幸せになるべき君へ

※公式準拠のラスト。

 

 

ランタンから溢れる明かりを消すことができないでいた。
ベッドに潜り込みながらも、寝付くことができないでいた。

本当は、早く休んで少しでも備えておかなくてはならないのに。 何度目かわからない寝返りを打った時、静かに、小さくノックの音がした。下手をすれば気づきそうにないくらいの音だった。
こんな時間に誰だろうと思いつつ、少しの警戒を含めてそっとベッドから出る。扉に近づき、返事をした。

 

「はい」
「……マスター? 俺……、シャルルヴィルだけど」

 

声は名乗った通りのシャルルのものだった。いったいどうしたんだろうと思って、少し急ぎ目に扉を開けた。

 

「あ……。……まったくもう。だめだよマスター、男相手にそんなにすぐ扉開けたら」
「すぐに開けたらいけないようなことを、シャルルはしないでしょ?」

 

扉を開けた先にいたシャルルは、私がすぐに扉を開けたことに対して困ったように窘めたけれど、私の返答に対して「そりゃあ、ね」と眉を下げた。

 

「ごめん、起こしたかな」
「……ううん、起きてた。眠れなくて」
「そっか。あの、……入ってもいいかな」

 

おそらく、だめと言えばシャルルは無理強いせずにいてくれる。けれども私には拒否する理由も、拒否をする心境でもなかった。
だから頷いて、シャルルを部屋に招き入れた。普段の私たちからでは想像がつかないほど、今は互いに言葉が少ない。
ふたりしてベッドに腰かけるも、すぐに何かを言い出すことはなかった。

 

「俺も、なかなか眠れなくてさ」

 

徐に口を開いたシャルルのほうを見る。ゆっくりを私を見るシャルルの瞳が揺れたのか、つけっぱなしのランタンの炎が揺らめいたのか。

 

「やっぱり、明日だって思うと、ちょっと緊張してるのかな」
「……私も、同じだよ」

 

私の肯定に、シャルルは困ったように微笑んだ。
明日は、世界帝軍の本丸であるイレーネ城を叩く日だ。
世界帝の居城であるそこを攻撃することは、文字通り、結果がどうあれ最後の戦いになるはずだ。そのためにこれまで戦いを続けてきた。世界帝軍を陥落させて、独裁と圧政から自分たちが解放されるために。
そのために、ここまで力を貸してくれた彼ら貴銃士たちと、明日は決戦へ挑むのだ。

戦いに対して緊張や恐怖を抱くのは当たり前だと思えた。
命の危険は承知の上で戦場に出ることは何度もあったけれど、明日はこれまでの作戦とは規模が違い過ぎる。
でもきっと、みんなと共に挑めば勝機はあると、そういう希望もある。そういった得もいえない気持ちを抱いていたのは私だけではなかったと思うと、少しだけほっとする。
けれど。それとは別に、私には別の、もっと漠然とした不安もあった。

私が『マスター』たる所以の薔薇の傷は、再度薄くなっていた。
二度にわたり赤い石との賭けに勝ったけれど、不思議と傷は治癒され始めていた。
シャルルたち貴銃士を呼び覚ました力の根源。それがなくなってしまったら──。
考えたくない現実が近づいているのはわかっていた。わざと目を背けていたのだ。それが言葉にできない不安になって、眠れない夜になっている。

 

「マスター」
「ん?」
「手、つないでもいい?」

 

シャルルの表情は先ほどまでの、どこか強張ったようなものではなくなっていた。
いつもように、こちらが安心するような笑みを浮かべている。それにつられて私も笑っていた。

 

「うん」

 

差し出されているシャルルの左手に、自分の右手を重ねた。包み込むようにしっかりと握られる。シャルルの指先が手の甲に重なる。薔薇の刻印が少しだけ隠れた。
シャルルの手は温かくて、とても安心した。
ずっとこうしていたいと思えた。再び、マスターと呼ばれて顔を上げるとシャルルは遠慮がちに目を伏せる。けれども私を見て、また口を開いた。

 

「もう少し、近づいてもいい?」

 

手を繋いでいても、私とシャルルの間にはもう一人誰かが座れるような隙間があった。
頷いて見せると、メルシーと微笑んだシャルルが隙間を埋めた。お互いの膝や腕が触れ合うような、ぴたりとした距離に嫌悪感はなかった。つないだままの手はお互いの膝の上に移動する。
距離が近い。しかし胸は高鳴ることはなく、穏やかな一定のリズムを刻むだけだった。逆に言えば、心を許していなければ、こんな風に穏やかな気持ちで触れ合うことはできない。

甘えるわけではなかったけれど、シャルルの肩に頭を乗せた。それに対してシャルルも何も言わず、頬を寄せてくれたのが伝わった。
このままキスをして、抱きしめて。そうしたことをしてもおかしくはない雰囲気であるのに、私たちの間で決してそれはない。

 

「少し、このままでいていい?」
「もちろん。俺は喜んで」

 

だって私たちは、恋人同士ではないから。
こうして手を繋いだり近い距離にあったとしても、そこに特別な意味があるかはわからない。少なくとも、私のほうは特別を込めているけれど。

 

「マスター……。明日、俺は何があっても君を守るから」

 

明日の私は、シャルル、ベス、スプリング、ケンタッキーの四人と、恭遠さんと行動する。
シャルルの言葉を聞いて、つい握る手に力がこもった。守られているばかりではいけない。けれども私は一介のメディックであって、戦闘は専門ではない。ならばせめて、戦ってくれる彼らに恥じないような心持でいなくては。

 

「ありがとう、シャルル」

 

そのままずっと、優しくて温かい空気に包まれるばかりだった。

玉座は崩れた。
同時に、貴銃士たち全員による絶対高貴の光によって、世界帝の薔薇の傷は治癒した。そして、言わずもがなこちらのマスターである彼女の傷も消えていった。
それは自分たちの役目が終わったことを意味していて、役目を終えたものは表舞台から去らなければならなかった。

マスター、否、マスターであった女性に、仲間たちが声をかけては銃に戻っていく様を見て喉や胸が締まるような感覚に襲われていた。
自分の掌を見ても、体が薄まっていくのがよくわかった。
弟分でもあるスプリングフィールドは彼らしい明るい言葉を残していき、号泣しながらもケンタッキーは感謝を伝えていった。

それじゃあ、やっと、俺の番かな。……ベスくん、仕方ないからトリはお前に譲るよ。
そんな意味を込めてブラウン・ベスへ目配せし、シャルルヴィルは彼女へと近づいた。

近づくこちらを見上げた彼女は、先ほどのケンタッキー以上に涙を流していた。
当然と言えば当然かもしれない。シャルルヴィルにとっても仲間たちが銃に戻っていくのを見るのは寂しいものである。しかし貴銃士たちにとっては、あくまでも恭遠や、マスターであった彼女という少数との別れと言える。
しかし彼女にとっては、大勢の仲間が目の前から消えることを余儀なくされているのだ。もっと大きな感情の波が押し寄せていることだろう。

 

「あはは……最後まで笑顔でいたいのにさ、あいつらのせいで俺まで泣けてきちゃう」

 

空笑いが零れる。
こうなることは覚悟していた。その上で今日を迎えた。彼女の薔薇の傷が再び薄まっているとわかった時から、シャルルヴィルだけではなく、貴銃士たち全員がわかっていたはずだった。
だから昨日の夜は、不躾にも彼女の部屋を訪れてしまった。

──明日のこの時間は、きっともう君に会えない。確証はないけど、そんな気がする。だから今夜はこの手を離さないで。

そんなことを思って、彼女と寄り添っていた。
名前を呼ぶと、彼女は必死にこちらを見上げてくれた。文字通り目いっぱいに溢れた涙は太陽の光を反射させ、彼女の目はきらきらと輝いている。
ああ、君って本当に、涙さえも綺麗にできているんだね。状況にそぐわないロマンチックなことを考えて、ふと口元が緩んだ。

 

「……ね、ぎゅってしてもいい?」

 

声も出せずにいる彼女が頷いてくれたのを確認し、両腕を彼女の背中に回した。しゃくりあげる彼女の体は小刻みに震えている。それを宥めるように、より強く彼女を抱きしめた。

昨日の夜も、許されたから彼女に触れた。今も。
それに対して彼女がどう思っているかはわからない。少なくとも嫌がられてはいないと思う。そんな風に弱気になるのは仕方がない。
シャルルヴィルと彼女は、恋人同士ではなかったから。
好きだって言いたい。そう思ったことは何度もあって、でも言えなかったのは、彼女がどこまでも凛として気高かったから。

『マスター』という肩書がなければ、きっと彼女はいたって普通の女性であっただろう。
しかし自分ら貴銃士と向き合い、大切にしてくれる彼女は眩しいほど輝いて見えた。だからというわけではないにしろ「君が好きだよ」なんて告げるのはなんだか安っぽいような気がして。

……そんな言い訳をするくらいなら、別れの時にこんなことを思うくらいなら、さっさと伝えておけばよかったなぁ。
「なんてね」なんて言わずに、それが本心だって、言っておけばよかった。
踏み出せなかった俺の様子や言葉を、君はどう思っていたんだろう。
俺がちょっとはぐらかす度に困ったように笑う君は、特別に想う誰かがいたのかな。そんなことも、訊けなかったけど。
もしいたとしても、それは俺じゃなくてもいいよ。君が幸せでいてくれるなら。でも。
でもやっぱり、俺が君を幸せにしてあげたいって、わがままも思ったりするんだよ。

彼女に触れているはずの手の感覚がなくなっていく。
ああ、やばい。マジで泣きそう。
彼女に笑っていて欲しいし、自分も笑顔で別れておかなくていけないと思うのに、どうにもそれは無理そうだった。

 

「……っ、シャル、ル……」

 

不意に彼女が動いたと思うと、両手で頬が包まれた。交わった視線は真っ直ぐにシャルルヴィルを射抜いた。

 

「        」

 

微笑みながら告げられた彼女の言葉は確かに耳に届いた。
聞いた瞬間、呆気にとられる。同時に、堪えていた涙がぼろりと零れた。しかし、シャルルヴィルは彼女と同じように笑った。ふたりとも涙は止まらないのに、嬉しくて笑った。

 

「…………ありがとう」

 

俺も。
そう言いかけたが、自然と口は別の言葉を発していた。

 

「大好きな君の幸せを、一番に願ってるよ」

 

そうだ。君が大好きだよ。
その言葉を彼女がどんな意味で受け取ってくれるか確かめることはできない。しかし彼女が精一杯に笑って頷いてくれたから、きっとシャルルヴィルが伝えたい意味で届いたのだと思いたかった。

最後に君の笑顔が見れてよかった。俺もちゃんと笑えてたと思う。言いたいことも言えた。だから俺はもう、願って、信じるだけなんだ。
俺が愛した、気高く、大好きな人。
この先の未来を生きる君が、きっと幸せでありますように。