悲観的ヴァリエーション

「あなたの国では生クリームはしょっぱいんですか、そうですか」
「ごめんなさい……!」

 

国というか土地というか、生まれも育ちもコーンくんと同じイッシュ地方です。そんなことは思っても決して口に出せる雰囲気ではない。

私を見据えるコーンくんの目は、事故があったあの日のように視線だけで人を殺せそうだ。彼にそんな表情をさせているのは他でもない私なのだけど。
今日も今日とて、安定してコーンくんの怒りを買っている私はもう何なんだろうか。

 

「さ、砂糖と思ってたんだけど、塩で……」
「そんなことは今の結果を見ればわかります! 砂糖と塩を間違えてさらには分量まで盛大に間違えて何がしたいんですか!?」
「か、返す言葉もございません……」

 

コーンくんから生クリーム作製を指示されて実行に移したのだが、砂糖と塩を間違えるという漫画もびっくりのベタな失敗をやらかしたのである。おまけに分量まで間違えて非常に塩辛い生クリームが出来上がってしまった。
いざスポンジケーキに塗ろうとしたコーンくんが味見で舐めてみたところそれがわかったのだ。お客様にこれを出さずに済んだのがせめてもの救いか。

 

「まったくあなたは……!」
「コーン、ストップ」
「時間食うぞ」

 

作業の手を止めて、デントくんとポッドくんがコーンくんの言葉を遮る。
こうして二人が止めてくれることもままある。とてもありがたいけど、申し訳なくて情けなくて、二人の優しさが今の私には痛い。

 

「そりゃあ失敗したミエルも悪いけど、コーンもコーンだよ」
「……何がですか」

 

コーンくんが眉をひそめる。
デントくんの妙な切り返しに私は首を傾げた。コーンくんは何も悪くはないはずだ。怒られるのはとても怖いけど、それは私が相応の失敗をしているからなのだ。

 

「ミエルが失敗するのはどうしてかわからない?」
「コーンだって悪いだろ」

 

二人の指摘はとても意外な方向に向いていた。
私に助け舟を出してくれただけかと思いきや、それだけではなく明らかにコーンくんを責めている。コーンくんの表情は途端に強張った。

 

「ポッドくん、コーンくんは何も……」
「ポッド、ミエルとフロアに出てきて。ここは僕たちがやるから」
「おう。行くぞミエル」
「え……!?」

 

デントくんとポッドくんは、明らかに悪くなった空気をものともしていないらしい。
ポッドくんは私の背中を押して厨房から押し出すと、何事もなかったように歩き出す。いやいやいや。

 

「ポッドくんってば! コーンくんは何も悪くないでしょ?」
「いーや悪い」

 

足を止めて、ポッドくんは追い付いた私を振り返る。

 

「ミエル、厨房での仕事苦手だろ?」
「う、うん……まぁ」

 

ストレートな質問に戸惑いながらも答える。食器の片付け、フルーツや野菜を切ったりくらいしかまともにできることが無い。それらの調理に関してはからっきしだ。
それを言うと「それ、そこだよ」とポッドくんはピッと私を指差す。……人を指差すのはやめましょう。

 

「できないってわかっててもやろうとするのは努力の一環だろ。それで失敗するのはしょうがないし、自分でやったんだから自分の責任だ」

 

ポッドくんはガシガシと頭をかく。

 

「今言ったみたいに、自分ができることとできないことをミエルはわかってるだろ?」
「……うん」
「だから、自分ができることだけやってれば厨房にいたってミエルは失敗しないはずなんだよ。けど、コーンはお前ができることをわかってない」

 

呆れたような怒ったような声だ。

 

「ミエルが毎日失敗してるのは事実だけど」
「で、ですよね……」
「でもミエルができることを把握しないで、できないことをあれこれやらせてるコーンも悪いんだよ。それでいてミエルが失敗したら、無自覚に自分を棚に上げてミエルを怒るんだからな」

 

責任転嫁だろ、この上なくタチ悪いぜ。
ポッドくんはため息をついた。連日、散々に繰り返されていたそれを見かねた結果が今さっき、ということだろう。デントくんとポッドくんがそれほど目を向けてくれていたのが驚きだった。
怒られるだけのことをしているという自覚があった私には、コーンくんが悪いという発想なんて一切なかった。でもポッドくんの話を聞き終えると、言われてみればそうとも言えるなと思える。

 

「……でも」
「ん?」
「やっぱり、私だって悪かったんだよ」

 

たしかに自分のできないことを把握してはいた。デントくんとポッドくんは、言わずとも私のそれをわかってくれていた。でも、できないとわかっていたのに言わなかった私も悪いのだ。
まだやり方を覚えきれていない。きちんとできる自信がないと言えば、コーンくんだってわかってくれただろう。“失敗”という面倒事が起こるリスクを最初から無くせるなら、それに越したことはない。

ポッドくんからもらった大きなフォローを無駄にするつもりはないけど、それを全て言葉通りに受け入れて、そうだよねコーンくんが悪いよね、などと彼を悪役にする気など起きなかった。

 

「ミエルは偉いな」
「え、どこらへんが?」
「自分の欠点をちゃんとわかってて受け入れてるとこ。コーンみたいな奴は、短所とか欠点とか素直に認めようとしないからさ」
「うーん、でもそれは自信を持って行動してるからでしょ? 自信を持つってすごいことだと思うんだ」

 

すごいことなんだよそれって。自信を持てるものが何もない私にとっては。
さすがにそこは言えずに口を閉じた。

半ばポッドくんによって厨房から連れ出されてしまい、デントくんにもフロアに行ってきてと言われたし、たぶんこのままフロアに行くことになるのだろうけど。

 

「どうしたミエル。緊張してるのか?」
「ち、ちょっとだけね」
「あー、そっか。フロアに入るのは初めてだもんな」

 

まさしくそのとおりだった。
ここでタダ働きすることが決まってから、接客の仕方や厨房のサイクルなど一通りは教わっていたものの、フロアで接客をするのは今回が初めてだった。
初日に私の不器用さを目の当たりにした三人、そのうち主にコーンくんは、こんな奴がうまく接客できるわけないと思ったのか、私をフロアに出すことはしなかった。
とはいえ、結局厨房でも大したことはできていないけど。

 

「接客もだけど、注文の取り方とかは覚えてるか?」
「うん、覚えてる。けど……」

 

スラックスのポケットから、教わった接客の仕方を記したメモ取り出し手早く確認する。
覚えてるけど、……不安だ。
料理の味などはもちろんだけど、お客というのは何より店側の態度に非常に敏感だ。接客の良し悪しが評判を決めると言っても過言ではないだろう。今日いきなりフロアに出て、ちゃんとできるのだろうか。

 

「大丈夫、お前人当たりいい顔してるし」
「そ、そうかな?」
「あと人畜無害そう」
「嫌味か? それは嫌味ですか?」

 

自分で言うのもおかしいけれど、いったい私のどのあたりが無害だというのか。
むしろポッドくんたち三人としては私と関わった時点で害を被りまくっている。……自分で言ってて泣きたくなってきた。

 

「とりあえず、身だしなみチェックしとけよ」
「う、うん」

 

ネクタイやウエストエプロンが曲がっていないか、シャツやベスト、ズボンが汚れていないかを確認する。

 

「あとは笑顔な。こっちの表情とか態度がちゃんとしてれば、ミスがあっても簡単にお客は怒ったりしないから」
「わかった」
「何かあったらオレがフォローするから、とりあえずやってみような」
「はいっ」

 

少し大きい声が出せた。初めてで不安で怖いけど、やってみるしかない。
ここで何もできなければそれこそただの役立たずになってしまう。でも、もし少しでも役に立てる可能性があるのなら、それにすがりたいとも思う。

ニッと笑ったポッドくんに続いて私もフロアへ入った。

 

悲観的ヴァリエーション
───変奏曲