しばらく経ってから、マサトと一緒にステラがやって来た。
慣れた、というわけではないが、当たり前のようにステラから目を逸らす。
そんな後ろめたさで一杯だったところにマサトから手渡されたのは、チョコという初めての食べ物である。その甘さは不思議と口元が上がってしまうものだった。
マサトがいなくなり、ステラと残された。
後ろめたさもあったが、何より自分のことで手一杯で、何かを言うことはできなかった。彼女がマサトと共に戻らないのが少し意外だ。
「ごめんね、ルカリオ」
発せられたのは予想もしない一言だった。責め立てられると思っていたのに。
『……なぜお前が謝る』
「いろいろと」
そのいろいろとはどれを指しているのかいまいちわかりかねたが、さっきの一連のやりとりのことを言っているのであれば、ステラはほぼ介入していない。むしろルカリオが謝らなければならないことをした。
「わたしは快く思われていないんだろうし、」
散々冷たい態度を取ってきたのは他でもない自分だが、改めてそれを認識させられた。
突如として封印から解放され、自分が生きた時代ではないことを思い知らされ、思い出したくない記憶を引き出され、自分の封印が主人によるものだという事実を否定された。
ルカリオがサトシたちに好意的になれない理由はそれだけで充分過ぎるほどだったが、思えば、随分幼稚なことをしていた。
例えがたい何か。
その理由はなんとなくわかっている。それが抑えられていなかった。
「サトシから言われたことで怒ってるだろうから、わたしが言っても何の助けにもならないと思うけど…」
──大事な者の安全と幸せを願うのは、間違いではないんじゃないかな。
──主観で見ただけが事実だとは限らないよ、きっと。
ぽつぽつと話すステラ言葉は、否定しようにもできなかった。だが否定しないのも妙なプライドが邪魔をした。
やがて少女は立ち上がり、服に付いた土を払う。
「ごめんね、あんまりうまく言えなくて」
彼女の言いたいことは伝わった。決してルカリオに何一つ伝わらなかったわけではないのに、うまく言えなくてごめんと彼女は言う。かつて聞いたような、それと同じようなことを言う。
彼女に言いたいことがある。言わねばならないことがある。
『ステラ』
「うん?」
交差した視線は、ルカリオが俯いたことで外れた。
『……さっきは、すまなかった』
ステラの手首が赤くなっているのは自分に非がある。
「大丈夫だよ。ルカリオは悪くないから」
それなのに、彼女は自分を許すか。
ならばもう一つ、言っておかなければ。不本意にも自分が蒔いた誤解を解いておかなくては。
『いや……。あと……、別に、お前のことを嫌っているわけではない』
そこまでしか言えなかった。
理由もなくあんな態度を取っていたわけではない。ルカリオが勝手に冷静さを欠いていただけだった。
だがそれはルカリオにしか当てはまらないことで、それを理由にして彼女を邪険にするのは間違っている。
自分が生きたかつての時代と。
今はあの頃ではないはずなのに、時折思い出してしまう。重なってしまう。それがルカリオを混乱させる。
「そっか、ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ」
言葉通り、嬉しそうに小さく笑った。
そんな目の前にいる少女はステラという。そのことをしっかり叩き込んだ。
混乱させられるのは、これきりだ。もう重ならないだろう。
個人的な弊害は、これで終わりだ。思い出してしまう自分が生きた時代のことなど、彼女には言う必要はない。
―――――
はじまりの樹に彼らを連れていくというのが女王から仰せつかったことだった。厳密に言えばそれはもう果たされている。
しかしながら、どうしてこうもこの少女は放っておけないのか。
樹の内部に侵入した者たちを排除する、オレンジの物体から反射的に庇ってしまう程に。排除の対象になるのは人間に限られているようで、ルカリオは難を逃れたが。
そのまま逃げ続けても埒が明かないと、サトシとステラはレジロックやレジスチルを引き付ける役を買って出た。ルカリオもその場に残る。
「ルカリオ?」
なぜ他の皆と行かないのか、と言うようにこちらを見てくる。
『お前とサトシがガーディやピカチュウに会えるまでは、私はお前たちと一緒にいる』
それはなんだか使命感に似たものではあったが、
「それは、女王様に頼まれたから?」
そう言われたのは心外だった。
サトシやステラに手を貸したのは、女王からの命令だったからというのは事実だ。そうでなければ、好き好んではじまりの樹に来ることなどない。
それでも、今彼女らとこの場にいることを決めたのは他でもないルカリオ自身だった。
『侮るな。私の意志だ』
軽く睨みつけたが、ステラは意に介していないようだった。目を逸らさずに彼女は頷く。
「ありがとうルカリオ」
『いずれにしろ、お前たちだけでは心許ない』
「一言余計だよ」
……何とでも言え。
きっと彼女は、ルカリオが全力で守らなければいけないような弱い存在ではない。ステラのグレイシアも、他のポケモンたちもいる。
彼女を未熟だと感じながらも、恐らく彼女は自分の助けを必要としないということもわかっていた。それでも、自分が近くにいなければと思うのはどうしてなのか。
レジロックやレジスチルを引き付けながら通路を進む。
途中、サトシが別の通路へ逸れたようで、後ろから付いてきたはずのステラも方向を変えていた。
そのままたどり着いたのは深い谷間だった。向こう側から水晶を伝ってガーディが駆けてきているのが見える。
サトシのポケモンたちの横を抜けて、踏み出そうとしたステラの腕を思わず掴んだ。
『お前が向こうまで行けるとは思えない』
「……そうだね」
ただ事実を肯定した、というように彼女は頷いた。
「でも、自分で行かないと」
やんわりと腕を外したと思うと、ステラは水晶の上を勢いよく走り出す。
あと少しでガーディと再会できそうに見えた時、強風が吹いた。その強さに勝てなかったのか、ガーディは水晶の上から飛ばされた。それをステラが迷いなく追ったことに驚愕した。
何をしている。お前に翼はない。谷底に落ちるつもりか?
何を、何を、何を。──何をしている!
喉から声が飛び出しそうになった。
風に煽られる姿が、やけに遅く見えた気がした。だがその矢先、次のまばたきの後には彼女とガーディはムウマの力によって宙に浮いていた。
安堵の息を吐いたが、続け様にサトシも同じように空中に飛び出していたのだから、ルカリオの心臓はこれ以上ないほどに強く鼓動した。
『サトシ、ステラ!』
キッドに助けられたサトシたちの場所へ向かう。
「俺、ピカチュウに会えたぜ!ピカチュウ、ルカリオだ。ここまで案内してくれたんだぜ」
「ピカピカッ」
「ガーディもお礼言わないと」
「ワウッ!」
それぞれが自分の相棒と会えた事実に、ルカリオも自然と笑みが浮かぶ。
よかった。彼らが無事に会えたことも、サトシとステラが谷底に落ちるなどという事態に陥らなかったことも。
ひどい無茶をする。
私が止めても無茶に走るのだから、止める者がいなかったらお前たちはどこまで無茶をするつもりだ。だからだ。だからお前たちは放っておけないんだ。
自分が近くにいてやらなければと思うのだ。