憧憬的セレナーデ

「なぁミエル」
「んー?」
「今更だけど、ほんとにうちじゃなくていいのか? 家賃とか大変だろ」
「今はそこまで貧乏じゃないよ!」

 

営業後に厨房の片づけをポッドくんとしていると、そんな話を振られた。
数週間前にサンヨウシティへ戻ってきた私は、レストランからほど近いところにあるアパートを借りていた。以前のように旅のトレーナーではなくなったので、ポケモンセンターから通うわけにもいかなかった。

 

「それに、今はさすがにもうだめだよ。お客様のこともあるし」
「あー……なるほど」

 

そう言うとポッドくんは納得したらしかった。

 

「今のミエルは女の子だもんな」
「そういうこと」

 

以前の私であれば、期間限定の従業員且つ『男の子』だったので、三つ子との同居がばれたところでそこまで大きな支障はなかっただろう。しかし、今は状況が違い過ぎている。

私はサンヨウレストレランに腰を据えた従業員になった。それでいて、今の私は本来の性別通り女の子としてお客様に認知されている。
今さら言うまでもないことだけど、三つ子の彼らはその容姿の良さから女性客に絶大な人気を誇っている。そんな彼らと女の従業員が同居しているなんてことがばれたら、とんでもないことになりそうだ。夜道に後ろから刺されるかもしれない。

 

「だから、気持ちだけもらっておくね」
「ちぇー……。せっかくミエルが戻って来たのになぁ」

 

残念そうにそう言ってくれるポッドくんの言葉はとても嬉しいけれど、彼らの人気に傷をつけるようなことがあってはいけない。

 

「戻りました」
「フロアは終わったよ」
「あ、お疲れさま! こっちも終わったよ」

 

フロアの片づけをしていたデントくんとコーンくんが戻ってきた。

 

「ポッド……、どうかしたんですか?」
「いやー、なんでもない。腹が減っただけ」
「じゃあ戻って夕食にしましょうか」

 

わずかに気落ちしていたポッドくんの表情を、コーンくんは見逃さなかったらしい。やっぱり、コーンくんは人をよく見ているなと感心すらしてしまう。
ポッドくんは先ほどまでの話題を二人に話そうとはせず、それらしい理由でごまかした。私の気持ちを汲んでくれたのだろう。

明かりをすべて決して、全員で裏口から出る。デントくんが戸締りをして、そこで完全に業務は終了だ。
じゃあ帰ろうか、と三人がすぐ近くの自宅へ戻ろうとする中、私はそこから外れる。

 

「それじゃあみんな、また明日」

 

私が声をかけると一斉に三人が振り向いた。全員が思い出したように苦笑する。

 

「そうだった。ミエルの家はあっちだったね」
「前の癖が抜けなくていつも忘れるな」

 

私が彼らの家に居候していたときのことをポッドくんは言っているのだろう。つい私も苦笑する。
送っていこうか、とデントくんが申し出てくれたが、丁重にお断りさせてもらった。暗くなってはいるけれど街灯のおかげで充分明るい。

 

「じゃあ、お疲れさまでした」
「ほんとに気を付けろよ!」
「うん、ありがとう」

 

また明日、とみんなに手を振りアパートへの帰路を歩く。
徒歩でおよそ十五分ほどだ。でも近々、自転車を買おうかなと思っていた。そのほうが買い物や通勤が楽になる。お給料が入ったらホームセンターでお手頃なママチャリでも探そう。
給料日まであと何日だっけ、と日にちを指折りで数える。自分の世界に入っていたから、気づかなかった。

 

「……──、ミエル!」
「うぅわぁ!?」

 

突然に名前を呼ばれ、肩を掴まれたことに盛大な大声が出てしまった。体がはねて思わず飛び上がりそうになったけれど、かろうじてそこまでは至らなかった。
慌てて振り向いた先にいた人に、次は声こそ上げなかったがまたひどく驚いてしまった。

 

「コーンくん……!」
「そんなに驚きましたか?」
「ご、ごめん。ちょっと、考え事してて……」

 

そうでしたか、とコーンくんは短く返事をするとパッと肩から手を離した。
驚きで未だ大きく鳴っている胸を落ち着かせるため、深く息を吐く。なんとか落ち着いたところで当たり前のように疑問が浮かんだ。

 

「コーンくん、どうかしたの?」
「どうもこうも。ミエルを呼び止めたんですから、ミエルに用があるんです」

 

それもそうかと納得したが、どういった用だろう。もしかして何か忘れものでもしてしまっただろうかとバッグを漁ってみるも、特にそんなこともない。
コーンくんは小さく息を吐いた。

 

「帰るんでしょう? 家まで送ります」
「……え」

 

思わず声が出てしまった。今、なんと……?

 

「え、そんな! 大丈夫だよ!」

 

いやいやとんでもない、と両手を前に出して遠慮を伝える。遠慮ももちろんあるけれど、それよりなによりいつどこでサンヨウレストランの利用客に見られるとも限らない。コーンくんに変な噂が立っては大変だ。
そんな私に対して、コーンくんは呆れたようにため息をつく。徐に歩き出すと同時に私の手首を掴んだ。

 

「うわっ!」
「早く行きますよ。コーンも暇じゃないんです」
「ひ、暇じゃないならなおさらいいのに……!」
「それとこれとは別です」
「どういう風に別なの!?」

 

会話がキャッチボールなっていない。
半歩前を歩くコーンくんに引きずられるようにして付いていく。

 

「コーンといると何か不都合でも?」
「いや、だから、」

 

女性のお客様に見られるとか──言いかけたが、先ほどそういう会話をしたのはコーンくんではなくポッドくんだった。だからと続けても意味が通らない。
なんと言えばいいのかわからず、つい黙ってしまった。コーンくんのほうからも特に追及してこないので、お互い黙ったまま歩みを進めることになった。
一方的に手首を掴まれているだけで私の手は何も掴んではいないのに、なんだかとてもいたたまれなくなる。

そうこうしているうちに私の住むアパートに着いてしまった。結局コーンくんは終始私の手首を掴んだままで、逆に私の手は何も掴むことはなく、無意味に指が揺れるだけだった。

 

「到着です」
「あ……うん、ありがとう」

 

送ってもらったのは事実なのでひとまずお礼を言う。

 

「それではまた」
「うん。また明日」

 

そこでようやくコーンくんの手が離れていった。手首がすうっと冷えるような感じがする。
コーンくんの背中が遠くなっていくのを見て、私はやっと部屋の前へ向かい玄関の扉を開けた。

扉を閉めてから思わず、そのままフローリングへと体を倒した。靴も脱がず、狭い玄関で横になる私は端から見たら相当おかしいと思う。大きく息を吐いて、額に手の甲を載せる。

 

「あつい……」

 

自分の額が熱いのか、それとも手が熱いのか、はたまた部屋が暑いのか。今の私には全部が当てはまっている気がした。
コーンくんはずるいなと思う。何も言わないくせにあんなことをして。自身の顔の良さと性格をもっと自覚した行動をとってほしい。

ようやく靴を脱いで、部屋の窓を開ける。窓から入る涼しい空気がひやりと顔に当たる。
窓は道側に面しているので、先ほど自分が歩いてきた道が見えている。
もうすでにいないけれど、暗くなったその道に私はコーンくんの後ろ姿を想像した。

窓のふちで腕を組み、そこに顎を埋める。帰り道の間に掴まれていた手首に、そっと自分の手を当てた。じわりと顔が熱くなるのを感じる。ああ、困ったなぁ。

 

「……コーンくんのバーカ」

 

まるで小さな子供みたいに悪態を突くことが、今の私にできる精いっぱいの反抗だった。

 

憧憬的セレナーデ
───小夜曲