私とあなたと

撃たれた。それはわかった。
そこからは記憶が曖昧であまり覚えていなかったけれど、目を開いた時には世界帝府の医務室にいた。

体が痛む。当たり前か。
そこで改めて、ああ、そういえば私は撃たれたのだった、とどこか他人事みたいに考えていた。

 

「あら、やっと起きた?」

 

ぼんやりとした思考の中で、声によって意識がよりはっきりと呼び覚まされていく。
声の方向へ首を動かす。見慣れた、というわけでもないけれど、綺麗な顔がこちらを見ていた。

目覚めたばかりで見る綺麗な彼の顔は、なんだか眠りを覚ましてくれた王子様みたい、なんて馬鹿みたいなことを考える。
実際には王子様には程遠くて、むしろひどい趣味の女王様だけど。

 

「エフ……」

 

彼の名前を呼ぶと、こちらの意識がはっきりしていることがわかったせいか、少しだけエフの表情が緩んだような気がした。

 

「まったく、こんな状態になるなんて愚図ねぇ」
「あ、はは……今回は、言われてもしょうがないね……」

 

意識が戻って早々に悪態を突かれたけど、今回は仕方がない。さすがに自分でもへまをしたという自覚はある。

 

「治りにはちょっと時間かかるけど、命に別状はないみたいよ。よかったわね、死に損なって」
「そっか、うん……ありがと」

 

組んだ脚に頬杖をついているエフは、呆れたように私の現状を教えてくれる。

 

「アンタのコレ、壊れちゃったわよ?」
「あー……新調、しなきゃね……」

 

頬杖を外したエフが、コレと手に取ったのは私のガスマスクだった。ベルトは千切れ、ゴーグル部分は派手に割れていた。
レジスタンス側にまだ顔は割れていないはずだが、今回のこれでどうなったかは不明だ。
まぁ、顔が割れていても特に気にしないけれど。

ところで、だ。
ふと気がついてから、気になっていたことがある。片方の手がとても温かい。その温かさはどこから来るのかというと、辿った先はエフの片手に繋がっていた。

 

「じゃ、愚図はせいぜい休んでなさいよ。アタシはもう行くわ」

 

椅子からエフが立ち上がると同時に、すり抜けるように手が離れていく。
名残惜しいようなその手を掴むことは、意識が戻ったばかりの私では無理だった。
素早くは回らない唇で、かろうじて彼の名前を呼ぶ。

 

「エ、フ……エフ」
「なによ」
「手、つないでてくれたの?」

 

エフは少し視線を逸らしたけれど、そのままコートを翻して背を向けてしまう。

 

「ちょっと気が向いただけよ」

 

そう言ってベッド周りのカーテンを開くと、隙間からするりと出ていってしまった。
扉が閉まる音がして完全に医務室からも出ていってしまったようだった。

繋いでいてくれた手をゆっくりと持ち上げ、ぼんやり眺める。
手のひらはわずかにふやけたように赤くなっていた。

どのくらい、手を握ってくれていたんだろう。どのくらいここにいてくれたんだろう。
さっき目が覚めた時、エフが「やっと」と言っていたくらいだから、おそらくは短い時間ではない。
どうしてそれをしてくれたんだろう。深く考える前に、痛みと眠気でまた意識は沈んでいった。

 

 

彼女が怪我をした。命に別状はないが、そこそこ大きな怪我を。
腕に巻かれた包帯、顔にでかでかと貼られたガーゼはなかなかどうして目に余った。

らしくない。出撃の度に銃を撃っているような自分が、怪我をした人間を見ただけで得も言えないような気持ちになるなど。
廊下の壁に背を付けて、自分に呆れるように息を吐く。上を見上げても何もない。溜飲が下がるわけでもない。

こつん、と廊下に音が響いた。
そちらのほうへ首を動かすと、自分の兄であるファルがこちらへ向かってきていた。

 

「おや、こんな所でどうしました」
「……なんでもないわ」

 

ファルはすぐ近くの部屋の扉を見やる。
そこは間違いなく医務室だ。中にはベッドで横になる彼女がいる。

 

「そうですか。私はてっきり、あの人を見舞った後かと思いましたが」

 

そうですか、のあとに続いた言葉にエフは緩く兄を睨みつけた。まったく、わかりきっていることをしゃあしゃあと。

そこは言わなくていいじゃない。アタシがあの子を見舞ったってトコ、強調するみたいに言わないでよ。まるでアタシが、あの子を心配しているように言わないでよ。

 

「命に別状はないそうですね」
「ええ、そうらしいわ」
「小耳に挟んだのですが、」

 

あなた、彼女に庇われかけたそうですね。
ファルの言葉は重く響いた。思わず唇を噛む。

 

「まぁ、あの人の負傷はそれが直接の原因ではないようですが」
「ファルちゃん、アタシのコト笑いに来たの? それともお説教なら、こんな場所はやめましょ?」
「どちらでもありませんよ」
「あら、そう」
「あの人が怪我をしたことにはそれほど興味はないのですが、それによってあなたがどうしているかと思いまして」
「……ご親切にどーも。心配には及ばないわよ」

 

自分はそんな顔をしていたのかと、エフは何気なく額に手を当てる。
本当に、まったくもって自分に呆れる。馬鹿過ぎて愚か過ぎて、持て余してしまう。

呆れた挙句、何かが外れたエフは自嘲しながらファルへと視線を移した。
ファルの表情は変わらない。聞き流そうとしてくれているのかもしれない。そのほうがいい。

 

「ねえファルちゃん。あの子はなんで、人間なのかしら」

 

怪我の回復には時間がかかる。あの包帯もガーゼもしばらく外れない。場合により跡が残ったりするだろう。
自分ら貴銃士のように、跡もなく瞬時に治ったりはしない。彼女は人間だ。自分は貴銃士だ。そんなことはわかっているのに。

なんでアタシは、こんなコト言ってるのかしら。
自分に笑っていたけれど、どこかで何かが悲しかった。

 

 

目的の場所にたどり着いて、エフは扉の前で立ち止まった。
ノックくらいするかと手を持ち上げて、少し躊躇した。思い切ってノックをするが特に返事はない。
眠っているのだろうか。扉の取っ手を掴んだが、開くのを躊躇した。それでもなんとか扉を引いて中へと入る。

医師も出払っているのか医務室には誰もいなかった。
いくつもベッドがあるが、隅にある一か所だけカーテンが閉められている。そこに向かおうとして、また躊躇した。さっきから何度目だろうか。

いつもなら何も気にしないというのに、今回ばかりはできるだけ足音を立てないよう静かにベッドへ近づいた。相手が眠っているかもしれない。

そうだ、これはそのための気遣いだ。決して、こそこそと見舞いに来たのが後ろめたいからではない。そもそも見舞いのためになど来ていない。
自分以外は誰もいないのに、自分にそんな言い訳をした。

ベッド周りのカーテンに手を触れてから気が付いた。おそらくは、ここに入ってすぐに気づくべきだった。
静か過ぎる。何の気配もない。それに気づいて勢いよくカーテンを開けた。

掛布団はめくれており、水の入ったコップや読みかけの本がある。しかしこの一瞬で予想した通り、ベッドには誰もいなかった。いるべき者がいない。
とどめは、あろうことか引っこ抜かれた点滴が放置されていることであった。床に落ちた針から、薬剤が漏れて床を濡らしている。

エフは身を翻して医務室を飛び出した。
医師がここにいないのも納得だ。抜け出した患者を探しに出たのだ。

 

「あの、愚図……っ!」

 

悪態を突きながら、らしくもなく廊下を疾走した。
当てがないわけではなかった。アレのことだ、どうせ行くところはある程度決まっている。
やがて射撃訓練場にたどり着いて足を止めた。……ほら、やっぱりね。

銃声が響いた。
ヘッドセットを付け、構えていた拳銃を下ろす腕は包帯がぐるぐる巻きである。ここから見える横顔には目立つガーゼが貼られ、脚もテーピングで固定されている姿は誰がどう見ても怪我人だ。
それなのに平然と訓練場にいる彼女にため息が出た。

走ってきことを悟られぬように息を整え、わざとらしく靴音を立てて近づく。
こちらに気付いた彼女は、暢気に微笑んでヘッドセットを外した。努めていつも通りに声をかける。

 

「何してんのよアンタ」
「十日もベッドにいたら体が鈍るから」
「被弾した上に点滴されるレベルの怪我人が、こんなトコにいていいと思ってんのかしら?」
「うーん、でも動けるし」

 

動けるか動けないかの問題ではない。
完治まで安静にしていろというのがわからないほど馬鹿ではないだろうに。点滴を引っこ抜いて訓練するほどには馬鹿なようだ。

 

「エフはどうしたの? あ、ここ使う?」
「使わないわよ。訓練に来たんじゃないもの」

 

あ、と思ったときには遅かった。この答え方ではさらに突っ込まれてしまう。予想の通り、彼女は少し首を傾げた。

 

「ん? じゃあなんで、」
「コラール中尉!」

 

彼女の問いを遮るように、大きな声が訓練場を支配した。
エフの後方に目をやった彼女は「あ……」と表情を歪めた。まるでいたずらが親にバレた子供のように見えた。

つられてエフが振り向くと、声の正体は我が世界帝軍の医療を司る女医の一人であった。
特別幹部であるエフに対し女医は敬礼をしたが、すぐに横を通り過ぎずんずんと彼女に向かっていく。
迫力ある様子に、彼女は逃げ出すこともなく苦笑いを浮かべた。

 

「いい加減にしてください! 何度目ですか! それも点滴抜くなんて!」
「あー……ごめんなさい、先生」
「謝るくらいなら最初からしないでください! 十日で動けるような軽傷じゃないんですよ!?」

 

どうやら、彼女が医務室を抜け出すのは今回が初めてではないらしかった。
謝りつつ説教を受けている彼女の姿はエフには新鮮に映る。普段から強気な発言をすることも少なくない彼女が縮こまるとは。

どうやら女医の、母親のような注意の仕方はなかなか響いているらしい。
とはいえ、右から左へ聞き流しているように見えなくもないが。

 

「まったくもう……! さぁ、戻りますよ」
「はぁい」

 

彼女はおとなしくヘッドセットと拳銃を片付け、女医に付いて歩き出す。つられて、ついエフも後を追う形になった。

 

「あなたがそうやって動く分だけ、完治が遅くなるんですよ。それでまた文句でも言うなら、今度はベッドに縛り付けますからね!」
「それはさすがに困りますね」
「ねえ、ドクター?」

 

口をはさんできたエフに、何でしょうかと女医は続きを促した。

 

「提案なんだけど、アタシがこの愚図な子を縛ってあげましょうか? アタシ、そういうの得意なのよね~」
「そうなのですね。この方が逃げ出さないようにぜひお願いしたいところです」
「先生、私もう抜け出さないからエフに頼まないで。先生がイメージしてるのとエフがやろうとしてるのは絶対違うと思う」
「失礼しちゃう。一応怪我人だから、優しく縛ってあげるわよ」
「残念でした、もう抜け出さないから縛る必要がないの」

 

冗談半分の会話を続けていたために、油断していた。彼女が問いかけてきた、エフが訓練場に来た理由はごまかせたものだと思っていた。

しかし、おそらくエフよりも本気で彼女を探していた女医から見れば、探していたと思われてもおかしくはなかったのだ。

 

「そういえばエフさん、コラール中尉を探してくださってありがとうございました」

 

ぎしりと体が硬直する。
え、と彼女がまばたきをしながらこちらを見やる。

知られたくないことがある。いろいろと。
女医の言葉が、エフにとって流れ弾になったのは違いなかった。