今日と明日は世界中で共通するクリスマスというイベントだ。
私は特に予定もなかったので、ただいつものようにその二日間を過ごして終わるはずだった。
しかしつい昨日になって、今日の予定ができた。
『明日、マスターに捧げるピアノ・レセプションを行うんだ。よかったら君もおいで』
昨日ミカエルからもらった招待状により、私の今日の予定が決定した。
予定がなくても別に構わなかったけれど、クリスマスにピアノの演奏会という洒落たことに参加できるのは嬉しい。ミカエルに感謝しなくては。
「……あら」
会場となるメインホールまであと数メートルというところ。
途中の曲がり角でエフに会った。たしかエフは今日、急ぎの任務に出ていたはずだが戻ってきていたらしい。
「おかえりエフ。大丈夫だった?」
「誰に言ってんのよ、当然じゃない。……ここにいるってことは、どうせアンタもミカエルちゃんから招待状もらったんでしょ」
肯定すると、私のことをしげしげと眺めたエフは小さくため息を吐いた。なんだろう。
「服がいつも通りなのは、まぁいいわよ。アンタにオシャレなドレスコードなんて求めてないわ。でも、せっかくの催しに一人でそのまま会場に行く気?」
エフは少し呆れているように見えた。言いたいことがよくわからない。
今でこそエフと会場手前で立ち止まっているが、もし会わなかったならそれはもちろん一人で会場に入るつもりだった。それが何かおかしいのだろうか。
首を傾げていると、エフは徐に手を差し出してきた。
「せっかくの演奏会よ。特別に、このアタシがエスコートしてあげるわ」
一瞬呆けた頭がすぐにまた動き出す。そこまで言われてようやく理解した。なるほど、そういうことか。
寂しい独り者の私を、エフがエスコートしてくれるらしい。
小さく笑って手を伸ばしかけたけど、直前で「あ、」と手を引っ込める。
「……なによ、拒否するにもやり方ってもんがあるんじゃない?」
「いや、そうじゃなくて。このままだと、たぶんエフの手袋冷たいからやだ」
呆気にとられたようにまばたきをしたエフは、自分の手を見やる。
彼のしている黒い手袋は寒さを凌ぐためのものではない。
着けている本人はそんなことはないだろうけど、外から触るのはこちらの手が冷えていきそうな気がする。
「まったく、いちいちうるさいわねっ」
言葉の端にイラつきが入っていたが、言いつつもエフは両手の手袋を外しコートのポケットへ突っ込む。
文句を言うなら外さなくていいのに。私を置いてさっさと会場に入ってもいいのに。
その選択肢をとらないなんて、今日のエフはどうしたのだろう。
「これで満足かしら、お嬢サン」
眉を吊り上げつつ、再びこちらに片手を差し出してくる。
私は笑いながらも、ようやくその手に自分の指先を乗せた。
「うん。スマートにお願いね」
「その心配は必要ないわよ」
私の指先をゆっくりと包んだエフに手を引かれ、私は会場への残り数メートルを歩いた。
ドアマンを任されている一般兵が扉を開け、華やかな空間へと足を踏み入れる。
綺麗に装飾が施された会場で、なんだかとても特別な気分になりつつあった。
「みっともないわよ、きょろきょろしないの」
小声で注意されて、ついエフの顔を見上げた。
エフはこちらを見ておらず、真っ直ぐに顔を上げて前を見据えている。
エスコートしてくれることそれ自体もだけど、お遊びではなく思いのほかしっかりと私を先導してくれるようで驚いた。
何かあったのかと問いかけてみると、エフは緩く微笑んだ。
「あら、いいじゃない。クリスマスなんだから、今日くらいお姫様ごっこさせてあげるわよ?」
エフは少し楽しそうで、私もつられて笑った。彼もそれなりにクリスマスを楽しむ気でいるようだ。
私がお姫様だったらエフはなんだろう。王子様でも騎士でもない。けれど私の手を取ってくれる不思議なひとだ。
「ありがとうエフ。じゃあ、存分に私をちやほやしてね?」
「せいぜい貴重な気分を味わいなさいよ、真っ黒スーツなお姫サマ?」
いつものような軽口の応酬ではあるけれど、今日のエフは私をどこまでも優雅に扱ってくれるらしい。
胸くらいの位置にあるお互いの手は、今だけは紳士と淑女のそれに見えた。
まだ会場は変わらず賑わっていたものの、頃合いを見てそろそろ会場を出ることになった。
ミカエルの演奏をたくさん聞くこともできたし、豪華な食事も摂れた。クリスマス気分を充分味わうことができて満足だ。
「じゃあ、出るわよ」
「うん」
会場に入ってから、エフはずっとエスコートを続けてくれていた。
この会場内においてパートナーのように隣にいた。だから必然的に出るときも一緒になる。
エフが肘を曲げながら、左腕を軽く上げて隙間を作った。私はそこに自分の右腕をそっと絡ませる。
歩き出したが、エフは私に歩幅を合わせてくれているので歩きにくいということはない。
入ってきた時と同じように、ドアマンをしている一般兵が扉を開けてくれる。
何か珍しいものを見るように、こちらに顔を向けていたのを私は知っている。気にしないけれど。
廊下は会場よりも空気が冷たかった。
お互いに黙ったまま、なんとなく腕を解くこともなくそのまま歩いた。中庭が近くなったところで立ち止まる。
ふう、と小さく息をつくとエフは腕を外した。
手を組んで、ぐっと腕を前に出して伸びをする。
「は~あ。せっかくのクリスマスだから、アインスお兄様にエスコートされたかったわぁ」
「アインスもいたんだから、そっち行ってよかったのに」
事実、アインスも会場にいたのだ。
ノリで私と会場に入ったとはいえ、自由にしていればよかっただろうに。するとエフは口を尖らせた。
「アンタと入ったトコをお兄様に見られてたんだもの。途中で連れをほっぽり出すなんてみっともないトコを、お兄様に見せるわけにはいかなかったのよ」
なるほどと納得した。
たしかにアインスは、途中でエフが私を放ってアインスの所に行けば「あいつはいいのか?」とかを言いそうである。
どうせなら、しっかり振る舞っている自分の姿をアインスに見てもらいたかったのだろう。
「とりあえず、私はエスコートしてもらえて嬉しかったよ。ありがとう」
「独り者のアンタに、アタシのエスコートはもったいないくらいでしょ」
「すいませんね、至らない独り者で」
雪が積もっているので中庭には出られないのが残念だ。不意にエフに問いかける。
「クリスマス、楽しかった?」
まさか子供のようなことを訊かれるとは思っていなかったのか、エフは何度か目を瞬いた。私から視線を外しながら口元に笑みを浮かべる。
「そうね。悪くなかったわ。ミカエルちゃんの素敵なピアノも聞けたし、マスターも元気そうだったし」
「そっか。よかった」
世界共通のイベントくらい、そういった楽しい思い出で溢れてもいいだろう。
音楽が素敵だったとか、食事がおいしかったとか、誰かが元気そうでよかったとか。
例えそれが無くても貴銃士たちは各々で日々に楽しみを見出しているようだけど、こういう時には人と似たような感覚で楽しむのかもしれない。
ふと聖夜の空を見上げる。
「エフ」
「なによ」
今日の夜空は晴れていて、月がよく見える。だからその感想をただ言っただけだった。
「月が綺麗だね」
同じように月を見上げたエフも、そうね、と機嫌がよさそうだった。