サトシとキッドが、オレンジの物体に呑み込まれた。ステラも同様に呑み込まれようとしている。
自分は何をしているのだ。レジスチルにがっちりと拘束されたままで、彼らが呑み込まれるのをただ見ているしかできないのか。
『……っ!』
レジスチルの手を振り払い、なんとか再び自由になる。
『ステラ……っ!』
彼女はあがいている。間に合え。手を伸ばして走り寄る。
「ルカリ、オ……っ!」
彼女はガーディたちに触れているほうとは逆の手を伸ばす。
手首が少し赤くなっているほう。昨日の夜の、ルカリオの拒絶した痕が残っている手だった。
必死に体を動かしているが、ステラの体がどこかへと沈んでいく。ごぽり、と顔も物体に覆われた。
ガーディの叫びが響く。彼女を包み込んだ物体が、地面へと溶け込むように消えていく。
──だめだ。頼む。間に合え。
必死に手を伸ばした手は、彼女の手に届いた。だが、手を取ることはできなかった。ただわずかに指先に触れただけだった。
いなくなってしまった。ガーディが地面を叩くが、何も起こらない。
「ワウ……、ワウ……ッ!」
名前を呼んでも、ガーディの声がそこに響くだけで返事もない。
『ステラ……、サトシ』
ピカチュウやサトシのポケモンたちは涙を流していた。ステラのムウマもグレイシアもトゲチックも。ムクホークは涙を耐えるように俯いている。
「ミュー?」
「ワウッ……」
残されたサトシの帽子を拾ったミュウは目を細めた。
やがて目を閉じたミュウの体が発光し始めた。ミュウは結晶の一つへ触れる。青色の結晶が緑色に輝き始める。
これは……。
ミュウは樹に伝えている。人間は排除する対象ではないと。
すると地面から何かが湧き上がってくる。湧き上がってきた物体が消えると、そこにはサトシ、キッド、ステラが座り込んでいた。
戻ってきた主人たちに、ポケモンたちは全員大喜びしている。
それほど嬉しいものか。主人と再会するというのは。
今のルカリオには量りかねる感情に思えた。だが、これだけ全員が喜んでいるのだから、少なくとも彼らにとっては充分に嬉しいことなのだろう。
皆がひとまずポケモンたちをボールへ戻す中、ガーディはそれを拒否していた。
「入らないの?」
『お前といたいに決まってるだろう』
座り込んだままの彼女に近付くと、ルカリオの言葉にガーディは頷く。手を伸ばす。
「ありがとう」
伸ばしたルカリオの手をステラは素直にとった。ルカリオが引っ張る力に任せて立ち上がる。
手が触れた。自分は拒否していない。届かなかったわけでもない。今度は、ちゃんと。
彼女の手が、少しだけ力を込めて握ってきた。
この手が、彼女が戻ってきてよかったと思えるくらいには、自分も彼女との再会を喜んでいるらしかった。
―――――
この少年たちを、守らなければいけないと思った。
サトシに、自分や主人と同じ道を辿らせてはいけないと思った。だから突き飛ばした。
主人もこのような心境になったのだろうか。体の痛みや苦しみよりも、守るべきものを守れたという安堵が勝っていたのだろうか。
目覚めてから今ここに至るまでの自分を、心底恥じた。
主人を疑ってしまった。なんて愚かだったのだろうか。自分のことを、「友」と思ってくれていた主人を。
『アーロン様……っ、私は、愚かでした……!』
「違うぜ。お前は立派な波導の勇者だ!」
サトシの言葉に同意するように、ステラが強く手を握ってきた。
「アーロンは、ルカリオや城を捨てたわけじゃなかった。ルカリオもそれがわかった……」
手に伝わってくる温かさがとても心地よかった。
「だから、それでいいんだよ」
その言葉に頷いて見せたが、苦しみが縦横無尽に体を駆け巡る。
主人もこんな苦しみを味わっていた。主人を疑った自分には丁度いい罰だとも思えた。
何かが、手に落ちてくる。それが何かわかると、励ますようにルカリオは小さく笑った。
『泣くな……ステラ』
彼女の頬を涙が伝っていた。ルカリオがそれを指摘すると同時に、せき止めていたものが崩れたように涙が流れてきた。
繋がっている自分たちの手に、次々とその雫が落ちる。彼女は涙を拭うことすらしようとしない。声を上げることを堪えるように強く目を閉じている。
『なぜ、お前が泣く……?』
ガーディにも会えた。それでいて無事に助かったのだから、泣く必要などないのに。
「っ、いろいろと……」
いろいろ? 理由は複数あるのだろうか。それを問いかける余力は残念ながらなかった。
「いろいろあるけど、一番は、悲しいからかな」
悲しい? なぜ。
一緒に過ごした時間はあまりにも短い。彼女がどれだけガーディを大事に思っていたのかも、昨日の夜にどんな思いで自分と話をしてくれたのかも、全てを量ることはできない。
勝手に自分の想像で、彼女の心境を語るなど出来はしないのだ。
わからない。なぜ泣く?
「友達がいなくなるのは、悲しいよ……」
「ワウ……」
ステラの言葉にガーディも肯定している。先程の主人以外で、その言葉を聞くとは思わなかった。
『友達……』
「わたしやガーディと友達になるのは、まっぴらだった?」
『いや……、悪くはないな』
つい笑みがこぼれた。自分で思うほど笑えてはいなかっただろう。
しかし体の苦しみとは反対に心はどこか穏やかで、自ら口を開いていた。
『……っ、お前は……似ている』
「え……? なに……? 誰に?」
『だが……お前は、お前だ、ステラ』
彼女は彼女だ。自身にも言い聞かせるようにルカリオは短く告げた。似ていようとも、決して同じではない。
ついに満足に体を支えることもできず、結晶へもたれかかった。
「ルカリオ、しっかりしろ! 死んじゃだめだ!」
『私は、死なない……。アーロン様の所に、帰る、のだ……』
「ルカリオ……!?」
死ぬのではなく帰る。自然とそう思った。主人の所へ帰る。そう確信していたから、恐怖など何も感じなかった。
恐怖はなかったが少しだけ心残りがある。
このガーディと話をしてみたかった。彼にとってステラはどんな主人であるのかを訊いてみたかった。
ただ、何となく予想はつく。ルカリオ自身そう思っている。なんとかわずかに目を開けてガーディを見た。
お前の主人はとても良い人だと。
だが、自分の身を充分に守ることができない。そのくせ無茶をする。放っておいてはどこまでするかわかったものじゃない。
だからお前が守ってやれ。お前が彼女から目を離すな。
良い主人と共にいるのは、その分従者が苦労もする。自分のように。
だがその苦労に見合うだけのものを、お前はきっと彼女から貰う。
口にすることはできなかったが、どうしてかガーディはしっかりと頷いていた。何か伝わったのだろうか。わかってくれたのだろうか。それならばいい。心残りはなくなった。
ああ、違う。あと強いて言えば、もう一つだけ。
自分の手を包む温かさから離れるのは、少しばかり惜しいと思えた。
濃い霧の中に、一人の青年と、もうひとり、人間とは違う生き物である彼の二人がいた。
青年は徐に何かを取り出す。
茶色い板状のものを口に運んだ。パキンッと小気味よい音がして、それは少しだけ欠ける形となる。
それはとても甘くておいしいものであることは、従者の彼自身、一度だけ味わったことがあるので知っている。主人である青年が感想を漏らすと、隣に控える彼は笑った。
そのまま彼らは歩き出す。霧の中には彼らの仕える城が見えていた。
──伝説に名を残した青年がいた。その青年と友人であった、従者の話。