従者の底意3

サトシとキッドが、オレンジの物体に呑み込まれた。ステラも同様に呑み込まれようとしている。
自分は何をしているのだ。レジスチルにがっちりと拘束されたままで、彼らが呑み込まれるのをただ見ているしかできないのか。

 

『……っ!』

 

レジスチルの手を振り払い、なんとか再び自由になる。

『ステラ……っ!』

 

彼女はあがいている。間に合え。手を伸ばして走り寄る。

 

「ルカリ、オ……っ!」

 

彼女はガーディたちに触れているほうとは逆の手を伸ばす。
手首が少し赤くなっているほう。昨日の夜の、ルカリオの拒絶した痕が残っている手だった。
必死に体を動かしているが、ステラの体がどこかへと沈んでいく。ごぽり、と顔も物体に覆われた。

ガーディの叫びが響く。彼女を包み込んだ物体が、地面へと溶け込むように消えていく。

──だめだ。頼む。間に合え。
必死に手を伸ばした手は、彼女の手に届いた。だが、手を取ることはできなかった。ただわずかに指先に触れただけだった。
いなくなってしまった。ガーディが地面を叩くが、何も起こらない。

 

「ワウ……、ワウ……ッ!」

 

名前を呼んでも、ガーディの声がそこに響くだけで返事もない。

 

『ステラ……、サトシ』

 

ピカチュウやサトシのポケモンたちは涙を流していた。ステラのムウマもグレイシアもトゲチックも。ムクホークは涙を耐えるように俯いている。

 

「ミュー?」
「ワウッ……」

 

残されたサトシの帽子を拾ったミュウは目を細めた。
やがて目を閉じたミュウの体が発光し始めた。ミュウは結晶の一つへ触れる。青色の結晶が緑色に輝き始める。

これは……。
ミュウは樹に伝えている。人間は排除する対象ではないと。
すると地面から何かが湧き上がってくる。湧き上がってきた物体が消えると、そこにはサトシ、キッド、ステラが座り込んでいた。

戻ってきた主人たちに、ポケモンたちは全員大喜びしている。
それほど嬉しいものか。主人と再会するというのは。
今のルカリオには量りかねる感情に思えた。だが、これだけ全員が喜んでいるのだから、少なくとも彼らにとっては充分に嬉しいことなのだろう。
皆がひとまずポケモンたちをボールへ戻す中、ガーディはそれを拒否していた。

 

「入らないの?」
『お前といたいに決まってるだろう』

 

座り込んだままの彼女に近付くと、ルカリオの言葉にガーディは頷く。手を伸ばす。

 

「ありがとう」

 

伸ばしたルカリオの手をステラは素直にとった。ルカリオが引っ張る力に任せて立ち上がる。
手が触れた。自分は拒否していない。届かなかったわけでもない。今度は、ちゃんと。

彼女の手が、少しだけ力を込めて握ってきた。
この手が、彼女が戻ってきてよかったと思えるくらいには、自分も彼女との再会を喜んでいるらしかった。

 

―――――

 

この少年たちを、守らなければいけないと思った。
サトシに、自分や主人と同じ道を辿らせてはいけないと思った。だから突き飛ばした。

主人もこのような心境になったのだろうか。体の痛みや苦しみよりも、守るべきものを守れたという安堵が勝っていたのだろうか。

目覚めてから今ここに至るまでの自分を、心底恥じた。
主人を疑ってしまった。なんて愚かだったのだろうか。自分のことを、「友」と思ってくれていた主人を。

 

『アーロン様……っ、私は、愚かでした……!』
「違うぜ。お前は立派な波導の勇者だ!」

 

サトシの言葉に同意するように、ステラが強く手を握ってきた。

 

「アーロンは、ルカリオや城を捨てたわけじゃなかった。ルカリオもそれがわかった……」

 

手に伝わってくる温かさがとても心地よかった。

 

「だから、それでいいんだよ」

 

その言葉に頷いて見せたが、苦しみが縦横無尽に体を駆け巡る。
主人もこんな苦しみを味わっていた。主人を疑った自分には丁度いい罰だとも思えた。
何かが、手に落ちてくる。それが何かわかると、励ますようにルカリオは小さく笑った。

 

『泣くな……ステラ』

彼女の頬を涙が伝っていた。ルカリオがそれを指摘すると同時に、せき止めていたものが崩れたように涙が流れてきた。
繋がっている自分たちの手に、次々とその雫が落ちる。彼女は涙を拭うことすらしようとしない。声を上げることを堪えるように強く目を閉じている。

 

『なぜ、お前が泣く……?』

 

ガーディにも会えた。それでいて無事に助かったのだから、泣く必要などないのに。

 

「っ、いろいろと……」

 

いろいろ? 理由は複数あるのだろうか。それを問いかける余力は残念ながらなかった。

 

「いろいろあるけど、一番は、悲しいからかな」

悲しい? なぜ。
一緒に過ごした時間はあまりにも短い。彼女がどれだけガーディを大事に思っていたのかも、昨日の夜にどんな思いで自分と話をしてくれたのかも、全てを量ることはできない。
勝手に自分の想像で、彼女の心境を語るなど出来はしないのだ。
わからない。なぜ泣く?

 

「友達がいなくなるのは、悲しいよ……」
「ワウ……」

 

ステラの言葉にガーディも肯定している。先程の主人以外で、その言葉を聞くとは思わなかった。

 

『友達……』
「わたしやガーディと友達になるのは、まっぴらだった?」
『いや……、悪くはないな』

 

つい笑みがこぼれた。自分で思うほど笑えてはいなかっただろう。
しかし体の苦しみとは反対に心はどこか穏やかで、自ら口を開いていた。

 

『……っ、お前は……似ている』
「え……? なに……? 誰に?」
『だが……お前は、お前だ、ステラ』

 

彼女は彼女だ。自身にも言い聞かせるようにルカリオは短く告げた。似ていようとも、決して同じではない。

ついに満足に体を支えることもできず、結晶へもたれかかった。

 

「ルカリオ、しっかりしろ! 死んじゃだめだ!」
『私は、死なない……。アーロン様の所に、帰る、のだ……』
「ルカリオ……!?」

 

死ぬのではなく帰る。自然とそう思った。主人の所へ帰る。そう確信していたから、恐怖など何も感じなかった。

恐怖はなかったが少しだけ心残りがある。
このガーディと話をしてみたかった。彼にとってステラはどんな主人であるのかを訊いてみたかった。
ただ、何となく予想はつく。ルカリオ自身そう思っている。なんとかわずかに目を開けてガーディを見た。

 

お前の主人はとても良い人だと。
だが、自分の身を充分に守ることができない。そのくせ無茶をする。放っておいてはどこまでするかわかったものじゃない。

だからお前が守ってやれ。お前が彼女から目を離すな。
良い主人と共にいるのは、その分従者が苦労もする。自分のように。
だがその苦労に見合うだけのものを、お前はきっと彼女から貰う。

 

口にすることはできなかったが、どうしてかガーディはしっかりと頷いていた。何か伝わったのだろうか。わかってくれたのだろうか。それならばいい。心残りはなくなった。
ああ、違う。あと強いて言えば、もう一つだけ。
自分の手を包む温かさから離れるのは、少しばかり惜しいと思えた。

 

 

 

 

濃い霧の中に、一人の青年と、もうひとり、人間とは違う生き物である彼の二人がいた。

青年は徐に何かを取り出す。
茶色い板状のものを口に運んだ。パキンッと小気味よい音がして、それは少しだけ欠ける形となる。
それはとても甘くておいしいものであることは、従者の彼自身、一度だけ味わったことがあるので知っている。主人である青年が感想を漏らすと、隣に控える彼は笑った。
そのまま彼らは歩き出す。霧の中には彼らの仕える城が見えていた。

 

──伝説に名を残した青年がいた。その青年と友人であった、従者の話。