I put on end to my world till this day.

その日、リーン様に部屋へ来るよう呼ばれた。

部屋の前で身だしなみを整えてからノックをする。名乗る前に「お入りなさい」と聞こえたので、扉を開ける。
窓の外を眺めていたリーン様が振り返った。昔から変わらぬこの方は、いつまでも美しいと改めて思う。少し距離を取って、背筋を伸ばす。

 

「お呼びのとおり参りました」
「ええ」

 

リーン様の表情は険しい。

 

「あなたを呼んだのは他でもありません」
「はい」

 

その視線を真っ向から受けるのは苦ではない。苦になるのは、これからだ。

 

「エストレア、あなたをオルドラン城から解雇いたします。即日、この城から出ていきなさい」

 

リーン様の表情は変わらない。わたしも表情筋は動かない。

 

「……はい。仰せの通りに」

 

やはりそうだった。わかっていた。
驚くこともない。わたしは胸に手を当てて深く頭を下げる。

 

「長きにわたってお傍にお仕えできたこと、心より誇りに思います。ロータに未来永劫の安寧を、……リーン女王陛下」

 

もう、今までのようにリーン様と呼ぶことはできない。してはいけない。これは自分なりのけじめだ。
顔を上げると、いつの間にか距離を詰めていた女王様に強く抱きしめられた。

 

「エストレア……、どうか、幸福があるように」

 

女王様はわたしよりも背が高いこともあって表情は見えない。声が震えていらっしゃるのはきっと、きっとわたしの気のせいなのだ。
その優しさに少しだけ甘えて、目を閉じる。許されるのなら、最後にもう一度だけ呼ばせて欲しい。

 

「はい。ずっと敬愛しております。リーン様」
「……ええ、受け取りました」

 

わたしを離したリーン様は何事もなかったかのように、いつも通りに微笑んだ。わたしも笑い返す。

 

「それでは、失礼いたします」

 

リーン様、……いや、女王様が頷いたのを見て扉へ向かう。
再び深く頭を下げてから部屋を出て、静かに扉を閉めた。目元をこする。
扉を閉める直前に見えた女王様が涙を流していたなど、見間違いだ。

 

 

もうすっかり馴染んだ広い部屋に戻る。

一つの箱を開けて、しまっていた服を取り出す。白いシャツを頭からかぶり、シャツとセットである白のズボンをはく。
さらにもう一つの箱を開けると、深い青色の小物それぞれが姿を見せる。その中でも最も存在感のある、甲冑の役割を果たす装具を身に付ける。
かつて体に馴染んだそれの肩の留め具を留める。

 

「軽い……、ん? うん、軽いよね」

 

軽いはずのそれが少し重たく感じたのは、わたしの体が鈍ったせいだろうか。

 

「……」

 

無意識に腕に目が行っていた。めくれていた袖を戻して腕を隠す。
ブーツを履いてしっかり紐を結ぶ。こういう履き物も、もう慣れた。腰にベルトを着けて甲冑を体に固定する。
鏡に映るわたしのその姿は久しぶりだった。

あの日以降、赤と緑の両国が戦力を放棄するにあたり、条約の仲介を務めたロータも直後に軍を解体した。もう兵士も剣も必要なくなった。
それ故に、この服を着ることは二度とないと思っていたが、オルドラン城で唯一わたしの物と断言できるこれらは、置いていきたくない。銀朱色の布を取り出し、首を隠すように巻き付ける。

 

「やっぱり、案外似合ってるかな」

 

独り言と共に鏡の中のわたしは笑う。最後に剣を取り出し腰に差す。
あの方が使っていた頃と変わらない部屋をぐるりと見渡す。この部屋に敬意と感謝を込めて、丁寧に頭を下げた。

庭を歩いて城門へ向かい、そこをくぐればもうわたしは城とは何の関係もない人間になる。
躊躇なくそうするつもりであったのに、……どうしてここにいるのか。
城門にはウインディがいた。わたしを見つけるとゆっくりと近づいてくる。

 

「どうしたの? 食事は他の人にお願いしてあるから、行っておいで」

 

ウインディは首を横に振った。

 

「……わたしはもうあなたのお世話係じゃない。ウインディとは関係がない人間なの」

 

いつものように撫でてやることはしない。
その横を通り過ぎて、城門を越えた。これで本当に、城とは無関係だ。
その場で振り返るとウインディはまだそこにいる。見送ってくれるのならばその厚意は受け取ろうと思ったのだが、なぜかウインディはこちらに向かって歩き出した。

 

「ちょ……っと、何してるの!」

 

慌てて止めるが彼はお構いなしで止まろうとしない。

 

「だめ、ウインディ! 止まりなさい!」
「ガウッ!」
「っ!?」

 

そう言ってもウインディは止まらず一声鳴く。その返しに反論ができなかった。城とは関係の無くなった今のわたしに、自分がそれに従う必要はないと言う。
大きな声を出したせいか喉が痛む。そっと首に手を当てた。

 

「ウインディ……」

 

そのまま城門を越えたウインディはわたしの横に並ぶ。

 

「ガウ」

 

指示をくれと、一言だけ言った。
『城とは関係のないわたし』に従う理由はないが、今は再びわたしに従う立場にあるというのか。つまりウインディは、自分も城と関係なくなったと言いたいのか。

 

「なんで……」

 

いつの間に、そのような言葉のあやを使うようになったのだろう。鋭くわたしを見るウインディに、小さく笑った。

そうか。ウインディは“オルドラン城”ではなく“わたし”に仕えてくれているのだ。
そのような素振りは昔からあったが、それは自惚れになると思っていたので考えないようにしていた。
わたしの元主人の女王陛下や、師でもあったあの方のように、誰かを従える特別なものなどわたしは持っていないのに。ウインディの首に顔を押し付けた。

 

「……ありがとう、ウインディ」

 

それでもあなたはわたしを選んでくれるのか。

オルドラン城を見上げた。わたしが歩き出すとウインディもそれに続いた。
湖上にそびえるオルドラン城から橋を渡り、町とは反対側の森の入口へ出る。
遠くには世界のはじまりの樹が見えている。目的地はウインディもわかっていると思うけれど。

 

「ウインディの足でどのくらいかかる? ……できれば三日以内に着きたい」
「ガウ」
「え、明日には着くの? そう……。それなら、たぶん大丈夫かな」
「……」

 

ウインディは何も言わず体勢を低くした。わたしはその背に跨り、クリーム色の毛をいつもの力加減で掴む。

 

「じゃあ、はじまりの樹までお願いね、ウインディ」

 

ウインディは頷いてゆっくりと走り出し、徐々に速度は上がっていく。
我慢していたつもりはなかったが、急に涙が出た。速度のせいか、頬を伝いかけた水は風に飛ばされて行く。

あの日以来、泣いたことはなかった。あの方を想って泣くことはしなかった。
だがこれは違う。今まで自分が生きた場所である、城を離れることに対する涙だった。

未練がましく振り返ることはしないが、誰より敬愛した主人や、あの方との出来事を想って泣くことは、許されて欲しかった。

 

(今日までの自分の世界に終止符を)

そして向かうは、世界のはじまり。