久しぶりに雑誌を買った。
定期的に購読しているわけではないけれど、たまに目に留まると買うことがある。
ちょうど、士官学校にいる生徒の大多数がターゲットの年齢層に該当するような、よくある若者向けのファッション雑誌だ。
今回はたまたま、表紙を飾っているモデルが着ている服が、私の好みだったから買ってみようと思った。
誰もいない談話室で椅子に腰かけ、雑誌のページをめくる。
今流行りのファッションから、人気カフェ、オシャレアイテムなどの特集が組まれているものの、ひとまず興味があるところだけを見ていく。
私服は土日や長期休暇の時くらいしか着ない。
その上、今となっては『マスター』の役目に合わせるように、他国へ行くにもどこかへ行くにも、連合軍が関わることであれば制服を着るのが一番無難だ。私服の着用頻度は以前よりも減ったと言っていい。
でも、今度この服を店で探してみようかなと思うくらいには、モデルの着ている服装は私の好みだった。
服の特集ページが終わると、次はそれに関連したアクセサリーのページに移った。
その時ちょうど、談話室の扉が開く音がしてそちらに目を向ける。
入ってきたのはライク・ツーだった。つい小さく手を振ってしまったけれど、ライク・ツーは私に気づくとこちらへ足を進めてきた。
「ここにいたのか」
「うん。ライク・ツーはどうしたの?」
「筋トレもやったし、トレーニング後の暇つぶし」
言いつつライク・ツーは談話室の本棚から本を一冊手に取ると、私の向かいの席に座った。
自分の本を開く前に、ライク・ツーは私の手元を見たと思うとその表情は少し驚いたものに変わった。
「……お前もそういう雑誌とか見るのか」
「その『ファッション雑誌見るとかものすごく意外』みたいな顔はちょっと失礼だよライク・ツーくん」
無礼を隠そうともしないライク・ツーにちょっとむっとしつつ、しかし彼の言うことにも自分で納得はできていた。
「まぁ……子供の頃はそれどころじゃなかったっていうのがあったから」
私の境遇からして、子供の頃は着れる服があればいい。おしゃれなんて二の次であり贅沢、という風潮や感覚が当たり前だったからたしかに興味は薄い。
けれど今は、服装やおしゃれに関してまったくの無関心というわけでもない。しかしまぁたしかに、私服は最低限の数着のみで、アクセサリーなんてものは何も持っていない。
両親が亡くなってからは、私はダンローおじさん、もといユリシーズ元少佐の支援でここまで生きてこれたのだから。
おじさんはいつも充分過ぎる程のお金を支援してくれていた。その中には、私が自由に使えるお小遣いも含まれていたに違いなかったけれど、私はこれ幸いとお小遣いとして自分が使う気にはなれなかったのだ。
ファッションやおしゃれに無関心ではないながらも、私の感覚では贅沢品にもなり得るものを積極的に取り入れようとは思えなかっただけだ。
そんなことを少しだけ吐露すると、ライク・ツーは黙って聞いていたけれど「……ふぅん」と短い相槌を打った。
「でもね、今この雑誌見てると、こういうアクセサリーとかは欲しいなって思った。今」
「今かよ」
「おしゃれというか、普通にお守り的な感じでも持ってていいんじゃないかと思って」
向かいのライク・ツーにも見えるように、ページを開いてテーブルの上に置いた。
見開きのページには、シンプルなデザインのシルバーアクセサリーを中心に紹介されていた。ペンダントやリング、ブレスレットやピアスなど様々だ。デザインやモチーフは男女兼用でもあるのか、写真では複数の男女モデルが身に着けている。
「へぇ、デザイナーとモデルのセンスはいいな」
「うん。普通に欲しくなるよね」
「買うのか?」
「いや、うーん……? こういう感じのがあれば欲しいかな、とは思うけど、雑誌に載ってるこれじゃなくてもいいかな」
ファッション雑誌で紹介されているだけあって、ブランドものももちろんある。そのブランドの中ではお手頃価格なのだろうけど、私にとってはそう簡単に買おうとは思えないお値段だ。
「おしゃれとして身に着けるより、お守りの意味合いで身に着けていたいなって思ってるから」
任務でみんなが無事であるように。市民の人を救えるように。私自身に、勇気と自信が持てるように。
そんな意味を込めて、何かひとつ身に着けておきたいと思っていた。だからこそアクセサリーのページに興味が惹かれたのかもしれない。
ブランド物なんかじゃなくていい。言ってしまえば、そこらの道端で開かれている露店で見つけたものでも構わない。
「お守り、ね」
「そういうのを『ガンカケ』って言うんだって、前に十手が教えてくれて」
神様に頼るなんて他人任せなことは言わないけれど、みんなの安全と無事を、大切に身に着けていられる物に向けて祈ったっていい。そう思ったのだ。
ライク・ツーは持っている本を開かないまま、自分の膝の上で頬杖をついて私の話を聞いていた。
「『ガンカケ』できるならアクセサリーはなんでもいいのか?」
「うーん、そうだね。特にこだわりはないかな。日常的に身に着けられればそれで」
ライク・ツーは少し黙ったと思うと、持ったままだった本を自分の脇に置く。
「手」
「え?」
「手だよ。手ぇ出せ」
「え、あ、はい」
一度聞き返してしまった次にはわかりやすい命令をされて、咄嗟にそれに従った。受け皿のようにして両手を出す。
するとライク・ツーは、いつも自身が左腕に身に着けているシルバーのブレスレットを一つ外した。彼の左腕に二つあったはずの一つが、私の手に載せられる。
「え……」
「どうせ身に着けるんならちゃんとしたもののほうがいいだろ、そのへんで売ってるやっすいやつより」
突然のことにどういうことかわからなくて、ライク・ツーの顔を凝視してしまう。
「貸してやる。いらなかったら返せよ」
それだけ言うと、結局本は開かれないままにライク・ツーは席を立って談話室を出ていってしまった。
残された私はお礼も疑問も伝えることができないまま、手に載せられたシルバーブレスレットを見つめていた。
翌日に、私は寮の共有ロビーでライク・ツーが来るのを待っていた。ここにいれば、登校するタイミングで必ず会えると踏んだからだ。
予想の通り、ライク・ツーは特に誰かと連れ立つ様子もなく彼ひとりでロビーに現れた。
すぐに私がいることに気付いたのか、なんでこんなとこにいるんだ、と言いたげに少し首を傾げている。そんな彼に駆け寄った。
「おはようライク・ツー」
「おはよう。何してんだこんなとこで」
「ライク・ツーにお礼言わないとと思ってたから、待ってた」
「礼言われるようなことあったか?」
制服のネクタイを少し緩める。私は首元に手をやり、昨日まではなかったシルバーチェーンを引っ張り出した。
「昨日貸してくれたこれ」
自然と口に笑みが浮かぶ。制服の上から胸の真ん中を指さす。
「ライク・ツーが貸してくれたの、ここにあるんだ」
制服の下に隠れている本体を見ずとも、ライク・ツーは何のことか理解したらしい。彼はぱちぱちとまばたきをしたけれど、すぐに満足そうに微笑んだ。
「へぇ、いい使い方じゃん」
「これなら落としたりしなそうだし、訓練の時も着けたままで大丈夫かと思って」
ライク・ツーが貸してくれたブレスレットを、チェーンを通して首から下げることにした。服の中に入れてしまえば目立たないし、風紀的にも咎められたりはしないだろう。
そのまま、なんとなくふたりで寮を出た。学科棟に向けて足を進める。
「そういえば、いつまで借りてて大丈夫?」
いらなかったら返せよ、と昨日彼は言っていた。私にとって、いらないなんてことはまったくなかったのでありがたく借りて身に着けることにした。
でも、貸してやると言っていたので、私にプレゼントしてくれたわけではないことも理解していた。いつかは返さなくてはならない。
「お前にとって必要なくなったらその時に返せ」
そう言われて少し驚いたけど、私は反射的に言葉を返していた。
「そんなに長く借りてていいの?」
「長く借りるつもりなのか?」
「だって、私にとって必要なくなった時に返すんでしょ? たぶん、ずっと大事に借りちゃうと思うけど」
他でもないライク・ツーが私に渡してくれたものだから。
さすがにそこまでは言えなかったけど、本音はそれだった。
昨日はあまりにもあっさり渡されてしまったので驚きのほうが勝ってしまっていた。
でもその後は、プレゼントではないにしろライク・ツーが私物を私に与えてくれたという喜びに長く浸っていた。そのくらい、私は嬉しかった。
少なからず好意を抱いている相手から何かを渡されたりしたら、誰だって嬉しいに違いないのだ。もちろん、芽を出し始めている私のささやかな好意なんてライク・ツーは知ってはいないだろうけれど。
だからきっと、ライク・ツーが返却を強要してこないのならば、私はずっと彼のブレスレットを持ち続けてしまうと思う。そうなると、いつ返せるかわかったものじゃない。
さすがにそれは断られるかと思った。そんなに長くは貸せないと言われると思っていた。でも、表情を伺う先のライク・ツーは一瞬呆気に取られた表情に見えたけれど、
「そうかよ。なら、それまで借りてろ」
困ったような嬉しいような、彼にしては珍しい、感情が混ざり合ったように笑っていた。
*
「おや……。ライク・ツー君、左腕の腕輪、今日は一つなのかい?」
戦闘服で臨む訓練前に、十手から声をかけられた。十手はこちらを見ながらも、首を傾げている。
十手の言葉に深い意味はないだろうとすぐに思った。十手は細やかだから、容姿や表情など他者の変化をよく見ている。細やか故に、無駄に気疲れもするようだが。
だから深い意味はなく単純に、ライク・ツーの戦闘服における小さな変化に気が付いただけだろう。
昨日は話の流れで、マスターが何かしらのアクセサリーを欲しがっていることを初めて知った。ファッション的な意味ではなく、あくまでお守り的な意味で欲しかったらしいが。いわばクリスチャンがロザリオを持つのと似たようなものだろう。
彼女に対してでなければブレスレットを渡したりなどしなかった。
自分の身に着けているブレスレットを彼女に渡した時点で、すでにライク・ツーにとっての『ガンカケ』が始まっていたのだろうと思える。
「ああ、ちょっとな」
「もし失くしたなら、探すのを手伝おうか?」
「いや、そういうわけじゃないからいい。所在ははっきりしてるからな」
常に傍にいて彼女を守ってやらねば、とまでは思っていない。
彼女は、常に守ってやらなければならないような弱い存在ではない。甘やかすつもりもない。
だが、常にではないにしろ、傍にいてやりたいとは思う。しかし自分は彼女の相棒の狙撃銃ほど、信頼や好意の表現をわかりやすく示すことなどできない。そんなのは柄ではないし、しようとも思わない。
愛だの恋だのに傾倒していられるほど、ライク・ツーは彼女に全てを明かせてもいない。
「それならよかった。いつも身に着けてるから大事なものなんじゃないかと思ってしまったんだ。大事なものを失くしたら悲しいだろうから」
余計なお世話だったね、と申し訳なそうに笑う十手の言葉に、ライク・ツーは無意識に笑って返した。
「ああ。大事にしてくれる奴が持ってる」
だからブレスレットの一つを渡したことは、ライク・ツーがあの場で示せる精一杯の愛情だった。
彼女がそれを必要としていて、肌身離さず身に着けてくれているとわかったのが、嬉しくないわけあるものか。
そして彼女のそれを知っているのは、きっと自分だけでいい。