制服と戦闘服のワルツ

ハンドガンの手入れを終えて部屋の時計を見ると、二十二時になりそうなところだった。そろそろシャワーを浴びたり、寝る準備を始めたほうがよさそうだと、普段だったらそう思う。
けれど現在、士官学校はクリスマス休暇中だ。不規則な生活はよくないけど、休暇中くらいはいいかと多少浮かれたような気持ちが湧いてしまう。

つけていたラジオが時報を鳴らした。
休暇中の現在、寮にいる者は私も含めて多くない。隣の部屋の生徒もいないし、騒音になるだろうかと気を張らなくても良い状況だったからラジオをつけて過ごしていた。

夜の時間帯だからか、歌詞の入っていない穏やかな曲が流れている。どこかで聞いたことがあるな、と思った。
少しの間聞き入っているとその曲が終わり、また次の曲が流れる。違う曲だけど、曲の雰囲気は先ほどと同じだ。
ああそうか、と気が付いた。どこで聞いたことがある曲かを思い出した。
それがわかると同時に、体がそわそわと動いてしまう。

 

「……部屋着はちょっとな」

 

部屋の中で呟いて、少し面倒だけれども私はハンガーにかけていた制服に手を伸ばした。

今は教官の方々も休みというのもあって、寮監もいない。だからこの時間に寮の外に出るくらいはさしたる問題にはならない。
外に出ると息が白かったけれど、夜空は雲もなく晴れていてとても星が綺麗に見える。
アメリカも晴れているなら、ペンシルヴァニアがきっと喜んでいるだろう。故国に帰省した面々を思い出しながら寮の裏へと足を進める。

寮の窓の位置を気にしながら、窓から見えないような場所を選ぶ。ここならちょうどいいと思える所で、私は部屋から持って来たラジオの電源を入れる。ラジオからは再び美しい旋律の音楽が流れ出した。
ラジオを地面に置いて、す、と息を吸って気持ちを整える。

 

「一、二、三……、一、二、三……」

 

足元を見ながら、ラジオの曲に合わせて三拍子のステップを踏む。ステップを踏みながら体の向きを変え、ターンをする。曲に合わせてそれを繰り返していく。

ラジオから流れてくる曲は、社交ダンスでよく使用される曲だった。それに気が付いてなんとなく、嗜み程度にはわかる動きを改めてやってみたいと思ったのだ。今なら寮に人も少ないから、いい機会だと思えた。
久しぶりにやる動きなので最初はぎこちなかったけれど、段々とカンを取り戻してきたのか足元を見ずに動けるようになってきた。体も少し温かくなってきて、首に巻いていたマフラーを外そうかと一度ステップを止めた時だった。

 

「……何してんだお前」

 

完全に油断していた。自分の世界に入り込んでいた。そんな中で聞こえた声はあまりにも心臓に悪かった。
本当に驚いた時、人間は声を出せず、その代わり体が思い切り震えるらしい。

 

「ライク・ツー……!」

 

突然の声に驚いた私が思ったことは、どうして彼がここにいるんだろうとかそんなことよりも、まさかこの状況を見られたのだろうかという恥ずかしさのほうが勝っていた。

 

「え、なに、どうしたの!?」
「いやこっちのセリフ」

 

ライク・ツーは周囲を見回しながらこちらに歩いてくると、地面に置いていたラジオと私を交互に見る。

 

「こんな時間にマスターが? わざわざ制服着て外に行くのを見たもんだから? 何事かと思って来たわけだけど?」

 

わざとらしく強調するような言い方は明らかに、こちらに事情の説明を求めていた。

 

「あ……」

 

貴銃士と言えどたいていが部屋着で過ごすだろうこの時間。改めて見てみれば、ライク・ツーは戦闘服を着ていて、本体の銃まで手に持っていた。

加えて、戦闘服は着ているもののいつもなら身についているはずの肩と膝の防具や、腕に付けているリングはない。左手もグローブがない。ジャケットの前ボタンは開いているし、ネクタイもゆるゆるだ。腰に巻かれるはずだった上着も、本体を持っていないほうの手に鷲掴みにされていた。

 

「え、と……まずは、ごめんなさい……。危険なことは特にない状況です」

 

この時間に外へ出る私を見かけたライク・ツーは、何か危険でもあるのかと考えたのだろう。本体を装備して来るくらいには、重大と考えてくれたのだ。
その上、おそらく彼の美学に反すると思われそうな格好のままで来るくらいには、急いでくれていたらしい。
これは喜ぶべきか迷ったけれど、私は嬉しいと思った。わかりやすい言葉にはされないものの、ライク・ツーの心配を貰えたことが不謹慎にもとても嬉しいと思ったのだ。

警戒しながら私に近寄ってきたライク・ツーは、危険があるわけではないとすでにわかっていただろう。けれどもきっと、私の口から説明をしなければ納得してもらえなかった。
私からの謝罪を受けたライク・ツーは大きくため息をついた。

 

「……で? なんで寒空の中、一人でダンスのステップ踏むとか謎に虚しいことしてたわけ? さすがにわけわかんねぇんだけど」
「いや、特に深い理由があるわけじゃないんだけど……」

 

心配をかけてしまった申し訳なさも相まって説明しようとするも、理由がまったく大したことなさ過ぎた。口ごもりながら無意味に両手が空中をうろうろする。
ただ、聞いたことのある曲だったからそれに合わせて、かつて習った技術を掘り返したくなっただけだった。

 

「というかそもそも……お前、ダンスとかできるんだな」

 

そういえば今改めて気づいた、と言わんばかりで、ライク・ツーはかなり意外そうな表情をしている。とりあえず、話題が切り替わったことでこれ以上は怒られたりしなそうなことに安堵した。

 

「あ、うん、一応。ダンローおじ、……ユリシーズ少佐に勧められて、昔に習ってたことがあって」

 

嗜みとして習っておいて損はないだろうからと、当時のおじさんから手紙でそう言われたからというのがきっかけだ。

 

「個人的な話する時くらい、『ダンローおじさん』でいいだろ」

 

おじさん、もといユリシーズ少佐と関わったことがあるライク・ツーは、私の言い直しに対して少し柔らかく笑った。

 

「習った割にはあれだったけど」
「あれとはなんですかあれとは」

 

習ったことがあっても、技術を生かす機会はないまま士官学校へ入学した。
社交ダンスを当たり前に身に着けているような育ちのいい生徒もいるけれど、士官学校でも社交ダンスをする機会などはよほど特殊なイベントがなければ発生しない。だから技術が衰えていることは事実だけど、それを茶化されるのは少々納得いかなかった。

 

「しょうがないよ。練習ならともかく、本来はダンスって一人でやることじゃないんだから」
「ああ、まぁその言い分は認める」

 

今日は一人でステップを踏んでいるだけでも満足だったけれど、元々はパートナーがいなくては成り立たないのだ。技術を継続するためのハードルは高いと言える。

 

「そういえば……、ライク・ツーはできるの?」
「は……?」
「貴銃士特別クラスのカリキュラムって、社交ダンスもあったよね?」

 

人としての一般常識や教養なども組まれていると聞いている。それこそテーブルマナーや調理実習もあったはず。

 

「社交ダンス程度のこと、俺ができないと思ってんのか?」
「ライク・ツーのことだからできると思ってるけど、貴銃士たちの中でダンスできそうなひとって限られてそうで」

 

誰ができて誰ができないのかを具体的には知らないし、あの貴銃士はできてそうというイメージしかないのだ。

 

「舐めんな。余裕に決まってんだろ」
「あ、そうなんだ。さすがだね」

 

ライク・ツーは各科目も訓練も成績上位というのは知っていたが、どうやらダンスも問題ないらしい。
それに対して素直に称賛したつもりだったけれど、彼はどう受け取ったのか、何か気に入らないような表情を見せた。

徐に、ライク・ツーは持っていた本体をラジオの近くに置いたと思うと身なりを整えだした。
ジャケットのボタンは閉められ、手に持っていた上着は腰に巻かれる。
急にどうしたのかと驚いている間に、ライク・ツーは緩んでいたネクタイをしっかり締めて私を見る。

 

「わざわざ外に出た結果がお前の微妙なステップ見ただけとか癪だから、ちょっと付き合え」
「え……っ」
「流れてんのはヴェニーズワルツか。これでステップ踏んでたんならお前もできるんだろ?」
「あ、できる、けど」
「けど、なんだよ」
「や、ちゃんと組んで踊ったこと、あんまりないし……」

 

一人で動いて、先ほどようやくステップの感覚を取り戻し始めたばかりだ。そんな状態で踊ったって綺麗には踊れない。
言い訳をしたくなったけど本当は、突然のことに驚いて、そして勝手に始まった緊張をごまかしたいだけだった。
遠慮とも謙遜とも違う私の言葉に、ライク・ツーはなんてことないように笑った。

 

「ダンスは一人でやることじゃない、ってさっき自分で言っただろ。俺がちゃんとさせてやるよ」

 

準備運動のようにライク・ツーは腕を前に伸ばし、軽く肩を回した。

 

「ダンローおじさんが勧めてくれて覚えたんだろ。せっかくなら、もう少しましな仕上がりにしとくほうがいいと思うけど」
「わかった! わかったよ!」

 

おじさんからの支援で習ったことを無駄にするな、というような言い方をされてはさすがに逃げきれない。やけ気味に返事をしてしまう。
ちょっと待って、と首に巻いていたマフラーを外してライク・ツーの本体の下に置いた。
落ち着かせるように息を吐いてから向き合うと、ライク・ツーの左手が差し出される。グローブのされていない綺麗な手だ。

 

「じゃ、一曲よろしく、お嬢サン」

 

そう言いながら微笑むライク・ツーのことを、とても綺麗だと思った。
同時に、ちょっとばかり芝居がかったような言葉に思わず笑ってしまう。でも一瞬にして緊張も溶けてしまったようで、私は躊躇いなく彼の左手に自分の右手を乗せた。

 

「喜んで」

 

型の通りに組んだ瞬間、ラジオからまた次の曲が始まる。
リズムに合わせてステップを踏んで、ターンをして。

なんだ思ってたよりできてるな、とでも言いたげにライク・ツーは笑うので、それが自信に繋がった。
華やかなドレスやタキシードでもなければ、美しいホールでもない。

それでも、よければ二曲目以降もと思うくらいには、ライク・ツーとこうして踊り続けていたい。