箱の中身の解放

※固定名モブキャラが出ます。

 

 

アーロン様のことを好きとわかったのは、良いことなのか悪いことなのか。少なくともリーン様は、悪いことではないと言ってくださったけど。

それ以降お茶を届けに行く時は、とにかく動揺しないように努めていた。とはいえ今日もまたアーロン様の部屋へ向かう中で、ついぼんやりとしてしまう。
自覚した途端に、何気ないところまでも今まで以上に眩しく見えてしまうのはなぜだろう。人を好きになるとはそういうものなのだろうか。

 

「エストレア」

 

今までどんなことを話していただろうかと、突然わからなくなったりもする。いつも通りとはどういう意味だったか。

 

「エストレア?」
「は、はいっ!?」

 

後ろから突然肩に手を置かれて驚いた。振り向くとアーロン様も驚いた様子でこちらを見ていて、それでさらに驚いた。お茶の入ったバスケットを落としそうになる。

 

「すまない、驚かせるつもりはなかった」
「あ、い、いいえ」
「一応、声を掛けたんだが」
「え……! そうでしたか……申し訳ありません」

 

失態を犯してしまった。声を掛けられていたのなら、わたしはその一度目を無視していたことになる。

 

「少し考え事をしてしまっていて」
「何かあったのか?」
「ええ、まあ……」

 

わたしにとってはそれはそれは盛大なことが起こっている。アーロン様のことです、とまさか本人を前にして言えるわけがない。
幸いアーロン様はそれ以上追究してこなかったので、適当に話を逸らす。後に付いて部屋に入れてもらい、お茶の用意をした。

 

「今日の修業はいかがでしたか?」
「変わりないな。ルカリオも成長著しい」
「わたしは到底追い付けそうにありませんね……」
「落ち込むことはない。結晶根を使いこなしているだけ、大したものだ」
「師からそう言っていただけると救われます」

 

なんてことない会話だけれど、アーロン様といると体の中心がとても温かくなる。自覚する以前も、もしかしてそうなっていたのだろうか。
そもそも、わたしはいつ頃からアーロン様を好いていたのだろう。自覚したのが最近というだけで、おそらくはもっと前からだったのだろうと思う。

 

「エストレア、大丈夫か?」
「はい、大丈夫ですよ」

 

少し黙ったわたしに声が掛かる。それほど深い思考に入っていたわけではないので、今度はすんなりと答えることができた。

 

「また眠くなったのかと思ったが、違ったか」
「違います!」

 

以前にここで眠らせていただいたことを言われたのだ。
それを引っ張り出されるのはもう二度目だ。わたしはあれもかなりの失態だと思っているので、引き合いに出されると焦ってしまう。アーロン様は笑っているのでわたしの反応を狙ってのわざとだろう。

そこで思い出した。あの時はアーロン様の肩をお借りしたのだということを。
そう考えると、階段から落ちそうになった時に受け止めてもらったことも、はじまりの樹へ行った時に抱え上げられたりしたことも。先日アーロン様が寝込んでいた時に手を握っていたことも……。

 

「……っ、……げほっ!?」
「大丈夫か!?」

 

改めて振り返らないほうが良かったかもしれない。
もしかしなくても、とても近い距離だった。

 

 

「あなたがエストレアさん?」
「はい?」

 

後ろからの呼びかけに振り向くと、一人の女性がこちらへ来ていた。
さすがに、城内で働く人すべての顔と名前を一致させているわけではない。特に、わたしも含めた下位の使用人は人が入れ替わることもそう珍しくないのだ。でも、この人は最近になって何度か見かけたことがあった。

 

「はじめまして。私、まだここへ来て日が浅い者で、他の方々にご挨拶をしておりまして」
「そうでしたか。こちらこそ、はじめまして。エストレアです」

 

ジゼルと名乗った彼女は、軍が設立されてすぐの頃に城へ入ったのだという。そうなると、ちょうど訓練時期だったわたしは会っていなくて当然だ。
だけど、新しく入った女性の噂は少し聞いていた。美人でとてもいい人が来たと。実際会ってみると、噂通り綺麗な人だと素直に思った。大人の雰囲気が出ていて素敵だ。

 

「お噂はかねがね。聞いていたとおり、とてもお綺麗でいらっしゃいますね。お声を掛けていただけて光栄です」
「いえ、とんでもない。以後お見知りおきいただけると幸いですわ」
「はい、こちらこそ」

 

わたしより年上だろうに、それでも敬語で話をするこの人はきちんとした教養を持っているのだとわかる。

 

「バスケットを持ってどちらへ?」
「ああ。これは、今日はもう用が済んでいるものです」
「そうでしたか」

 

アーロン様の部屋から戻る途中だった。お互いにこれからどうぞよろしく、と改めて挨拶をしてジゼルさんと別れた。

 

「ウインディ」
「ガウ!」

 

わたしに気づいたウインディは駆け寄ってくると顔を摺り寄せてきた。よしよしと頭を撫でてやると、鼻をひくつかせる。

 

「ガウ?」
「あ、惜しい。今日はマフィンだよ」

 

服についた甘い香りを嗅ぎつけたらしい。
いつもお茶請けに作ったお菓子は、ウインディやルカリオにも渡している。出来立てがおいしいものはアーロン様の所へ行く前に渡す。
ブリーの実が入ったマフィンを皿に置く。本来ウインディなら一口で食べ終えてしまうような大きさだけど、味わうようにゆっくりと食べ始める。

 

「ガウッ」
「よかった。そう言ってもらえるとすごく嬉しいよ」

 

やはりおいしいと言ってもらえるのは、相手が誰であっても嬉しいものだ。
時折ウインディは、もう少し甘いほうがおいしい、とかの講評を言うこともある。でも、けっこうそれがバカにできないときもあるので素直に受け入れている。

 

「じゃあ、これはルカリオに渡して。ウインディが食べたらだめだからね」

 

わたしがこの後アーロン様の所へ行くことはウインディもわかっているので、引き止めることはしない。彼もルカリオとの日課へと駆けていった。
アーロン様の部屋へ行くには、植物が形作るアーチ状の通路を通る。そこの角を曲がればアーロン様の部屋はすぐだ。いつものように何も気にせず、そこを曲がろうとしたがつい立ち止まってしまった。

 

「……ん?」

 

二人分の声が聞こえる。一つは聞き慣れたアーロン様の声だとわかるけれど、もう一つは誰だろう。肉声だからルカリオではない。聞いたことがあるような気がする。

別に悪いことをしたわけではないのにこそこそとしてしまう。
植物のアーチからそっと覗いてみると、声の主を思い出した。部屋の前にいたのは、先日お会いしたジゼルさんだ。どうりで聞いたことがある声だと思った。

部屋にまで来るということは、何か大事な用事があったのだろうか。いつも大した用件で来ているわけではないわたしが言えたことではないけれど。
ともかく、話し中ならば邪魔をすることはしないほうがいい。終わるまで待っていようと、通路に引っ込んだ。

 

どのくらい経っただろう。
聞こえてくる二つの声は途切れることはなく、会話はずっと続いている。内容までは聞こえないけれど、良い雰囲気で話しているというのはわかる。
いつもの時間、つまりわたしの休憩時間は終わろうとしていて、そろそろ仕事へ戻らなければならない。

 

「……」

 

バスケットを持ち直して、来た通路を戻る。
時間が迫ってきたことも理由だが、どちらにしろ、冷たくなって渋味が出てしまったお茶とぺしゃんこにしぼんでしまったマフィンを持っていくわけにはいかないのだ。