『好き』とはあまり言わない。彼からに至っては言われたことがない。
言われないから、聞いたことがない。
でもきっと、たぶん、おそらくは。好かれていると思っている。いや正しくは、思っていたい、だ。
少なくとも私は彼のことを好きだ。大なり小なり、そういう気持ちを持っている。
一応『そういう仲』であるのだけど、なかなか私たちの関係は言葉にするには曖昧過ぎる。
それがいいのか悪いのかはわからない。
お互いに言葉で伝えない。でもお互いに好きだろうと思っている。
そんな、少しの何かで崩れてしまいそうな関係なのだと今さら気がついた。
始まり方さえ曖昧だった私たちは、きっと終わり方も曖昧なのだろう。
いつの間にか触れ合うことをしなくなって、いつの間にか話すこともしなくなって、いつの間にか関わりがなくなる。
そうしていつの間にか終わっている。そんな気がする。
ただ、終わるのは嫌だなぁと素直に思う。
そう思うくらいには彼のことを好きだ。これは間違いなく情愛だと自信を持っている。
そう考えていると、今すぐに会いたいと思う。宛てもなく廊下を歩いていた状態に理由ができた。
その目的は思いの外すぐに達成されることとなる。
廊下の突き当たり、曲がり角から現れたのは見慣れた白いロングコートの姿だ。
向こうも私に気がついたようでこちらに視線が向く。
手を振った私に対して、振り返してくれる優しさはないようだけど、立ち止まって私を待ってくれる優しさはあるらしかった。
歩いていた足は自然と小走りになっていた。
見つけた。会えた。嬉しい。そんな感情のせいで足は止まらないし、自然と頬が上がってしまう。
きっと曖昧に終わってしまうかもしれない。
いずれ訪れるかもしれないそれを少しでも引き延ばしたいのなら、繋ぎ止めておかなくては。繋ぎ止めたいなら、手を伸ばさなくては。
止まることなくエフに腕を伸ばし、そのまま彼に抱きついた。
「な……!? ちょ、っと……!」
勢いがつき過ぎてエフは少しよろけ、不機嫌そうに眉を上げた。
「何よ急に」
「理由はないんだけど、エフに会いたいって思ってる時に会えたから、嬉しくなった」
ふぅん、と興味なさげな口振りだったけれど、言葉とは反対に緩く抱きしめ返してくれる。
ああ、やっぱり曖昧だ。けれども私はそれで充分だった。
*
彼女は普通の人間だ。日常で銃をぶっ放してはいるが、体格も容姿も、至って普通の人間だ。
もし、どこが好きなのかなどと訊かれたら「さぁね」と一言で終わらせる。
特別魅力的、という程でもない。時々魔が差して、可愛らしいなと思ってしまう時もあるがそれはそれ。
普段からそんな魅力を感じているわけではない。少なくともエフにとっては。
「……それで、なぜそれを私に言うんです?」
「ファルちゃんなら言うだけ言っても気にしないと思ったのよ」
銃の手入れをしながらそちらを見やると、ファルは鬱陶しそうに手元の紙へと目線を落とした。
「生憎と私は多忙なんですよ。あなたのくだらない惚気に付き合っている暇はありません」
「んもう、ひどい言い方ねぇ。あと、別に惚気じゃないわよ」
別に同意をして欲しいわけではない。
自分の思考の整理のために言葉に出して言いたかっただけだ。あわよくば誰かに聞いてもらっている体で。
ファルなら特別興味を持って聞く可能性は低いし、派手な独り言を言うにはうってつけだと思った。
案の定、くだらないと一蹴してきたので選んで正解だった。もう少し付き合ってもらうが。
「まぁ、ないと思うんだけど。他の誰かがちょっかいとか出してきても嫌じゃない? アタシのワンちゃんに手を出すのは許せないし。ないと思うんだけど」
「そこまで言われると、逆に興味をそそられますがね」
「やぁね。勘弁してちょうだいよ」
「冗談ですよ。あの人はあまり拷問のし甲斐がなさそうですし」
「あーら、意見の一致! 調教のし甲斐もあんまりないわよ」
するとファルは何か言いかけたが、口元を緩めるだけに留まった。そうですか、と短く返事をされる。
何を言いかけたのか気にならないわけではなかったが、どうせ訊ねたところで答えは来ない。するとファルは思い出すように声を発した。
「あの人も階級が上がったところで、結局それ以降は上がる気配はなさそうですし。相変わらず、実力に反して地位の低い方ですね」
「なぁに? どういうこと?」
「ああ、エフは知りませんでしたか。あの人が中尉になったのはわりと最近なんですよ。たしか、あなたが召銃される少し前ですか」
エフが知っている彼女は、初めて顔を合わせた時から既に中尉だった。
そういえばファルは自分よりも召銃が早かった。つまり今以前の彼女を知っているということだ。
考えてみれば当たり前のことだがそれを少し、ほんの少しだけ悔しいなどと思ってしまったのは気のせいと思うことにする。
そうなの、と無意識に短くなった返事に気付いたか、ファルが薄く笑ったような気がする。気にしたら負けだ。
機嫌が悪くなってなんかないわ、これっぽっちも。
そういう意味を込めて視線を投げると、ファルはおかしそうに口元を上げた。しかし追及してくることはなく、自然と話題を切った。
「では、他の者に手を出されるのが困るというのならば、手っ取り早く軟禁でもしてはどうです? 懲罰房なら空いていますよ」
ファルからの提案に思わずエフは何度かまばたきを繰り返した。
提案の内容にではなく、興味のなかった話題をファルが自ら続けたことに対して驚いたのだ。
先ほどのようにくだらないと言いつつ終わらせてくれればよかったのに。
エフは視線を下げて考えた。思い出したように銃を触り手入れの続きをする。
……一理ある。他者の目に触れるのが嫌ならば閉じ込めてしまえばいい。そうすればずっと──。
そこまで考えて、手入れを終わらせた。
「……素敵な提案だけど、遠慮しておくわ」
「おや、一も二もなく乗って来るかと思いましたが」
「アレは調教のし甲斐がない、ってさっき言ったでしょ。あんまり効果がなさそうだもの。するだけ時間の無駄よ」
「そうですか。飼い犬の管理が随分甘いようですね」
飼い犬。それが示すのは紛れもなく彼女のことだ。別に飼ってはいないけれど。
だが確かに、部下に対しては統率を取る意味でも管理と調教は厳しくしている。
調教して、躾けて、自分好みの従順な者こそ扱っていて最高に楽しいものだ。
それなのに、らしくもなく彼女にはそれをしようと思えない。かわいそうという哀れみや、慈しみの感情ではない。なぜ。
ふ、と口元が上がる。
「駄犬な部下ちゃんと違って、アレはそこそこ良犬ちゃんだもの」
「良犬には放任主義、ということですか」
「そうね。でもちょっと違うわ」
手入れを終えた銃に一部のパーツを元に戻せば、がしゃんと重たい音が鳴る。
それを合図に、エフは座っていたソファーから立ち上がった。
「自由な良犬ちゃんを、時々捕まえたくなるのがいいのよ」
ゆるりと笑ったエフに、ファルは興味あり気に目を細めた。
「それじゃ、お邪魔させてくれてありがと」
「後ほど会議がありますから、遅れないようにお願いしますよ」
「わかってるわよ。また後でね」
エフはコートを翻して部屋を出る。こんな話をした後だ。今の目的はひとつだった。
さぁてと、かわいい良犬ちゃんはどこかしら?