親愛なる友人は何を思うか

※2021年クリスマスイベント後。

 

 

クリスマス当日は、ベルガーが起こした被害の対応と処理に追われてしまい、ラッセルと恭遠と共に黙々と書類と向き合うハメになった。
なんとかそういった作業も終えて、もう年末まで片手で数える程になった。

クリスマス休暇故に、学校職員も多くが家族と過ごすために士官学校を離れている。職員寮も静かだ。
私は特に用件も、共に過ごす身寄りや家族もないので毎年学校に残っているが。

食堂も閉まっているので適当な夕食を一人で済ませ、寝るまで読書でもしようと本を開いていた。
不意に、扉をノックする音が響く。こんな時間に、そして誰だ。つい警戒が先に来た。

 

「はい」
「夜分に失礼、中尉殿。ファルです」

 

扉の向こうから名乗られた相手に驚いた。
こんな時間にわざわざ職員寮を訊ねてくるなら誰が来ても多少は驚いただろうが、相手が意外過ぎたのだ。

本にしおりを挟み、テーブルの隅に置いて席を立つ。扉を開ければ、名乗った通りのファルが立っていた。

 

「こんばんは、コラール中尉」
「こんばんはファル。急にどうしたの?」

 

するとファルは、手に持っていたらしいバスケットを胸の位置まで持ち上げた。バスケットには布が被せられているも、ワインボトルの先が覗いている。

 

「中尉殿は休暇中も学校に残られると聞いていたので。もしよければ、少しお付き合いいただけないかと」

 

申し出の内容も意外だった。その表情からは相変わらず、何を考えているのかは読み取れない。けれども間違っても悪意などはないというのはわかっていた。

 

「いいよ、私でよければ」
「ありがとうございます」

 

扉を大きく開けてファルを迎え入れる。
持参したバスケットをテーブルに置き、中に入っていたワインボトル、グラスなどが彼の手によって用意されていく。

 

「中尉殿はチーズはお好きですか? 念のため、チーズ以外にもワインに合うものを用意はしてきたのですが」
「大丈夫、普通に好きだし食べられるよ。細かい味の違いとかまではファル程わからないけど」
「それはよかった。どうぞ席へ」

 

促されたので私はそのまま椅子に座って準備を待つ。
皿にはチーズやウインナーなどいくつかの食べ物が載せられ、なんてことないようにコルクを開けたファルの手によって綺麗な赤ワインがグラスに注がれた。

失礼しますね、とファルも席へ着いたので私はグラスを手に取った。同じようにファルもグラスを持ち上げる。

 

「では、」
「乾杯」

 

グラスがカチン、と綺麗な音を立てる。
少しグラスを回して、嗜み程度に香りを楽しんでからワインを口に含んだ。

 

「おいしいワインだね」
「ええ、それなりにいいものを用意しました。チーズは、確かに自慢できるものを揃えましたよ。もちろん、私が作ったというわけではありませんが。どうぞ」
「ありがとう。いただきます」

 

用意された小さなフォークで、一つのチーズを口に運ぶ。
私にとっては市販のチーズでも充分においしいと感じるけれど、ファルがこれだけ強く言うくらいだ。そりゃあおいしいに決まっていた。

 

「うん! おいしい」
「お気に召していただけて何よりです」

 

言いながらファルもブルーチーズを一つ口へ入れた。

会話が途切れることはなく、とはいかないけれど、それなりに他愛ない話をしながらワインやチーズを楽しむ。
少しの沈黙はあっても気まずいとは思わなかった。

以前の記憶がない彼だが、物腰はやはり以前と大きく変わっていないなと感じていた。
七年前、私も彼も世界帝軍にいた頃と、そんなに変わらないような気がした。

今のファルは覚えていないものの、彼には私がかつて世界帝軍にいた兵士であり、特別幹部であったファル自身とも面識があったということは伝えていた。

だからと言ってファルが記憶を取り戻すような都合のいいことはない。しかし彼の性格からして、私が世界帝軍であったことなどどうでもよく、そして他の職員や生徒に吹聴したりもしない。

七年前と変わらず、ファルは私のことを「マリーさん」とさん付けで呼んだり中尉殿と階級で呼んだりするし、不意に呼び捨てをする時もあるし、私も変わらずファルと呼ぶ。

私から、かつてのことを思い出させるような昔の話題を振ったりなどは決してしないけれど、私とファルという個人的な関係性は、彼に記憶があってもなくても変わらないように思う。

 

「二杯目をいかがです?」
「じゃあもらおうかな」

 

もっとも、七年前とそんなに変わらないとはいえ、ファルと二人で酒を酌み交わしたことなんて一度もしたことはなかったけれど。
ベルガーや八九とは、昔ワインを飲んで騒いだこともあった。

ファルが再びワインを注いでくれたので、ゆっくりとグラスを回しながら黙っていた。

 

「マリー、あなたは、」
「うん?」
「今さらですがあなたは、以前の私をご存知なのですよね?」

 

彼からの質問に、私は目を見開いた。ファルが自分からそういった事を言ってくるとは思わなかったのだ。
穏やかに細められることが多い瞳は、今はしっかりと私を見据えていた。

 

「……うん。知ってるよ」
「私と仲がよかったという弟のことも?」
「うん。よく知ってる」
「アインスという男のことも?」
「もちろん」

 

余計なことは言わなかった。知っているかどうかと訊かれれば、それにはイエスかノーかで答えるだけでいい。

関わりが深かった、と言えばそうなのだろう。
ファルと、ファルの弟と、兄弟ふたりが慕っていたアインスとは、それなりに交流があった。

特別幹部と一端の中尉という階級上の差はあったが、私の性格的にそんなものは壁ではなかった。
だから彼らともタメ口をきいていた。普通は許されないことだったろうけど。

 

「そうですか」
「何か気に障った?」
「いえ、そうではありません。今の私には特に興味も湧かないことですが、あなたがそれらを知っているというのを確認したかっただけです」

 

ファルはそれだけ言うと、グラスに残るわずかなワインを飲み干した。

 

「もし、私がそれらに興味が湧くようなことがあればその時は、あなたにお話し願うのが早そうでしょうか」

 

ファルの目は再び細められて、私を見据えることは中断される。
彼なりに思うところがあるのか、そうではないのか。そこまではわからない。記憶をなくしている彼が何を抱えているのか。

ラッセルや、マスターである候補生から聞いた限りの話でも、彼がベルギー支部にいた頃の話も、わからないことも多い。
今のファル自身も、自分のことがわからないまま行動している節があるくらいだ。

 

「私でよければ話すよ。訊かれるまでは話さないけど」
「ええ、そうしてもらえると」
「八九とかベルガーにも訊くといいよ。あとは、たぶんだけどライク・ツーも話してくれるんじゃないかなと思う」
「ああ、そういえば、前者二名の方は職業体験の時にそんなことを言っていましたね」

 

言いつつファルは、空になった自分のグラスを見てボトルを手に取ろうとする。それよりも先に私がボトルを取った。

 

「私が注ぐよ」
「おや、これはどうも」

 

差し出されたグラスに適量のワインを注いでボトルを置く。

 

「そういえばあなたは、お会いした時に嘘をついていましたね」
「え、嘘なんかついたっけ?」

 

ファル相手に嘘を吐くなんて無意味なことをした記憶がないので、首を傾げてしまう。

 

「私が訊ねた時、答えをはぐらかしていたでしょう」
「……、ああ、あれか!」

 

はぐらかした、と言われて思い出した。今のファルと初めて対面した時のことを言っているのだ。

 

「だってあそこで、そうだよ、とか言ってもどうにもならないから」
「まぁ、たしかにその通りですね」
「だから別に嘘はついてないよ」
「ええ、そういうことにしておきましょう」

 

ファルは微笑んで、私が注いだワインをゆっくり口にした。

 

 

──失礼、どちら様でしょう?

見知った顔に会った時に、開口一番そう言われたことは驚いた。

 

『……』
『どうかされましたか?』
『……ううん、なんでもないよ』
『そうですか』

 

彼に記憶がないのだと理解した時点で、そう受け入れるしかなかった。
記憶を取り戻そうなんて大層なことを私ができるとは思えなかった。

失った記憶には、失うだけの理由があったのではないか。私のこともそこに含まれていただけのこと。そう自分を納得させた。

 

『あなた……、──どこかでお会いしましたか?』

 

だから一縷の希望にも、縋ろうとは思わなかった。今の彼と向き合わなければ。

 

『どうだろう? もし思い出した記憶に私がいたら、会ってるってことじゃないかな』

 

そう言って笑う私にファルが何を思ったかはやっぱりわからない。それでも、

 

『私はマリー・コラール。また会えて嬉しいよ、ファル』

 

あの時の会話は、全て本心だった。嘘なんて何も吐いていない。
それが今のファルに伝わっているかはわからないけど、きっとどちらでもいい。

 

「今日は急な訪問をしてしまいましたが、いずれまた伺っても?」
「うん、いいよ。でも休暇が終わったら寮の門限とか消灯時間が再開されるから、そっちには従ってね」
「ええ、わかりました」

 

ファルが用意したワインは少し甘く、ブルーチーズは私にはやっぱり少し苦かった。