※『愛しい君に光あれ』イベントネタ。IFルート死ネタ注意。
車が揺れた。今夜は風が強い。
遠征中の夜、私の寝床である車を尋ねる声があった。
「コラール中尉、夜分に申し訳ありません」
「はい。どうかした?」
「前線の兵から、中尉にお渡しするものを預かってきました」
私に? なんだろう。
今回の作戦は私より上の階級の人も参戦している。前線から私に直接伝達されるようなことなどないはず。
ひとまず車の扉を開けて、一般兵と対面した。吹いた風に、思わず乱れる髪を押さえる。
「こちらを。……お休みのところをすみません。届けた者から、急ぎだと伝えられていたので」
しかし兵士はあまりにも反応に困ったように、私にそれを渡してきた。
「これ……」
「なぜ中尉に、且つ誰からなのかは不明なのですが……」
兵士の言葉を聞きながらそれを受け取る。
兵士は、不明確なものを私に渡すことに少々びくついているようだったが、反対に私は自然と口元が緩んだ。
「コラール中尉?」
「ああ、うん。なんでもない。届けてくれてありがとう」
兵士は敬礼してテントへと戻っていった。私も車へ戻る。
寝転がりながら、受け取ったものを改めて見やった。
……まったく、急にどうしたのやら。今回の作戦は規模がそれなりとはいえ、たいした心配はいらないというのに。
「むしろ自分の心配しててよ」
つい、そんな言葉が漏れてしまう。それでも嬉しくないわけがないけれど。
兵士が届けてくれた『急ぎ』だという贈り物、一本の赤い薔薇を指先でそっと撫でた。送り主を示すものなどない。しかしこれが答えだ。
作戦である以上、私は軍人だ。向こうもそれをわかっている。
自分と、私の立場をわかっている。だから作戦において過度な干渉などしない。
けれども、わざわざ急ぎとした上で届けてくれたのだから、よほど何か思うことでもあったのだろうか。わからないけれど。
どうせ明日の朝に合流することになっている。その時に聞けるかわからないが、余裕があれば訊ねてみようか。
起き上がって車の扉を開けてみれば、再び風が吹き込んでくる。
花びらを一枚、指先でちぎった。物理的に届くとは思っていない。けれどもせめて、この気持ちくらいは、届け。
花びらに小さく口づける。指先を離せば、赤い花弁は風によって舞い上がっていった。
薔薇の送り主へ。どうかあなたに、神のご加護を。──エフ。
*
まだ意識はあった。痛いとか寒いとか、もうそんな感覚はどうでもよかった。
もう相手はいない。こちらが倒れたのを確認して充分と思ったのか、そのまま去っていったようだ。相手も限界が近かったのだろう。
なんとか体を動かした。目を向けた先にいる。
しかし起き上がることなどもはや不可能で、文字通り地面を這いつくばった。
痛みとかそんなことを感じている余裕もない。痛みと苦しみがあって当然だ。でも、それだけのことをしてでも近づきたかった。
手を伸ばして、黒い手袋のはめられた手に触れた。まだ温かい。
「……、ふ……エフ」
つぶれそうな声で名前を呼ぶと、手がわずかに動いた。
ああ、まだ、まだ大丈夫。
ずるずると体を引きずりながら近づいて、なんとか必死に上半身を起こした。
倒れた彼を見下ろす形になり、頬に手を伸ばしかけて、やめた。手を触れたら、彼の綺麗な顔が汚れてしまうと思った。
そんなのは見たくない。エフには美しくいて欲しかった。
初めて見た時、彼の顔を綺麗だと、美しいと思った。だから最初の時と同じように、美しくいて欲しい。
戦闘の後だとわかる汚れはあるけれど、少なくとも私が触れて汚してはならない。こんな、赤黒くなった手で触れてはいけない。
「エフ……」
声を発すると、口の中も喉もひどく痛んだ。それでも呼びかけると、エフはゆっくりと目を開いた。
よかった。壊れてはいない。修復は可能だろう。それがわかっただけでも、充分だ。
周りを見れば、誰も彼もが倒れていて、ああ自分たちの負けなのだったと思い知らされる。
それでもどうか、エフを始め、せめて貴銃士たちや生きている兵は無事に城へ戻れることを願う。
私には連れていけない。そんな時間も、力もない。
それがわかっているから、せめて今だけは彼と世界にふたりだけだと、そんな風に思っていたいのだ。
「ア、ンタ……」
エフがようやく声を発せたようだ。声を聞けて良かった。その安心と喜びで、口元が緩む。
地面に着いていた腕をゆっくり曲げる。顔を近づけて、そっと唇同士を触れ合わせた。
離れることを惜しむように、ゆっくりと角度を変えて、何かを言いかけたエフの言葉を飲み込んだ。
そこでもう、腕が体を支えていられなくなった。エフに覆いかぶさるように上半身が倒れる。
血と火薬の匂いが濃い中に、エフのだとわかる香りが混ざった。この香りが好きだった。
ひゅーひゅーと、風が通り抜けるような息が繰り返される。
息が、苦しい。エフが呼吸するのに合わせて、ゆっくり私の体も上下する。
図らずも、胸の真ん中に当てている耳には彼の『体』が生きている音が聞こえる。
大丈夫、助かるから、生きていて。
『生きて』城には戻れなくても、せめて壊れないで。本体が無事であれば、あなたはきっと大丈夫だから。
視界がぼやけるし、もう何も聞こえない。エフの鼓動が伝わるだけだ。
せめてもう少し、何か言えばよかっただろうか。
しかし私たちの関係に、今さら何を言うことがあっただろう。まともに愛の言葉なんて言ったことも、言われたこともない。それなら始まりも終わりも、明確な言葉なんていらないのかもしれない。
……忘れないで、などとは言わない。
そんなことを言える程、言葉で愛を伝えてきたわけではない。お互いにきっと、おそらくは好きだろう。そんな不確かで曖昧な関係だった。
いや、少なくとも私は彼を好きだけど、彼のほうがどうだったかはわからない。ただの都合のいい奴と思われていたかもしれないけど。
それでもどこか優しかった気がする。キスもしてくれた。それ以上も愛してくれた。
恋人と言えるような関係だった気がする。好かれていたような気がする。
どれもこれも、何一つ明確ではないことに笑ってしまいそうだ。
しかしきっと私たちにはそれでよかったのだ。これであなたも、後腐れなく関係を絶てるでしょう、エフ。
そんなことを思っていると、背中に手を添えられる感覚があった。自分の体に私を押し付けるように力がこもるのがわかる。
まるで抱きしめてくれているような。どうせだから、こんな時くらい自惚れたっていい。応えるように私は弱くも彼の肩を掴んだ。
ひとつだけ確かなことがある。
それは、貴銃士という人成らざる者を好いた、頭のおかしい人間の女がいるということだ。
時々、恋人気取りで隣にいることを喜ぶような、そんな女がいたのだと。
彼にもそのくらいの印象は与えられただろうか。
私はこの身の最後まで、このひとのことが好きだったと。
もう何も考えられなかった。考える必要もなかった。瞼が下りていく。
そうだ。『忘れないで』なんて可愛らしいことは言わない。誰が言うか。
だから『覚えていて』。 私という人間が、エフ、あなたを愛していたことを。
だから、さようなら。おやすみなさい。