離脱の呼び水

「お待ちしていました。中尉殿」

 

そう言って恭しく頭を下げた者は、体格と声からして男だというのは理解できた。ガスマスクに隠れていて、顔は見えない。
対峙した私たちを、暗闇の中でもわずかに差し込む月の光が照らしてくれる。

東門の奥。本来立ち入るべきところではない。

 

 

今日の昼間、士官学校の教員寮に手紙が届いた。
宛名に私の名前が書かれた封筒を持ってきてくれた同僚に礼は言ったが、私に手紙を寄越す人なんて覚えがなかった。

記載されていた差出人はファミリーネームが私と同じだったから、届けてくれた同僚は私の身内か親戚だと思ってなんの疑問もなく持ってきてくれたのだろう。

しかし私にはそれが怪しいものだと一目で理解できる。
身寄りのない私にとって、こんな名前の親戚など存在しないからだ。
いや、おそらく私と血の繋がった人間はこの世にいるのだろう。幼少期の諸事情によって、私がその存在を知らないというだけで。

しかしそう考えたところで、今の私に親戚というのは誰一人として存在し得ない。不審なものだとわかりつつ、けれど封筒を開けて中身を改めた。

 

「手紙をくれたのは、あなた?」
「自分というわけではありませんが、たしかに我々が」
「よく私を見つけたね」
「かつての同胞との再会のためです。どのような苦労も惜しみません」

 

ガスマスクで表情は見えないものの、相手の男は慈しみすら持つような穏やかな声だ。

 

「我々、親世界帝派は今、かつての同胞たちの行方を追い集結を呼びかけているのです」

 

あなたはあの革命戦争を生き残っていらっしゃる。
もちろんそういった者は他にもいます。革命戦争を生き残り、今もなお世界帝への忠誠を失わない兵士であることには大きな意味があります。
だから我々は同胞の行方を追っているのです。

 

「あなたとお会いできて光栄です、マリー・コラール中尉」
「ありがとう。そう言ってもらえたなら、生き残った意味があると思えるよ」

 

手紙には、今日の夜に東門の奥へ来て欲しいということが書かれていた。
世界帝への忠誠を持ち続けているのなら来て欲しい。夜の間は使いの者が待っている、と。

どこで知ったかは知らないが、私というかつて世界帝軍の兵士だった人間が、今は連合軍にいるという調べをつけたのだろう。
特別秘匿していたわけではないものの、よくまぁ私までたどり着いたものだと素直に感心する。

世界帝軍にいた当時から私は中尉だったが、世界帝軍であった頃も、別段名前の通る兵士だったわけではない。
特別幹部たちと多少なりとも交流はあったけど、言ってしまえばたったそれだけのこと。私のような一般的な兵士のことをよく調べたなと思える。

 

「では参りましょう。向こうに車を用意してありますので。連合軍などより遥かによい待遇と地位をご用意いたします。上も喜びますでしょう」

 

男が奥へと歩き出したのを見て、私もそれに続く。

 

「手紙にあった使いの者というのは、あなた一人?」
「ええ。できれば数名でお迎えに参りたいところですが、なかなかそうもいかず」
「そう。あなたも大変だね」

 

労いの言葉をかけながら、コン、と男の後頭部に鉄の塊を押しつけた。

 

「私なんかの勧誘と迎えを一人でやらないといけなくて、大変だね」

 

銃を押しつけられた。その状況が理解できないほど男も馬鹿ではないらしいが、明らかに動揺しているというのは後ろからでもわかる。

 

「中尉殿……? これはなんの真似です?」
「真似も何も。そちら側に付くために私がここに来るとは限らないでしょ。……死にたくなければ両手を挙げて。死にたければやらなくていいよ」

 

男は一瞬躊躇う様子が見て取れたが、両手を挙げる。
男の持つホルスターに収まっていた拳銃を取り上げ、空いていた左手に構える。

 

「一人で来たって言っても、他の奴らとの無線でのやりとりくらいあるでしょ? 無線機を出して」
「何を、するつもりで……?」
「三秒後に死にたい?」
「……っ」

 

余計な質問をすることは許可していない。そんな意味合いを理解した男はゆっくりと取り出した無線機を手に持ち、再び手を挙げる。

 

「そのまま持ってて」

 

やはりというか、無線機のスイッチは入っている。連中のどこかしらとはつながっているということだ。

 

「メーデーメーデー、親世界帝派の誰かさんたち聞こえてます? こちら、あなた方が勝手に『同胞』呼ばわりしてる元世界帝軍兵士」

 

男へ向ける神経は逸らさず、無線機に向けておちゃらけた声を出す。

向こうはたしかに私のことをよく調べていた。だからこそ現在の私の居場所を特定し、こうして勧誘という交渉をしに来た。
だがどうやら、奴らが調べたのは私の経歴やら居場所だけだったらしい。

 

「私がどういう奴か知りもしないくせに、よくこんな安っぽい交渉方法を取れたね。……いや、知ってるからこそこんな方法で来たのかな?」

 

さして高くない階級の兵士とはいえ、銃撃戦と格闘戦の訓練を受けている。
私に至っては現状も軍属の身だ。生徒たちに実技指導をするほか、自分自身の訓練も怠っていない。

戦う方法を身に着けている者が交渉相手であるのに、差し向けるのが一人だなどと馬鹿げているにも程がある。
女だから、男一人いれば充分だとでも思ったのだろうか。仮にそんな理由だとしたら、舐められすぎて反吐が出る。

もしくは、──私がこうするとわかっていたから、この男は最初から犠牲者として送り出された、という理由だろうか。
もしそうだとしたならこの男は随分とかわいそうで、損な役回りをやらされたものだ。

無線機からの返答は何もない。当然、相手が私に一切の情報を与えるつもりがないなら正しい反応だ。

 

「今回の勧誘はお断りするよ。……もしそちらが本気で私を引き入れたいのならば、こんな雑な方法での勧誘はやめていただきましょうか。私にも所属を選ぶ権利はあるからね」

 

そこまで言い少しだけ息を吸ってから、男の首に横から拳を打ち込んだ。
わずかに息を漏らすような声と共に男は倒れる。男の手から無線機が地面へと落ちた。

 

「そちらにとっては捨て駒だったかもしれない下っ端交渉人は、そのままにしておいてあげましょう。朝までにここから回収されていない場合、彼は私が殺して差し上げるので」

 

無線機へ拳銃を向ける。すると、機械を通して声が届く音がする。

 

『やはりあなたは、こちら側へいるべきだ』

 

知らない声だった。その一言が発せられただけだった。それ以上の情報は出ないと判断できた。

 

「……では、ごきげんよう」

 

引き金を引き、放たれた弾丸によって貫通された無線機は割れて沈黙する。
気絶した男のガスマスクを剥がして顔を確認してみるが、案の定知らない顔だった。

 

「……」

 

私を引き入れたいならもっとましな交渉をしろ。そうは言ったが、さてどうなるか。

本気ではないならそれでけっこう。その場合は、私も向こうもお互い現状維持となるだけだ。こちらに損はない。
私の情報が一方的に掴まれているのは気に入らないけれど、それはこの際どうしようもない。

仮に本気で次の交渉が来たならば……、いや、それはその時に考えよう。
親世界帝派からすれば、元々世界帝軍にいた人間や、思想を同じくする者を集めたほうが手っ取り早いというのは理解できる。けれどまさか、私のような者まで調べてくるとは。

 

「……、泳がせてみるか?」

 

向こうの情報が引き出せるかもしれない綱は残しておいたほうがいい。私が上に報告して警戒が強まれば、その機会は失われてしまう。

もし再び交渉が来たならば、それを通じて何かしら情報を得られるかもしれない。
私に直接交渉が来るならば、何かがあって殺されるとしても私だけで済むだろう。

向こうがどこまでの情報を知っているのかは定かではない。
私のことだけ調べて来たのか、それとも──マスターである候補生のことも含めて今回仕掛けてきたのか。

目的が後者であるとしてもひとまず私のほうへ来たのだから、今すぐ候補生に何かをしようとはしていないとも考えられる。
向こうがどこまで仕掛けてくるか、どのみち見極めなければならないだろう。
気絶した男に背を向けて、私は学校敷地内への道を戻る。

──やはりあなたは、こちら側へいるべきだ。

先ほどの無線の相手の声が逡巡した。
あまり組織には頓着していない。こだわりはない。だからいつだって連合軍を辞めてどこかへ行ける。いつだって自由に自分の居場所を決められる。

そう思っていた。けれど今は、どうだろう。
候補生がマスターになってしまうあの日まではたしかにそう思っていた。しかし今は随分と状況が変わった。

幸か不幸か私は、以前から知る存在であり同一個体である、かつて特別幹部であった彼らとここで再会してしまった。
全員が全員と特別な関係というわけではなかったけれど、それでも。

七年前のあの日、革命戦争で敗北した私たちは人間だろうと貴銃士だろうと散り散りになった。誰がどこへ行ってしまったのかもわからないまま。
もう二度と会うことはない。会えないだろうと思っていた。

私は彼らを探すことなどしていなかった。人生の出会いと別れはそんなものだと開き直り、諦めてもいた。
だから彼らと再会した時、心底驚いたのだ。そして大いに喜んだものだった。

 

『また会えて嬉しいよ』

 

かつての知り合いたちがやって来る度に、何度そう言ったことだろう。
そしてどこかで期待をして、きっと会いたい者にも会えるのではないかと、そんな風に思う自分もたしかにいた。

それを思うと、今の私は向こう側へ行くことにあまり乗り気ではないことに気が付いた。

 

『マリー、君は自分で思っている程、非情な人間ではないと俺は思うよ』

 

以前に恭遠からそう言われたことを思い出した。
恭遠は看破するように、私に客観的事実を伝えるように、微笑みながらそう言っていた。

あの時の恭遠の表情を真似るように、私は見え隠れする月を見上げて笑った。

 

「……なんだかんだ、大切になってるものだね」

 

再会した彼らが大切だ。
結局のところ、どれだけ淡白な人付き合いを装っていようと、私は一度懐に入れた相手には非情になれないのだ。

 

「そもそも論で、裏切りっていうのは性に合わないしね」

 

どこの組織だって構わないし、組織に属さなくたってなんの問題もない。しかし属したからには裏切りはせず、忠誠は誓わずともそれなりに働いてやるとも。
だから私があちら側に行くことは、まずないのだろうけど。

私が連合軍を裏切ってまであちらへ行きたくなるような、そんな事態になったら、まぁそれはその時考えよう。
東門の前にたどり着き、門をくぐった。士官学校の敷地内へ足を踏み入れる。

ここが今の、私の居場所。
この門の外側へ、あちら側へ心が傾くことなどないことを願う。