花を買った。
それほど大きいわけではないけど、ブーケと言える大きさのものを。
士官学校に戻り、そのまま敷地内を歩いていく。足を忍ばせていたわけではないけれど、目的の場所に近づいたとき、ふと誰かいることに気づいて足を止めた。
誰かいる、なんて思った次の瞬間にはそこにいるのが誰であるかを理解していた。
ライク・ツー……?
髪色ですぐにわかる。あんなに綺麗で特徴的な髪色のひとを、士官学校内において私はひとりしか知らない。
彼がここにいることを意外ではないと思うと同時に、意外でもあった。
ここは慰霊碑がある場所だ。
私がここに来る理由は他でもない。無二の親友の名前がここにあるからだった。
それはつまりライク・ツーの元持ち主でもあるので、それを考えれば彼にはここを訪れる理由がある。けれど、理由がどうあれライク・ツーがここに来ていることが、私の中では少し意外と思えてしまったのだ。
私が思う以上に、彼なりに元持ち主を、ヴィヴィアンを慕っていたということだろうか。
そう思ったものの、声をかけるべきか迷った。
ヴィヴィアンに縁が深かった者同士で、彼女へ祈りを捧げるか。元持ち主と、所有されていた銃との水入らずにしたほうがよいのか。
少し離れた距離にてそんな風に迷っている中で、静かに声が響いた。
「俺のこと、嫌いなまま死んだんだな。お前」
体が固まった。聞こえてきた言葉の意味を瞬時に理解してしまった。
『私、実は……自分の銃のこと……このUL85A2のことが、苦手なの』
あの日、私にそう教えてくれたヴィヴィアンの言葉が頭の中で回りだす。
ヴィヴィアンがどうして自分の銃を苦手としていたのか、結局理由はわからないままだった。
今となっては理由を知ることができない。でもきっとヴィヴィアンにはそう思うだけの理由があったはずで、ならば私がそれを否定する権利もない。
あの時、なんて言ってあげたらよかったんだろう。あの時私は『きっと大丈夫だよ』なんて、根拠もないことを言った。
私がもっと何かを言えていたら、もしかしたらヴィヴィアンは今も生きていたのだろうか。生きていて、UL85A2のことを少しでも好きだと思えたのだろうか。
そんな、考えてもどうしようもないもしもを考えた。
視界が滲み出したけれど、制服の袖で目元をこすった。
本当に、どうしようもない。
ヴィヴィアンはいなくなってしまった。助けられなかった。そのことに悲しみや後悔がないわけなくて、だから定期的にこうして彼女の名前が刻まれる場所に来る。
失った命は戻らない。どれだけ私が悲しんでいてもヴィヴィアンは戻ってこない。わかっている。でもそれなら、
「ライク・ツー」
だからこそ今ここで生きていて、存在する残された者に、私は何か言って伝えることはできる。
彼らしくなく、私が来ていたことにまったく気づいていなかったらしいライク・ツーは、驚いたようにこちらを振り向いた。
「……ああ、お前もここに来たのか」
その場をすぐに立ち去るでもなく、ライク・ツーは静かに私の訪れを肯定した。
止まっていた足を動かして、ライク・ツーに近づく。隣に並ぶことはできず、少し距離を空けて彼の後ろに立った。
再び慰霊碑へと向き合ったライク・ツーは今どんな表情をしているのだろうか。
「今の、聞いてたか?」
「あ……、うん……。ごめん。立ち聞きするつもりはなかった」
「別に謝ることでもねぇよ。大したことじゃない」
嘘つき。口にこそ出さなかったけれど、反射的にそう思った。
少なくとも、私にとっては大したことだった。
ヴィヴィアンが自分の銃を苦手だということを、銃だった当時のライク・ツーも理解していた。
私はとても複雑だった。
ヴィヴィアンと、その銃であったライク・ツーの問題であり、私が入る余地はないのかもしれない。
でも私は、悲しかった。ふたりのことを考えるとつらくなった。
ライク・ツーを嫌っていたヴィヴィアンは、私にとって大好きで大切な親友だ。
ヴィヴィアンが嫌っていたライク・ツーは、今や私にとって欠かせない仲間になり大切な存在になった。
でも私にとってどちらも大切に思う当人たちは、一方で嫌っていて、一方は嫌われていた。
わかっていた事実ではあるけれど、突きつけられる光景はあまりにも悲しい。
空いていた距離を詰めて、ライク・ツーの背中に額を押し付けた。突然のことに、ライク・ツーが首だけ振り向いたのが声の聞こえ方でわかった。
「……おい、なんだよ」
「なんか……悲しくなったから」
「はぁ? 知るかよ。俺は慰めねぇぞ」
「うん、知ってる」
慰めないと言いつつ、しかし離れろとは言わない。自分から離れることもしない。
慰めてはくれないが、悲しくなったと言った私にそのまま背中を貸してくれるくらいには、ライク・ツーは優しい。
ライク・ツーの垣間見える優しさを実感する程に、この優しさを知ったらヴィヴィアンは彼という銃を少しでも好きになってくれただろうか。やっぱりそんな、どうしようもないことを考える。
「ライク・ツー」
「ん?」
彼の背中に自分の額をぐりぐりと押し当てる。ついでに、ちょうど視界の先に見えるライク・ツーの踵に爪先を何度かぶつけてやった。悲しみをごまかす子供みたいに。
「私は、死ぬ時までずっと君のこと好きでいるよ」
一瞬だけ、ライク・ツーの体が硬くなったような気がした。
「死ぬ時までライク・ツーのことずっと好きでいるし、好きなまま死んでやるから、覚悟しててよ」
返事はなかった。心地よい風が吹き抜ける音しか聞こえない
「……バーカ」
「あいたっ」
ごつん、と頭に衝撃が落ちてきた。首を後ろに反らしたライク・ツーの後頭部がぶつけられたと理解した。
「お前が死んだら俺たちが消えちまうだろうが。死なれたら俺が困るっての」
ライク・ツーらしい合理的な返事だったけど、真上から聞こえる声は満更でもなさそうに聞こえる。表情は見えないから実際どうなのかはわからない。でも決して、そんなのは必要ないと完全な否定はされなかった。それだけで私は嬉しかった。
ライク・ツーがため息を吐いたのが聞こえる。
「俺と油売ってる場合じゃないだろお前。……お友達のために来たんだろうが。さっさと花置けよ」
つい、驚きでまばたきを繰り返した。同時に、ライク・ツーは見えていないままに私は嬉しくて笑った。
やっぱり少なくとも、ライク・ツーのほうはヴィヴィアンを嫌ってはいないのだと思えた。それがわかっただけでも、私はとても嬉しかった。
「……うん」
ようやくライク・ツーからの背中から離れた。慰霊碑に刻まれた名前を見ながら膝を着き、花を置く。
胸に手を当てて、俯いて、目を閉じて祈りを捧げる。
ヴィヴィアン・リントンロッジ。愛すべき私の親友へ。
胸に当てていた手が、いつの間にか拳に変わる。私は、あなたに恥じないような軍人を目指すよ。
目を開ける。供えたブーケから、一本だけ花を抜き取った。
立ち上がって振り向くと、ライク・ツーはまだそこにいてくれた。
「まだここにいる?」
「……いや、俺も戻る」
じゃあ一緒に戻ろうか、とは言わなかったものの、自然とふたりで歩き出した。
「お前、その花どうすんだよ」
「ん? ああ。いつもね、ヴィヴィアンに供えたブーケから一本もらうんだ。それで、私の部屋に飾っておく」
「ふーん」
聞いてきたのはライク・ツーだけど、興味なさそうな相槌で話題は終わってしまった。
歩きながら、ふともう一度口に出した。
「ライク・ツー、私、さっき言ったこと本気だからね。ちゃんと覚悟してて」
──私は、死ぬ時までずっと君のこと好きでいるよ。
冗談なんかではない。私は彼が大切だから、彼のことを好きでいる。そして死ぬ時もその気持ちのままでいてやる。
ライク・ツーが驚くくらい。好きの気持ちで私の棺がいっぱいになるくらい。私はライク・ツーへの気持ちをたくさん込めて死んでやる。
自己満足かもしれないけれど、そのくらいたくさん気持ちを送ったら、少しは彼も喜んでくれるだろうか。
ライク・ツーは少し黙っていたけれど、やがて口を開いた。
「……ったく、余計な気ぃ遣ってんじゃねぇよ。そういうの腹立つ」
「別に気遣いじゃないよ。至って真面目な愛の告白ですけど?」
「へー、あーそー」
感情の籠ってない返事に笑いながら、手に持っていた一本の花をライク・ツーに差し出した。
「と、いうわけでライク・ツーさん。私からの愛の印にお花はいかがですか」
「……、……いらない」
「わー、悲しい」
お互いに、軽口のような感覚で。
言葉の通り、私としては真面目に言ったけれどライク・ツーに重く受け止めて欲しかったわけでもなかった。このくらいがきっと心地よかった。
寮に近づく中で、お断りされてしまった花の茎を指先でくるくると回す。
すると不意に、横から伸びてきた手が私の手から花を攫った。
驚いて隣を見ると、ライク・ツーは手に取った花をじっと見つめている。
「お前、『覚悟しとけ』って俺に言ったよな?」
「え、うん……言った」
「未来の士官を担う候補生たる者、二言はないよな?」
「ありません」
そう言うとライク・ツーは口元に笑みを浮かべて、手に持った花を揺らす。
「……まぁお前に死なれたら困るけど、俺にそこまで啖呵切った覚悟の証としてこれはもらっとく」
せいぜい有言実行に努力しろ。
そう言ってライク・ツーは少し先へ行ってしまう。私は呆気にとられていたけれど、我に返って背中を追いかけた。
「もちろん、限りなく頑張るよ!」
「そうかよ」
「ライク・ツーも頑張って受け取ってね」
「俺が頑張らなきゃいけないくらいにできたら褒めてやるよ」
これで、私は一生かけてライク・ツーに気持ちを送り続ける準備が整った。
私がどれだけ大切に思っているかを知ったら彼は驚くだろうか。いや、驚かなくてもいい。でもせめて自覚はしてもらえたら私は嬉しく思う。
私が死ぬ時に自覚してもいいけれど、できれば私が生きている間に自覚してもらえたら万々歳だ。
少なくとも私という人間からは、愛をもらっていたのだと。
私という人間は、貴銃士ライク・ツー、あなたを愛しているのだと。
私が死ぬ時までには、どうか伝わっていて欲しい。