最近のわたしはおかしい。
自覚しているくらいだから、きっと相当だ。外面がおかしいわけではないので他の人が見たら普通なのだと思うけれど。
アーロン様を見ると、なんだかざわざわするようになった。
嫌な感じはしない。でも落ち着かない。きっと今日も励んでいらっしゃるのだろうな、とか。そろそろ城に戻ってくる頃だろうな、とか。
アーロン様のことを考えているのが多くなったのはきっと気のせいではない。
「エストレア?」
「あ、はいっ。お呼びでしょうか」
「お呼びだけれど……どうかしましたか?」
「え……い、いいえ」
リーン様の言葉に、止まっていた手を動かしてケーキを切る。今は仕事中だ。どうして今ここで思考に入った。自分を詰りながらお茶を入れ、テーブルへ置く。
「エストレア、そこにお座りなさい」
「あ……はい」
座りなさいと言われるのはたまにあることだけれど、いまだに少しびくびくしてしまう。ひとまずそれに従い、勧められた椅子に座る。もしかして、
「……お口に合いませんでしたか?」
「いいえ、そういうことではないの。お茶の時間なのだから、たまにはお話しをしましょう?」
「は、はぁ……」
お茶やお菓子が口に合わなかったのかもしれないという予想は違ったようで安心したけれど、こんな提案をされたのは初めてだ。
「考え事が多いようですね」
ぎくりとした。わたしはそれほど隠し事が下手なのだろうか。もしくはリーン様が聡いのか。
「申し訳ありません……、自分でもよくわからないのです」
「そう。何について考えているの?」
アーロン様のことを、と言ったらおかしいと思われるだろうか。
でも、リーン様は今日は何のお茶を飲むご気分だろうとか、きっと会合でお疲れだろうな、とか。リーン様のことを考えていることだってままあるのだから、特定の誰かのことを考えていてもそれほどおかしくないのかもしれない。
「アーロン様のことを考えてしまうのです」
「……え?」
何について考えているのかと訊かれたから、それに答えただけだった。自分の答えに何の疑問も持たなかった。だから、ぱちくりと目を丸くしているリーン様の反応がよくわからなかった。
「それは、どういう……?」
「どう、とは? やはりおかしいことでしょうか」
わたしの返答に、リーン様は何かに気づいたように微笑んだ。
「病気かもしれませんね」
「え!? わたしが……?」
「大丈夫、命に関わるものではありませんよ。それよりエストレア、今からわたくしの質問に答えてくれますか?」
「は、はい」
突然の病気告知に嫌な汗が出たが、リーン様の様子を見るにたいして問題になるわけではないらしい。悪い冗談だろうか。
リーン様はお茶を一口飲むと、わたしに正面から向き合った。質問とはなんだろう。
「では一つ目。わたくしのことを好いてくれていますか?」
「もちろんです。昔から、ずっと敬愛しております」
「よかった」
少し身構えていたけれど、あまりにも当然の答えしか出ない内容に拍子抜けしてしまった。
今でこそ「敬愛」という言葉を知っていてそれを使うことができる。砕けた言い方をすれば、リーン様を好いている。それがわたしの忠誠の源だ。
「では二つ目。城の皆、他にウインディやルカリオのことは?」
「当然好きです。皆、大切な方ばかりです」
城で働く見知った人たちも、ウインディもルカリオのこともとても大好きだ。リーン様は頷く。
「では、三つ目。アーロンのことは?」
「……え?」
わずかな体の震えが伝わったのか、腰に携えている剣が小さく音を立てた。
目の前の主人は相変わらず微笑みを浮かべていて、その表情から何かを読み取るなんてことは、今のわたしにはできはしない。
今の流れで来れば、好きかどうかという意味でリーン様は質問している。
どうしてここで、アーロン様の名前が出てくるのだろう。どうしてわたしは、前二つの質問と同じようにすぐに答えることができないのだろう。
「嫌いですか?」
「いえ、まさか。もちろん好きです」
「そう。でもそれは、」
──どういう意味で?
リーン様の言葉を聞いてどすりと、胸に何かが刺さったような。思わず胸に手を当ててしまったけれど、当然そんなものは無く、痛みがあるわけでもない。
好きか嫌いかと訊かれれば、当然迷うことなく好きと答えられる。そこまではいい。わたしの好意はどのような意味を持っている。
──頭のてっぺんから、下へと押されている気がする。
目上の人として、波導使いの師として。
仮にそうでなくとも、その人柄に対して敬意を持っている。リーン様に向けるそれと同じように、敬愛している。
──足を掴まれて下へ引っ張られている気がする。
同じ城に仕える者として、茶飲み仲間として、ウインディやルカリオも含めた友人として、絆があると思っている。これはきっと友愛で。ならば。
アーロン様が孤独になりそうだったとき、あんなにも辛くなったのはなぜ。
はじまりの樹へ行くという約束がとても嬉しかったのはなぜ。
訓練期間中、あの男子の発言に殴るほどに怒りを覚えたのはなぜ。
──下へ押される、下へ引っ張られる。
一緒にいることを、とても幸福に感じるのはなぜ?
──落ちる。……落ちる? 沈む? そんなことはもうどちらだっていい。
「好き、です」
口から漏れた言葉は間違いなく自分の声で発せられたものだった。
それが自分の耳に届くと、体の芯がぞくぞくと震えるような、そんな感覚に陥った。
好き。そうか、好きなのだ。俯いたわたしの頭をリーン様はそっと撫でた。
「決して悪いことなどではありません。その感情を大事になさい?」
「……はい」
下がってよろしいですよと言われ、ほぼ上の空で返事をして部屋を出た。人がいないのをいいことに、壁に背中を付けて呆然としてしまう。
敬愛も友愛も、好きという根元は同じだ。だが同じ根元ではあるけれど、芽が出た先はまったく違う。
……なるほど。病気とはよく言ったものだ。
あの方を恋い慕うこと。これが、情愛で人を好きになるということか。