いつでも前を向いている

私の体には傷がある。それはある意味当たり前のことだった。

今の私は世界帝軍に属する者だ。例え階級が低かろうとも、軍人である以上、戦場に赴く以上、大なり小なり傷を負うことはあるのだ。

私の記憶には傷がある。
子供の頃、おそらくは当時十歳くらいであったのだろう頃の記憶。私は、それより前のことがわからないのだ。自分のことが、何もかも。

 

 

子供の頃、当時住んでいた場所が、内戦に巻き込まれて吹き飛ばされたということは覚えている。
それによる精神的、あるいは肉体的なショックによる記憶の喪失だろうと思われた。当時に私を診てくれた医師はそう言った。

おそらくその時に、私の両親にあたる者は亡くなったのだろうと思う。生みの親であった人たちの、顔も名前も、何もわからないけれど。

同時に、自分の名前も失くしてしまっていた。
自分が誰なのかわからなかった。自分のことがわからなかった。だから身元確認も、私は大いにスムーズではなかった。

今の私が名乗る名前は、その後に私を引き取り養子縁組をして、私に新たな戸籍を与えてくれた養母からつけられたものなのだ。
もちろん今の名前ではない、失う前の名前はあったに違いないのだけれど、もうそれがどういったものだったのかを知る術はない。

十数年前の、当時以前のことを知ることはできない。覚えていない。わからない。
だから私には、今の名前が本名と言う他なく、新たな名を授けられてから今に至るまでの私がすべてであるのだ。
別段、今の人生に不満はないし、過去……ひいては十歳前後の子供の頃より以前のことなど、覚えていなかったとしても何も支障はなかった。

けれども名前をもらった当時は、少し考えたりしたこともあった。
本当の名前は、なんというのだろうかと。忘れる前の私は、どんな私だったのだろうかと。
名前は手がかりになるものもなかったのでわかるわけもなかったが、性格に至っては案外そのままだったかもしれない。

私の養母となった人は、教会に属する初老のシスターだった。
にも関わらず、私が他の子供と喧嘩をして相手を泣かせても叱るどころか、あなたは強い子なのね、すばらしいわとどこか聖職者としてはズレたような人だったのだ。

後々に本人から聞いたことだが、どうやらシスターも若い頃はかなりやんちゃをしていたそうで、私にやんちゃを容認していたのもそのためだったそうだ。それでいいのか聖職者。

一方で、シスターらしく私に聖書を与え、物語と共に人生のあり方を私に思考させたりもした。
一度たりとも「神様を信じなさい」とは言われなかったけれど。私に与えてくれた名前も、聖なる意味を込めたものであるというのは途中で知った。

こうして私は聖書に触れながらも、容認されるやんちゃの中で正しい暴力の使い方を覚えるなどという、盛大な矛盾にも思える中で今に至る自分を形成していった。

 

 

「……」
「どう? つまんなかったでしょ?」

 

肩を竦めながらそう聞くと、エフは少しだけ迷ったような表情をしてから口を開いた。

 

「ええ、そうね。聞いた時間が無駄になったわ」
「だから、つまんないよって最初に言ったじゃん」

 

いいから教えなさいよ、と言ってきたのはエフのほうだというのに。

 

『アンタみたいな愚図はさっさとやめるのが一番いいわよ』
『仮に辞めたところで行くとこないし、だったら軍にいたほうがましでしょ』

 

そんな会話から、今の私には身寄りがないこと知ったエフから、それ以外の身の上話をするよう促されたのだ。

別に隠す必要もなかったからすべてありのままに話した結果が今である。
しかしエフも、やはり一人の人間の身の上などさして興味は持てなかったのだろう。先ほどのほんの少しの、訊かないほうがよかっただろうかというような表情はもうない。

 

「じゃあアンタ、名前も生まれもでたらめってことじゃない」
「まぁ、身も蓋もなく言うとそうだよね。でも言っておくけど戸籍はあるから。生まれはフランス」

 

少なくとも私が世界帝軍に入るまで住んでいた土地はフランスだった。だから最低限、そこが生まれの国ということでいいだろう。
あっそ、とエフは適当な相槌を打つわりに、私への質問を止めない。

 

「でもアンタ、軍事局に登録する時、生年月日とか書かなかったの?」
「書いたよ、生年月日」
「アンタ、今いくつなのよ」
「うーん、たぶん二十代半ばくらい? 書類上の生年月日も併せると、軍事局のデータとしては今、二十五歳表記になってると思う」
「たぶん、って言ったわね今」
「だって、あの時ほんとに十歳だったのかわからないから」

 

当時の『十歳の頃』というのはあくまで、背格好やその時持っていた知識などからの推定に過ぎないのだ。
もしかしたら本当は十二歳だったかもしれないし、八歳だったのかもしれない。

だから、年齢すらも私は曖昧なのだ。
一応、当時十歳であったとしたうえで、養子縁組によって得られた戸籍上の生年月日ははっきりしているけれど。

でもどのみち、何月何日に生まれたという日付も、結局は本当の誕生日ではない。
今の私の誕生日は、シスターが私を引き取ってくれた日となっている。

 

「随分でたらめな出身ねぇ、アンタ」
「まぁね。自覚はあるよ」

 

軽く笑いながら返事をした。

私はたしかに今この瞬間も存在して、生きているけれど、その本当の根っこの部分は土に深く埋まったままだ。きっと永久に知ることはできない。

 

「でも別に、ちゃんと戸籍あるしいいかなって思う」

 

私は誰であるのか。
間違ってもそんなことは考えないし、何も気にしてはいない。
以前の私が誰で、どのような性格をしていて、どんな名前があったとしてもだ。

 

「あっそ。適当なアンタらしくていいんじゃない?」
「でしょ?」

 

繕ったわけでもない顔で笑って見せると、エフも少しだけ口元を緩めていた。

私はあの日から、もうずっと、『私』として生きているのだ。