たくさんの中の一人

呼び出しを受けたと思ったら、一枚の紙を渡された。

 

「コラール中尉、急で悪いが、今夜諜報に出てもらえるかい」
「はい。……それは構いませんが、急ですね」

 

軍に援助をしている者らが、レジスタンスに情報を流しているという話があったらしい。それを確定させるための諜報であるという。

それは小耳に挟んで知っていたが、私ではない別の諜報員が入ることになっていたはずだ。
そもそも、私は現場の戦闘が主であって諜報向きではない。嗜み程度のスキルはあるが、専門訓練を受けた諜報員のほうが遥かにいいだろうに。

なぜ私にその役が回ってきたのだろう。それが顔に出ていたのか、上官の男性は苦い顔をしてこちらを見た。

 

「今回は、とあるホテルで『会』が開かれる。場所と雰囲気に合わせて、特別幹部のミカエルに出てもらうことになっているんだが……ハークスからの依頼でね。君を共に向かわせて欲しいと言われた」
「なぜ、私に?」
「……ミカエル本人からの要望があったようだよ。ピアノを弾く時間がとられるのは困ると渋っていたらしいが、希望の付き添いがいるならその人物を付けると言ったところ、君の名前を出したそうだ」

 

思わず目を瞬いた。たしかに特別幹部であるがミカエルとはそこそこ交流があった。
それというのも私が、ミカエルと同じ立場にあるエフと関わりがあることが大きいだろう。

別にエフをはじめ、彼らと特別な関係であるわけではない。
しかし、渋っていたミカエルが私の名前を出し、私が付き添えば諜報に行くと言っていることには驚いた。

手元の紙に目を移す。
今夜の『会』が行われる場所、時間、その他の最低限の情報が記されている。
ミカエルの出で立ちや、育ちの良さを伺わせるような雰囲気が今回は好都合なのだろう。

彼の視界が塞がっているのは『全盲なので』という理由でどうとでもなる。むしろそのような上流の人間が集まる場所なら、不躾に個人の話に触れてくることもないだろう。
この人は目が不自由なのだな、と勝手に察してスルーしてくれる。そしてそこに『全盲の彼をサポートする付き添い人』として私が並べば違和感もなくなるというわけだ。

 

「君は、随分と彼らから個別に認知されているようだね」

 

上官の口調がわずかに変わった気がした。
反射的に、全神経を集中させる。ゆっくり顔を上げると、上官は鋭い目でこちらを見ていた。

 

「ミカエルに限らず、ファルや、エフもそうだ。特にエフの上官から君は重宝されているそうじゃないか。彼と組んでの作戦参加も多いね」
「……はい。何か私に問題がありましたでしょうか?」
「いいや? 特別幹部らの扱いが多少なりともやりやすくなるという話を聞いているよ。わたしとしても部下が評価されて嬉しい限りだ。君を、特別幹部の補佐にするのはどうかという話も出ているそうだよ。いや、素晴らしい話じゃないか」

 

嬉しい限り、素晴らしい話と言いつつ、その笑顔は本心ではない。むしろ、

 

「大した階級でもない君ごときが、特別幹部やそれに準ずる上からの評価を受けているんだからね」

 

憎悪に近い、嫌味の意味を多く含んだ笑顔だ。
……そういうことか。

私はどうやら、自分で意図しないところで特別幹部らの、その肩書通りの『特別』な地位による庇護を受けていたらしい。

特別幹部たちが個別に私の名前を出しているのなら、良くも悪くも他の兵や上からの目を集めることになる。
今回はいい意味での評価を受けていたようだが、目の前の男からはやっかみを抱かれているのは一目瞭然だった。

 

「気分はどうだね? 特別幹部や上からの評価を受けたのは。どんな手を使ったのか、ぜひとも知りたいところだ」

 

先ほどまでの人当たりの良い表情は一変し、男は侮蔑するような目で笑みを浮かべている。

 

「君の見かけによらず、生まれ持った女という性をうまく使ったのかな。特別幹部らが男ばかりで、さぞ好都合だったことだろう」

 

……ああ、反吐が出そうだ。
私が彼らに誘惑を仕掛けたと、そんな低レベルな評価の上げ方をしていると。そう言っているのだ。
しかしまぁ、妬みを抱いた相手のことはどうしても悪い目線でしか見ることができない。それは人間の性だ。私も理解できる。

 

「そこまでおっしゃるのなら、」

 

ゆっくり口元を上げて、微笑んだ。

確かに私は、特別幹部の彼らと個人的な世間話をするくらいには交流がある。理由や原因がどうあれ、そこは変わらない。
それによって根も葉もない噂ややっかみを受けるのもある意味で必然かもしれない。
気にならないと言えば嘘になるが、そんな奴らには言わせておけばいい。

だが目の前の男のように、そこまでわかりやすく喧嘩を売って来るのなら、

 

「ならば私を、特別幹部の彼らを動かすためのバイパスとして利用するくらいの知恵を働かせてはいかがでしょう?」
「……なに?」

 

──買ってやるから、喧嘩は最後まで売ってこい。

 

「あなた様から特別幹部らにご要望があるならば、私からも彼らにお伝えいたしましょう」
「……ほう?」

 

男は品定めするように目を細めた。

 

「……しかしながら、私が何かを言ったところで彼らがやすやすと動くなんてことは思いませんように。彼らは私を『極端に悪く思っていない』というだけであって、手放しで慕ってくれているわけではありません」

 

世界帝の直属なのですから、あなた様の言う『私ごとき』の一言で、彼らが動くわけありませんでしょう?

私が彼らに誘惑を仕掛けていると思っているにしろ何にしろ、相手にとっても悪い話ではないだろう。
しかしだ。私が言えば彼らが簡単に動いてくれると思っているのならば、馬鹿げた妄想というものだ。

 

「お話しが以上であれば、今夜の準備もあるので失礼させていただきたいのですが。……取り急ぎ、本日同行するミカエルへ要望があればお伝えいたしますよ」

 

にこりと笑って見せると、男は少し考える素振りをしたが厄介払いをするように手を振った。

 

「……必要があればまた呼ぼう。退室したまえ」

 

承知いたしました、とこれ見よがしに丁寧にお辞儀をしてやった。
部屋を出た廊下にあまり人はおらず、自分の靴が床を鳴らす音が妙に響く。

恨みはしないが、まったくもってミカエルも面倒な場面で私の名前を出してくれたものだ。

特別幹部という枠が設けられた当初はともかく、今の私は彼らに悪い感情はない。
しかし一つだけ確かに言える。私が彼らに及ぼす影響なんてものは、彼らがこちらに向ける感情なんてものは、なんの特別でもないということだ。

とうに知っている。
他の兵よりは個別の付き合いがあるというだけで、それを除けば私は一端の軍人に過ぎないのだから。それを思って、小さく自嘲した。

さぁ、今夜の準備に、化粧くらいはしなくてはならないか。

 

 

※そしてこっちになる。