それの始まりのように

「だめだ」
「嫌です」
「だめだと言っている」
「わたしは嫌だと言っています」

 

先ほどからアーロン様の青い目はわずかに吊り上がり、厳しい視線を向けてくる。アーロン様のそんな表情は今まで見たことがなく思わず弱気になってしまうが、逸らしたら何か負ける気がしてわたしも真っ向からその視線を受け止める。

そこまでして、ようやく事態は均衡を保っている気がした。

 

 

 

「最近、リーン様は忙しくしていらっしゃるようだな」

 

いつものようにお茶の時間を過ごし、カップやソーサーをバスケットに片付けておいとましようとしていた時だった。

たしかにここ最近、城内の中心部は非常に慌ただしい。おそらくアーロン様もその理由には察しがついているのだろう。
わたしもリーン様のお傍にいる時間が多いため、これからのロータに何が起こるかは知っている。
まだ正式に発表されてはいないが、わたしは小さく頷いた。

 

「……ロータで軍を設立するようです」
「軍を……?」
「もちろん、戦争に参加するためではありません」
「自衛のためか」
「はい。まだ公表されてはいませんので」
「ああ、わかっている」

 

口に人差し指を持っていき内密に、ということを示す。
その次に、どうして自分がそれを言ってしまったのかはわからない。

 

「わたし、そこに入るつもりです」

 

お茶を入れてたティーポットを片付けながら口にした。
特にそれを言ってどうなる、などを考えていたわけではなかった。ただその話題が出たので、その延長線のつもりで。
返答がなく静かになったことを不思議に思って視線を動かすと、アーロン様は呆気にとられたようにこちらを見ていた。

 

「そこ、というのは……軍へか?」
「そうですが」

 

そんなに驚かすようなことを言ってしまったのだろうか。

 

「賛成はできないな」

 

次はわたしが呆気にとられた。

 

「軍なのだろう? 女性が入るべき所じゃない」

 

もっともな意見ではあるけれど、その言い方にはなんだか少しカチンとくるものがあった。

 

「賛成“は”できないということは、反対もしないということですよね?」
「では反対だ」
「そうですか。一意見として参考にさせていただきます」
「だめだ」
「……何がです?」
「軍に入ることが、だ」
「嫌です」

 

そして冒頭へと続くのである。
なぜアーロン様はそこまで反対するのだろう。もはや反対を通り過ぎてだめだとまで言っている。

 

「なぜ反対なさるのです?」
「軍だぞ。危険だ」
「百も承知です」
「訓練で付いていけるとは思えない。特別扱いしてもらえるとでも思っているのか?」
「そんな甘えた考えを持っていたなら、軍に入ろうなどと最初から思いません」

 

アーロン様は少し言葉に詰まった。

 

「なぜそこまでこだわる。入ったとしても身体的に厳しいことはわかるだろう。意地を張るな」
「張っていません」
「そう言う時点ですでに張っているだろう」
「……そうですね、じゃあ張っています」

 

はじまりの樹に一人で行くうんぬんでむきになった時のように、反発していることはわかっている。以前は大人しく引いた。アーロン様の言うことは正しかったし、わたしも自分の考えが子供っぽいというのは事実で反省もした。

しかし今回はそうはいかない。わたしが大人しく引き下がってアーロン様に従う理由はない。ましてや、軍に入るのがだめだという指示になど。
アーロン様の言うように意地は張っている。だがこれはわたしがわかりました、と言うことではない。意地は張り通すことに意味がある。それならばいっそ認めてしまえ。

 

「……とにかく、考え直すべきだ。自衛のためとはいえ、軍に入ってどうするつもりだ」
「自衛のためだからこそです」
「だからなぜ、」

 

言葉を遮るように音を立てて椅子から立ち上がった。

 

「わたしのことはわたしが決めます! アーロン様に言われることではありません!」

 

バスケットを掴んで「失礼します」と、アーロン様のほうを見ずに足早に扉へ向かう。
アーロン様が弾かれたように目を見開いていたのを、部屋を出る直前に意図せず視界の端が捉えてしまっていた。

 

『エストレア様?』

 

部屋を出て少しした所でルカリオと鉢合わせた。ウインディとのいつもの手合わせが終わって部屋に戻るところだったのだろう。
わたしの表情を見て不思議そうな顔をした。きっと今のわたしはひどい顔をしている。

 

『どうなさいました?』
「ううん、なんでもないよ」

 

ひとまず、なんとか笑顔を貼り付けてそれだけ言う。
そんなわけないと思っているだろうけど、ルカリオは察しがいいし、彼はわたしを目上と認識してくれているのでそれもあって無理に聞き出そうとはしないはずだ。
わたしはルカリオより上の立場なんかではないのに、さりげなく上下関係を盾にして追究を逃れようとしているわたしはずるい。

 

「今日の夜もよろしくね」
『は、はい』

 

会話を打ち切ってその場を後にすると自然と足が小走りになった。どうして、アーロン様はあんなに反対したのだろう。

 

『私は決してあなたを否定しない』

 

以前、剣の朝稽古の時にアーロン様と会った日に言われたことを思い出した。そしてどうして自分があそこまで怒りを覚えたのかの理由がわかった。

一言で言えば『アーロン様に反対されたから』だ。
やたらと反対されたことに対してだけではなく、反対されたことそのものにわたしはショックを受けたのだ。あの日に否定しないと言っていたのに、とさっきもどこで思っていた。だが、考えてみればアーロン様の言うことも間違ってはいなかった。

わたしは甘えていたのだ。
アーロン様は無条件でわたしを否定せず、受け入れてくれるのだと思っていた。だからこそこれだけショックを受けている。
それでも、わたしは決して中途半端な気持ちで軍に入ることを決めたわけではない。考え抜いた上での覚悟で決めたのだ。それをあれだけ否定されては、その分ショックも大きい。

でも今は、それはもういい。アーロン様と喧嘩してしまったような状況のほうが問題の重要度が大きい。
言い争いの内容なんかよりも、言い争いをしたという事実が、とても重かった。