酔い回り

なんとはなしに食堂へ着いて、目的もなくここへ来たことを後悔した。
それなりの広さである食堂のテーブルの一角。そこに目をやった途端に頭が痛くなった。

 

「あひゃひゃひゃ! んだよ89、もうダウンかよー!」
「……るせえな、まだ、いけるわ……うぇぷ……っ」
「89、きたなーい。吐くならそっちのバケツにしてねー」

 

そこから聞こえる馬鹿でかい声、盛大な酒の匂い。散らかったつまみやワインボトル。
なんだこの惨状は。いや、ベルガーだけならこんな惨状を生み出していても別にこちらは驚きはしないが。

……なんでアンタがいんのよ。
貴銃士ふたりに混ざっているのは、他でもない彼女であった。眉間にしわが寄る気がして、手の甲でゆるゆるとほぐす。

 

「つーか、お前もけっこうイケるクチだな!」
「んー、苦いのはいやだけどね。あまいのはすき」
「まーじガキだな。けどまぁ89よりかよっぽどいいぜ!」
「……おい、俺だって、別によえぇわけじゃ……」
「あははー、説得力なーい」

 

聞こえてくる声はふわふわとしており完全に出来上がっているらしい。彼女は特別酒に弱くもなかったはずだが、あれだけ出来上がっているのも珍しい。
ため息を吐いてエフはそのテーブルへと近づく。

 

「じゃあ次、これとかどーよ!」
「あ、いいにおいするね。おいしそう」

 

ベルガーが新たなボトルを開け、彼女のグラスに注ぐ。
こちらに背を向けた状態の彼女がグラスを揺らして香りを楽しんでいる。そうして、手を伸ばした。

 

「あれ?」

 

後ろから、彼女の手にあるグラスを取り上げエフは一気にそれを飲み干した。……なにこれ、甘過ぎ。
空になった自分の手を見て、彼女はようやくこちらを振り向いた。

 

「あ、エフだー」

 

相当飲んでいるのか、赤くなった顔でこちらを見上げた彼女は嬉しそうに笑う。

 

「よお変態カマ野郎! お前も入るかー?」
「冗談。こんな下品な飲み会はやぁよ」
「えー、エフもはいろうよ」

 

機嫌良さそうにコートの裾を掴まれると、一瞬何かがぐらっと傾く気がした。
すんでのところで自分を持ち直し、手に持っていたグラスをテーブルに戻す。

 

「ほら、アンタは戻るわよ」
「えー、なんで?」

 

ゆるりと彼女が小さなあくびをしているところは見逃さない。
酔いがどうというよりは眠気のほうが強くなってきている。受け答えの途中で段々と首が揺れてきていた。
「いいから」と声をかけながら椅子から彼女を立たせようと腕を引く。

 

「んだよー、こいついねーと華がなくなるだろーが!」
「あら、じゃあアタシが代わりにいてあげる?」
「おえ……っ」
「89ちゃんなんでそこで吐くワケ?」

 

元々吐きそうではあったが、エフにとっては失礼極まりないタイミングである。
ベルガーがゲラ笑いしているのは腹が立つが、まぁ今はどうでもいい。その間に、目をこすり始めている彼女を立ち上がらせて支える。

 

「あひゃひゃ! 急に来てそのまま送り狼かよ、ぶふっ」
「おくり、おおかみ……」

 

そのワードに何を思ったか、89はおそらくアルコールではない効果で顔が赤くなっている。

 

「下品ねぇアンタたち。一緒にしないでちょうだい。……ちゃんとここ片付けなさいよ、ファルちゃんやモーゼルに怒られる前に」

 

ファルちゃんに、のところを強調しつつそのまま彼女を連れて食堂を後にした。

寮棟にある彼女の部屋までは距離があるため、そのままエフはイレーネ城内にある自分の部屋へ彼女ごと連れて行った。

 

「まったく、アンタ何やってんのよ」

 

んー、だか、うん、だか言っているが受け答えは正しくできていない。
ベッドに座らせ、エフがコートをかけている間に首はかくんと揺れている。
今日は泊まらせるか。どのみち彼女の部屋へ行かない時点で既にそうしようと思っていた。

クローゼットから適当な部屋着を出して彼女の隣に座ると、下がっていた顔がこちらを向いた。

 

「自分で着替える?」

 

アタシが着替えさせてあげてもいいけど。半分本気、半分冗談で口には出さなかった。
「んー……」と肯定か否定かよくわからない返事をされる。

 

「エフ……」

 

キスして。
脈絡なく投下された爆弾の威力はそこそこ大きかった。驚きのあまりぽかんと口が開く。ねぇ、とシャツを引かれはっとした。

 

「なによ、急に」

 

言いつつ、断る理由もないので頬に唇を触れさせる。しかし彼女はむっとしてこちらの腕を揺すってきた。

 

「そっちじゃ、ない」

 

そうだろうと思った。急な要求に動揺はしたが、わかっていて敢えて頬にしてやったのだ。
アルコールが入っているからとはいえ、ねだられるのはなかなか悪くない。内心でほくそ笑みながら、はいはい、と互いの唇を触れ合わせた。
しかし彼女がより強めに触れてくるよりも早く、こちらから離れる。すると思った通り彼女は不満そうな顔をした。

 

「やぁね、そんな顔しちゃって」
「だってエフが……」
「ちゃんとキスしてあげたじゃない」
「わかってる、くせに」

 

むくれたように顔を背けられた。
腰を引き寄せて、自分の膝に彼女の体を滑らせた。横抱きのような体勢で、音を立てて彼女の頬にキスを落とす。

見上げてきた彼女と再び唇を触れ合わせた。ついばむような触れ方から、徐々にゆっくりと角度を変える。
ゆるゆるとほどけるように唇が開いたのがわかり、当然のように舌を滑りこませてやる。彼女の腕が動いて背中に回った。

触れ合う舌と呼吸からはどうしようもなくアルコールの香りがする。それも随分と甘いようなものばかりだ。
彼女が飲む寸前に取り上げたものも、かなり甘い酒だった。

ああ、そういえば、アタシもお酒飲んでたわね。
グラス一杯でどうこうなるほど弱くはないが、徐々に思考が回らなくなりそうな気がする。
温かい体を抱きしめて、嗅ぎ慣れた香りが鼻をくすぐって、甘ったるい唇を味わって。

一度唇を離してやると、彼女は今のキスがようやくお気に召したらしい。機嫌がよさそうに笑い、今度は自らキスをしてきた。
少し驚いたが、相手からされるのはいい気分になる。

おとなしく受け入れていると、ちゅ、ちゅ、とまるで子供の戯れのように繰り返される。
ふわふわするような、むずむずするような。やがてどちらからともなく、息が抜けるような笑いがこぼれた。

 

「好き」
「言われなくても知ってるわよ」

 

いきなり何を言うのか。呆れたように返したが、どこかくすぐったいような変な気持ちになった。
一瞬口を開きかけて、やめた。自分は何を言おうとしたのだ。

赤い顔して穏やかに微笑む彼女に、なぜかじわりと顔に熱が集まるような気がする。気がしただけだ。きっと気のせいだ。

アタシだって──。
そんなことを言いかけたのも、全てアルコールのせいにした。