諦めろと告げる必要なども彼女にはないはずなのだ。
「あなたが、それを言うのですか? 私が優位でいると?」
「……え?」
ジゼルさんの声が少し震えた気がした。
「そんなわけないでしょう……っ!」
「……何が、」
「わかるわよ! 自分が負けているってことくらい!」
敬語が外れた彼女の声は、植物の通路に大きく響いた。負けている? なぜ……?
「わかるわよ……、アーロン様を見ていれば」
ジゼルさんは自らを落ち着かせるように、深く息を吸った。
「……私がアーロン様の所へ通っていたのは知っているのでしょう?」
「……ええ」
「アーロン様、今まで私を一度も部屋に入れてくださらなかったの」
「え……」
「いつも部屋の外で立ち話をするだけだった」
衝撃的な話だった。アーロン様は心配りをする優しい方だ。それなのに女性を立たせたまま、しかも部屋の外で話しをするなんて。
短い時間ならまだしも、わたしの知る限りアーロン様とジゼルさんはそれなりに長い時間を話していたはずだ。
「あなたが部屋に入れてもらえていたことは知っていたわ。何がいけないのか考えて、ついこの間、私もお茶を持っていったの。その時はお菓子を食べてくださったわ」
「そう、ですか……」
わたしがお茶を届けることを辞めたことで、その役割が彼女に取って代わられることは薄々予想していたが、わかっていてもなかなか苦しいものがある。
部屋へは入れてもらえなかったけれどね、とジゼルさんは付け足した。
「その時のアーロン様、どのような様子だったと思う?」
突然問いが向けられて思考を巡らせたが、わかるわけがなかったので断念した。首を横に振る。
「手が止まったから、口に合わなかったのかしらと思ったわ。料理人さんが作ったものをいつも食べていらっしゃるのにどうしてだろうって思った。それを言ってみたら、とても驚いた顔をしたの」
「あ……」
「私は料理人さんからお茶やお菓子をいただいて持っていったわ。でもその後、料理人さんから聞いたけど……あなた、自作していたんですってね」
ジゼルさんは自嘲するように笑った。アーロン様の反応が本当の話なら、まさかわたしが作っていたと気づかれただろうか。
「それ以来、ここ数日は部屋へ行っても、お話しも許されず丁重にお断りされたわ。人が来るのを待っているから遠慮して欲しいと。……言われなくても、誰のことかはわかるわ」
こちらに向けられた視線がその答えを示しているというのなら、それはわたしにとって非常に受け入れ難いことだった。
何より、簡単にそれを前向きに捉えられるほど楽観的にはなれない。
「でも結局、アーロン様の所へ誰かが来てる様子もなかった。だけど私はお断りされる。……ここまで来てもなお私が優位であると思えるほど、お高くとまっていないわ。でもとても悲しくて悔しかった。だから、」
──あなたに、諦めてと口走ってしまった。
国を守るための誇りある兵であることを、理由にしてしまった。とても、卑怯なことをしたわ。
「ごめんなさい」
そこまで言って、ジゼルさんは丁寧に頭を下げた。
わたしはそれを受け入れる他ない。彼女の告白と謝罪を受け入れなければ、わたしには何も言う権利はない。
「ジゼルさ、……!?」
名前を呼び終える前に彼女は顔を上げると、あろうことか、自分の手で強かに自らの頬を引っぱたいた。
乾いた音が耳に届く。唖然としているわたしに再び対峙した、彼女の白く美しい顔には大きな赤い花が咲いた。
「え、あの……」
「本当はあなたに叩いてもらうのが道理だと思うけれど、たぶんしてもらえないと思うし」
「そ、それはもちろんできません!」
訓練中に男子を殴ったわたしが言うのもおかしいけれど、女性を叩くなどとんでもない。慌てたわたしにジゼルさんは「自分への戒めよ」と言う。
「言っておくけれど、アーロン様が誰かのものにならない限りは諦めるつもりはないわ」
「……はい。わたしもです」
「さすが。言うわね」
小さく笑って、それじゃあねと去っていく彼女は、強い人なのだと思った。
なにも解決はしてない。けれどきっとたった今、わたしとジゼルさんは対等になれたのだろう。
少なくとも、わたしは彼女に対して委縮するような感情を抱く必要はないし、彼女のほうもわたしに対して一方的な妬みを抱くことはないと思える。そうなれただけでも、わたしたち二人にとって意味のあることだった。
わたしは、自分は弱くないつもりだった。身体的にも精神的にも。だけど身体的には男性にどうしたって敵わない。精神だって、いかに弱いかが今回の一件でよくわかった。
以前、アーロン様が言ってくださったけれど。
『エストレアは強い人だ、自身を持っていい』
それを思い出すだけで、心は強くいられそうだ。
彼女を見送ったあとで深く息を吸う。そのまま通路を抜けて角を曲がり、アーロン様の部屋がすぐそこまでの距離へ来た。
そこで足が止まる。……止まるな。ここまで来たなら、最後まで行け。
「エストレア」
自分から向かうつもりではあったけれど、後ろからの突然の声には今までで一番驚いた。