指かかる引き金

今日は公務としての会合がある。
いくらリーン様の侍女といっても、さすがに会合に出るようなことはない。わたしの仕事はリーン様の身の回りのお世話であって、政(まつりごと)に口を出せるような立場ではないのだ。

いつもなら町に出てお茶請けを作るための材料を調達してくる時間だが、今日はリーン様から仕事を任された。材料調達は料理人さんが代わりに行ってくれるらしい。

螺旋になっている階段を上り、屋根裏部屋の扉を開ける。掃除は定期的にされているものの、しみついている埃のにおいが鼻をついた。

 

「うわぁ、懐かしい……」

 

ここの部屋には多くのおもちゃや遊具が置いてある。王家の人々が幼少期に使ったものだ。
この部屋は代々それらを置いておく倉庫のようになっている。もちろん整理はされているので、歴代の遊具が全てあるわけではないけど。
つまり今ここにあるのは幼い頃のリーン様が使っていた物だ。しかしながら、実はわたしも使ったことがある。この部屋の存在を知った時に隠れて遊んだことがあったので、ここに入って懐かしいと思うのもそのためだ。

リーン様から任されたのは、あまりにも古いものや汚れているものは処分するから仕分けてほしいということだ。まだ使えるものは孤児院などの施設に寄贈するという。

 

「このあたりはさすがに使えないか」

 

お気に入りだったのか、とてもボロボロになっているおもちゃを廃棄として布袋へ入れていく。窓を開けて空気を入れ換え、ついでに掃除もする。

 

「あ、これ……!」

 

見つけたのはラプラスのオルゴールだった。
箱を開けると曲が流れ、曲に合わせてラプラスがゆっくりと上下に動く。
仕分けをしつつも、自分が使った覚えのあるものはついつい手が止まって思い出にふけってしまう。

 

「ミュー」
「え?」

 

不意に聞こえた泣き声に振り向くと、開け放った窓のそばにふわりと浮いているそれ。思わず言葉を失くした。昔、絵本で見たことがある。

 

「……ミュウ?」
「ミュ!」

 

自分の名前を呼ばれたのが嬉しかったのか、わたしに近づくと尻尾をゆらゆらと揺らした。
かつて先代様が、この城には時々ミュウが来るということを言っていたけど、ミュウを見たのは初めてだった。

 

「はじめまして、ミュウ」
「ミュー」

驚きながらも恐る恐る手を伸ばしてみると、ミュウはそっとわたしの手に触れた。かわいい。
わたしを見て少し目を細めたミュウは、そのまま視線を下げた。その視線はわたしの持つオルゴールに注がれている。

 

「これ、いいメロディでしょう?」
「ミュー」

 

肯定しているのかはわからないけれど、じゃれるように顔を寄せてくる。でもミュウが離れると、わたしの手からオルゴールが浮いた。

 

「え……」
「ミュ」

 

どうやらミュウが何かの力を使っているらしい。

 

「ミューウッ」

 

あいさつのように尻尾の先をわたしの頭に乗せると、次の瞬間、浮いたオルゴールもろとも一瞬でミュウはいなくなった。

 

「え、消えた……!?」

 

慌てて窓から外を見てもミュウはどこにもいない。
ウインディやルカリオ、人ではない生き物の彼らはわたしたちにはない不思議な能力があるのはわかっていた。だがミュウのそれは、わたしの知る不思議を遥かに超えていた。

 

「ラプラスのオルゴール、持っていっちゃった……」

 

焦ったものの、あのオルゴールは施設に寄贈されるものになっただろう。その相手がミュウに代わっただけでさほど問題はないと思えた。

ミュウは世界のはじまりの樹に住んでいるという。世界のはじまりの樹。その名前だけで、ミュウに対する神秘性が高まったような気がした。

 

 

「リーン様、お茶が入りました」
「……」
「リーン様?」

 

二度目の呼びかけに反応したリーン様は、我に返ったように頬杖を外した。

 

「ああ、ごめんなさい。ありがとう」
「いえ。……お疲れのようですね」

 

今日の会合はとても長引いたようで、リーン様の顔には疲れが見て取れる。眺めていた会合記録を置いて、いつものようにお茶を口へ運ぶ。その表情は、ただ会合が長引いたものだけではないのかもしれない。

 

「近国のいくつかに不穏な空気があることは知っていますね?」
「はい、もちろんです」

 

リーン様がおもむろに口を開いた。
最近、他国同士では不当貿易や小さな領土問題などが発生しているようで、少し良くない方向へ風が吹いている。だが、今のそれはまだ話し合いで解決することが可能な段階だ。

 

「それが今日の議題だったのですか?」
「いいえ、その先が問題になりました。我が国はどう対応すべきかということが」

 

リーン様は一度言葉を切った。

 

「当然と言うべきか……他国同士での空気が悪いとなれば、いずれ状況悪化により争いが始まるという予想はどうしてもしてしまう。万が一のその時、国としてどうするのか、ということを大臣から提示されたのです」
「それは、……ロータで軍を立ち上げろ、と?」

 

その後の沈黙にわたしは息を呑んだ。
まだ争いが始まると決まったわけではない。話し合いで解決することも充分に考えられる。でも、もし、それ以上のことが起こってしまえば……。その先は考えたくなかった。

平和主義を貫くロータで軍を立ち上げるなど、リーン様は望んでいないししたくないはずだ。しかし他国で争いが始まった場合に、平和主義を謳って何もしないことは逆に国民を不安にさせる。
何もせずにいて、この国は本当に最後まで安全にいられるのか、と。大臣はきっとその点を言ったのであって、リーン様もそれはわかっていらっしゃる。

 

「リーン様、無礼を承知で、差し出がましいことを申し上げますが……」

 

自然と体が緊張した。

 

「昔、リーン様がおっしゃっていた大切なものが変わっていないのならば、それを守るために、今必要と思われることをすべきだと思います」

 

言い終わってから咄嗟に顔を下げてしまった。
わたしの主人である前に、リーン様は一国の女王だ。国を背負う土台にしてその頂点でもある方に、このような重大な内容に関して意見を言うなんてことはまったく褒められたことではないとわかっている。

 

「エストレア、顔を上げなさい」

 

その口調は女王としての強いものだった。内心で慄きつつそれに従う。
従ってから驚いた。リーン様は穏やかに笑っていた。

 

「そうね、あなたの言うとおり。わたくしがそれをしたくないというのは、ただの独りよがりですね」

 

はいともいいえとも言えず、わたしは黙って聞いていた。
今のリーン様はわたしに向かって話をしているわけではない。ご自分のすべきことを自分に言い聞かせているのだ。

 

「わたくしが守るためには、今でき得ることをしなくてはね」

 

リーン様は羽ペンを手に取った。

 

「アーロンの所へはお茶を持って行かなくていいの?」
「あ、はい、これから向かいます」
「それなら早く行ったほうがいいでしょう。首を長くしているのではないかしら」
「それほどまでではないと思いますが」

 

少し大げさに肩をすくめるとリーン様は笑った。
カップに再びお茶を注いで扉へ向かう。リーン様は、今は一人にしてほしい、と暗に言っている。

 

「それでは失礼いたします」
「ええ。ご苦労様でした」

 

扉を閉めるまでに見えたリーン様の表情は、決意をしたようで、それでも憂いを含んでいた。
きっとリーン様は大きな決断をなさるだろう。王たる自分がするべきことを信じてそれをするのだ。

決断がどうあれ、わたしも自分がするべきことをする。