お昼時のピークを過ぎたため、今は注文の波も落ち着く時間だ。
私もフロアに出るようになってからは使用済みの食器を片づけることに時間を割けなくなったので、私はこの時間、ひたすら洗浄機に食器を入れては片付ける。
他の三人はこの後に備えてフルーツやクリームなどの準備をしている。
「ミエルくん、そっちにバニラエッセンスあるか?」
「えーと、あ、あるよ。はい」
「……お前、今は突っ込むところだろ」
「え? ……あ」
一瞬何のことかと思ったけど、今ポッドくんはわざと私をくん付けで呼んだのだと気づいた。私が普通に返事をしたことが予想外だったのだろう。他の二人も驚いたように私を見た。
くん付けで呼ばれても、違和感なく返事をしてしまうようになった今日この頃というのをひしひしと実感してしまった。
「すっかり板に付いてるな、ミエルくん」
「慣れって怖いね……。今が人生のモテ期だと思う」
「同性相手でいいのかい?」
「だって私、逆に異性にモテたこととかないよ?」
悲しいけれども事実だった。モテるための自分磨きなんてのもまったくしてる余裕がなかったからなぁと、苦しかった旅路を思い出す。苦しかったのは、主に金銭的な意味だった。
肩をすくめると、ポッドくんが首を傾げた。
「そんなことないだろ。ミエルはかわいいと思うけど」
「え?」
「そうそう。自分を下げるようなこと言わないで。もったいないよ」
デントくんが私の背中をぽんぽんと叩く。
二人は何を言っているのだろう。誰がかわいくて、何がもったいないの。突然過ぎる言葉を脳が受け入れてくれなくて、驚きで目を瞬いた。
「無駄口を叩いていないでさっさと準備をしてください」
「いてっ! なんでオレだけなんだよ、デントもしゃべってただろ!」
「ごちゃごちゃ言っているともう一発叩きますよ」
ごつんと拳をポッドくんの頭にぶつけたコーンくんは、なんだか不機嫌そうだ。
まずい。私もしゃべってしまっていたし、怒らせたかもしれない。慌てて作業に戻り、食器を棚へと戻す。
私の隣でデントくんが小さく笑っている。
「デントくん、どうしたの?」
「ううん、なんでもないよ」
そう言ってふとしたように私を見るデントくんに、ちょっとたじろぐ。
「な、なに?」
「考えたら、ウェイトレス服の予備が無かったのが悔やまれるなぁと思って」
「……私が着る想定?」
「もちろん」
「えー、いいよ。こっちのほうが動きやすいし」
ウェイトレス服で働く自分の姿が想像できない。今や着慣れたというのもあるのだろうけど、スラックスのほうが楽でいい。
「今の服もだけど、ミエルはウェイトレス服も似合うと思うよ」
イケメンが褒めると、何でもかんでも魔法の言葉のように聞こえてしまう。
「あ、ありがとう。……しゃべってるとまたコーンくんに怒られるよ」
「大丈夫。さっきも、しゃべったからコーンは怒ったわけじゃないからね」
「え、そうなの?」
じゃあどうして一気に不機嫌そうになったのだろう。兄弟だからわかる、とかそんな感じだろうか。
デントくんは楽しそうに笑うだけで理由は言わなかった。訊いても答えてくれなそうだなと思ったから、私も訊くのはやめておいた。
夕方までの時間帯は、料理よりもスイーツを目的として来るお客が多い。
フルーツの準備は私が厨房でまともにできる数少ない仕事なので、ひたすらにフルーツを切り続ける。
「悪いミエル、生クリームの追加を作っといてくれるか?」
「え……! う、うん」
ポッドくんは出来上がったパフェをトレーに乗せて厨房を出ていく。
コーンくんは今フロアにいて、デントくんも別のデザートの盛り付けに追われているから、私に頼むしかなかったというのはわかるけど……、生クリームはトラウマだ。
しかしながら泣き言を言っているわけにもいかない。ボウルに生クリームの液体を入れ、バニラエッセンスを数滴たらす。そして、
「……あれ?」
次は絶対間違えないと心に決めて、調味料へ手を伸ばして、気づいた。
砂糖と塩がそれぞれ入っているケースの蓋に、小さいシールが貼られている。『Sugar』と『Salt』と、わかりやすくシールの色も異なったもの。間違うことなく『Sugar』を手に取る。
こんなの貼ってあったっけ……。少なくとも前に私が間違えたときはなかった。もしその時にあったとしたら、さすがの私でも間違えていない。つまりそれ以降に付けられたということだ。
デントくんが付けたのだろうかとそちらを見やる。三人の中では一番こういう細やかなことをしそうだ。視線に気づいたのか、デントくんがこちらを見た。私の手元に視線を移すと、ああ、と微笑む。
「それを付けたのは僕じゃなくてコーンだよ」
「え、嘘……」
「信用ないなぁ」
思わず出てしまった言葉にデントくんは笑った。何を言いたいのかが伝わったことにも驚く。エスパーか。
「信用ないのは僕の言葉? それともコーンのほう?」
「あ、いや、別に信用してないわけじゃないよ?」
ちょっと驚いたのだ。ポッドくんがやったとしたらもっと驚いたと思うけど。
「僕らは慣れてたけど、確かにそのケースって砂糖も塩もまったく同じだから、あのときミエルが間違っても無理はなかったんだよ」
「いや、でも間違ったのは私が悪かったから、甘やかさなくても……」
「そう? じゃあ余計だったかな」
「ううん……、すごく助かるよ」
甘やかしたというより、これはコーンくんが手助けしてくれたのだ。
俯きながらケースの蓋を開けて砂糖を入れる。
「仮に甘やかしだったとしても、ミエルには少しくらいそれに甘えてくれていいと思うけどね」
「甘えるとダメ人間になりそうな気がして」
「そんなことないよ。まあ、適度にね」
「ありがとうデントくん」
電動泡立て器を回すと、だんだんとクリームは固まっていく。固くなり過ぎもよくない。角が立つまでだよね。
「ミエル、フロア出てくれ」
「はーい」
「ネクタイが曲がってますよ」
「は、はーい」
コーンくんに指摘されてネクタイを直す。よく見てるんだな。コーンくんが一番細やかなのかもしれない。
そんな発見をしたことが嬉しくて、なんとなく笑顔になる。この笑顔のままで接客すれば完璧かなぁ、なんて考えつつポッドくん、コーンくんと入れ替わりで私はフロアへ出た。
*****
「ポッド、生クリームは残ってますか」
「ああ、さっき無くなったからミエルに追加頼んだ」
「は……? な、んでよりによってミエルに頼むんですか!?」
ミエルがフロアへ出て行った後、ポッドからの返答にコーンは驚愕した。
デントに鋭い視線を向ける。ミエルはデントとここにいた。止めなかったデントもデントである。二人揃って忘れたわけではないだろう、あの生クリーム事件のことを。
「さすがに大丈夫かと思ってさ」
妙に確信めいたポッドの言い方が、なんだか気に入らない。どうしてポッドがそこまで言えるのか。
「今回は間違えてなかったよ。気遣いもあったことだしね」
デザートの盛り付けを終えたデントもにこりと笑う。深く突っ込んだら負けな気がした。
「生クリームは冷蔵庫に入れたみたいだよ」
そう言ってデントは厨房を出て行った。見透かしたようなあの笑みは少々癇に障る。
だが癇に障るからと言って注文を放置するわけにもいかないので、言われたとおり冷蔵庫を開けてみて、目を見張った。
ボウルがあるだろうというのは当然わかっていた。そこからさらに、ホイップ用の袋に入れられ、あとは絞るだけの分があるとは思わなかった。
「ポッド、ホイップ用も準備しろと言ったんですか?」
「いや? 追加作っといてくれって言っただけだけど。……お、すごいな。気ぃ使って用意してくれてる!」
冷蔵庫を覗き込んだポッドは感心の声を漏らした。
生クリームを取り出し、コーンは少しだけスプーンですくって口へ運ぶ。程よいこの固さは合格。
「砂糖を入れ過ぎてると思いませんか?」
「どれ……あー、うん、でもそこまででもなくないか?」
「許容範囲ではありますけど」
皿に乗せたガトーショコラに生クリームを絞り、ミントを添える。
厨房を出る前に、もう一度生クリームをすくった。
許容範囲ではありますけど、やっぱり、
「……ちょっと甘過ぎますね」
最初のミエルは失敗ばかり。怒声を上げない日はなかった。
だからってこんなシールを貼るなんて、自分はいつから彼女に甘くなったんでしょうか。
変則的カプリッツィオ
───奇想曲