コーンだけでなく、デントとポッドもミエルの話題を出すことはなかった。
出してはいけないような気がしていた。腫れ物に触るような感覚があった。あまりにもミエルが唐突に消えてしまったからなおさらだった。
お客から「ミエルくんはどうしたのか」ということを訊かれたりする以外は、兄弟間でミエルの名前は出ない。最初の頃は、よく客から質問を受けたがそれも段々と無くなった。
それでもだ。いったい何があったのか。今はどこにいるのか。どうしているのか。
それが気にならないと言うのは、見え透いた嘘にしかならないのはわかっていた。だからあえて、ミエルのことを話題にしたくないのだ。
単純思考のくせに、いったい何を考えて出て行ったんですか。
そんな風に内心で悪態を突くしかできない自分が情けなくも思った。
──少なくともあの日の夜、唐突にそれを決断したのではないんでしょう?
事前に出ていく準備をしていたのは確かだっただろう。
あの日は、仕事終わりにミエルはデントとコンビニへ行った。ミエルはATMに用があってお金を卸したとデントは言っていた。ポケモンフーズを買うためとかなんとか言っていたらしいが、今はそれが嘘だったとわかる。
実際には、残りの借金をすべて返済するためだったはずだ。あれだけの残りの金額をミエルがすんなり財布に入れていたとは思えなかった。
ミエルがいなくなったとしても、何の関係もなく日は経っていく。
気づけばミエルがいなくなって五回、月のカレンダーがめくられた。それだけ過ぎても、何かがあるわけではなかった。
だがコーンは、定期的に元物置の掃除をした。掃除をするのは悪いことではない。物置とはいえ、掃除をして何が悪いのだ。そんな言い訳を誰かにしていた。
*
朝起きて、兄弟が朝食を作ったりしている間、コーンは外へ出て店前の掃除をしていた。風に吹かれて落ちた葉が溜まってしまうのだ。
道行く人たちも、これから会社や学校へ向かうのだろう。いつもの見慣れた光景を見ながらコーンはほうきを動かす。朝食を終えたら営業開始の前に、おすすめを書いたメニューボードを外に出さなくては。
そろそろ朝食の用意も終わっただろうかと、入り口前を掃き終えて裏口へ向かおうとした。
「おはようございます。今日のおすすめメニュー、何ですか?」
こちらに声をかけたのだとわかる声に、コーンは振り向こうと首を動かす。
「すみません、営業開始はもう少しあ、と、」
最後まで言い切ることはできなかった。喉が押し潰されたように熱くなった。
そこにいたのは少女だった。一目で女子だとわかったのは、目の前の人がそれだとわかる容姿をしていたからだ。服装や髪の長さ、顔つき。そして何よりコーン自身が、最初からこの人のことを女子だとわかっていたからだった。
「早速ですが、本題に入りましょうか」
「はい、すみません……」
久方ぶりに会ったわけだったが、私に向けられる鋭い視線を前にしては感動や喜びなんてものは引っ込んでしまった。
外で私を見たコーンくんは大声こそ出さなかったが、有無を言わさぬオーラでお店の中へと入れられた。
腕組みをして椅子に座るコーンくんと向かい合うと、恐ろしくて顔が上げられない。きっと人を殺せそうな目をしているに違いない。目からビームが飛んでくるに違いない。
ここに初めて来た時もこんな状況だったなと思い出す。しかしその時と違うのは、こちらに鋭い視線を向けているのがコーンくん一人ではないということだ。
「久しぶりに会えてすごく嬉しいけど、」
「こっちも訊きたいことがあるんだよ、ミエル」
デントくんとポッドくんまで完全に向こう側に回っている。これはまずい。この空気をどうにかできないかと思ったが、今の私にできることは体を縮めて彼らの視線を受け止めるだけだった。
「今までどこに行ってたんだよ」
ポッドくんの問いかけは怒っているというより、疑問を解決したい気持ちが強いようだった。
そう訊かれるのは当然のことだ。彼らに会いにくればきっと訊かれるだろうと。いつまでも縮んでいるわけにもいかないので、下がっていた顔をどうにか上げて三人と向かい合った。
「えっと、ライモンシティに、戻ってました……」
答えると、三人は少し驚いたような表情だった。私の出身がライモンだということはみんな覚えていたのだろう。決して今まで放浪していたわけではない。それに、
「姉さん、ここに来たでしょう?」
*****
姉のことは昔からすごいと思っていた。
かわいい、と男女問わず褒められていて、でもそれを鼻にかけることもなく、誰にでも分け隔てなく接していたし私にも優しかった。
ポケモンの所有が許される年齢になってからは、そこにも類稀な才能を発揮した。
成長してからはかつてのかわいらしさは美しさに変わり、今では大人気のモデルを務めているほどだ。加えてポケモントレーナーとしての実力も認められ、現在は現役のジムリーダーである。
そんな姉さんを素直にすごいと思っていたし、尊敬もしていた。誇りに思っていた。
しかしながら気づいた。姉さんが凄ければすごいほど、それに比べて自分はあまりにも平凡であることに。
姉妹なのだから全く似ていないというわけではないが、姉さんのような飛び抜けた容姿など持っていなかった。
私も当然のようにポケモントレーナーとなったが、ジムリーダーに届くような実力などなかった。目と目が合ったらポケモンバトル、そんな風に始まる道端のバトルであっても負けることなど普通だった。
幼い頃は当然のように姉さんのことを自慢していた。私のお姉ちゃんはすごいでしょ。あの人は私のお姉ちゃんなんだよ。今思うととても愚かで馬鹿らしい思考だった。私にはそんなことを言う権利などなかったのに。
成長して、ようやく気付いたのだ。自分の平凡さと、それを姉と比較する周囲の目に。
たいていの人は、モデルでありジムリーダーでもある姉さんに、私という妹がいると知ると期待外れというような顔をする。なーんだ、あの人の妹っていうからどれだけ素敵ですごい人かと思ったのに。そんな表情を。
よくある話だ。優秀なきょうだいと比べられる平凡な人間の話だ。
だが私は、昔も今も姉さんを嫌っているわけではないし、今だって仲が悪いわけでもない。ただ私が、周囲からの比較に勝手に苦しんでいただけのこと。
それでも少しだけ嫌だと思っていたのは確かだ。姉さんと同じ金髪が。姉さんと同じでんきタイプのポケモンが。
だから髪は色を変えた。でもポケモンたちは何も悪くない。一度でも嫌だなどと思ってしまったことを猛省し、ごめんねとポケモンたちに謝った。そもそも、姉さんがでんきタイプのエキスパートとなる前から私はでんきタイプが好きだったのだから、そこは関係がない。
それでもやはり、ライモンにいるのが苦しかった。姉さんと比べられるのが嫌だった。秀でたものを何も持たない、自信の持てない自分が嫌だった。
そんな情けない理由から、特に明確な目標があったわけでもないままに、私は逃げるようにライモンシティを出て旅を始めた。
旅は良いものだった。道行く人、出会う人たちは私がライモンジムリーダーの身内であることを知らない。こちらから明かすことなどしなかったし、その事実さえなければ比較されて苦しむこともない。
その代わり、貯金も少ない私は道中で貧乏生活を余儀なくされてしまったが。日雇いバイトやファイトマネーでなんとかやりくりできたし、なによりポケモンたちが一緒にいてくれるから、旅としてはそれなりに充実していたと思っている。
ついでに、何か自分にできるような、自信を持てるようなものを一つでも見つけられたらいいなと思っていた。
だが、そんな甘ったれた旅をしていた罰が当たったのか、ある日ついにわずかな貯金と所持金は底を尽きた。
八日間食事を摂れず、しまいには何の呪いか、ある日から私は多額の借金を抱えることになってしまったのである。
例外的カノン
───追奏曲